2008年9月28日日曜日

GMATについて

少しMBA受験のことを書こうと思う。

MBA出願のためには、大概の場合GMATが必要となる。自分の場合、こいつに本当に苦しめられ、結局最後まで人に言えないような点数しか取れなかった。GMAT受験後は、いつも受験会場の四谷を死にそうな気分で歩いたものである。GMATは休日は受験できないので、その絶望的な気持ちで職場に出社したものだ。嫌だったなあ。

先日、IEの同期の家でパーティーがあり、その際GMATはMBAに必要かという話題が持ち上がった。

GMATは限られた時間内に、たくさんの問題を解く必要がある。問題文の英語は難解だし、しかもその問題はちょっとひねくれていたりするから大変だ。おまけに数学もある。数学は日本人には簡単だと言われているが、私立文系で、いつも友達に助けてもらいながら、やっとのことで数学の単位をぎりぎりで取得した自分には、決して簡単ではない。だから、GMATができる人は、頭の回転が速く、短時間で問題点を正確に見極められるのだ、という意見は肯首できる。マネジメントに携わる人間は、短時間で多くの判断を下す必要があるわけだから、この能力は大変重要な要素だ。

片や、GMATは必要ないという意見もある。(GMATで高得点を取られている方は、なんだこいつ出来もしないくせに!と怒らないでいただきたい。)GMATの問題を解けることと、リーダーシップを発揮して組織をリードしていける力は全くの別物だというのだ。これも肯ける。実際自分の経験でも、強靭な精神をもって仕事に立ち向かえる人間が最も評価されている気がする。こういう人はパフォーマンスも高いようだ。少なくとも全く学歴は関係ない、ということは確かだと思う。難解な試験問題をクリアして超一流大学に入学した人達が、そうでない人達よりも仕事で高い評価を受けているか、という状況は、少なくとも自分の会社では全く見られなかった。

IE Business Schoolの場合は、後者の立場に立っていて、テスト結果よりも、職歴、エッセイ、インタビューを重視しているらしい。もちろんGMATの点数が高いことは、プラスにはなるとのことだ。(IEの公式ブログにもこのことは掲載されている。)ただ、GMATを受験しない場合でも、IE独自テストやGRE受験を求められる。MBAコースに耐えうるアカデミックな能力を示す手段は、GMATに限らないということだろう。自分はこのIE独自テストを受験した。

頭の回転の速さから来るスピーディー且つ正確な判断力。そしてリーダーシップ。頭の回転の速さがあっても、組織の人間を惹きつける魅力や率いていく強い意志がなければ、リーダーとして成功するのは難しい。片や、スピーディー且つ正確な決断力がリーダーに欠落していては、組織の人間はこの人大丈夫?と懐疑的になる。下の人間は上の人間を常にみている。だから、最終的にそのリーダーについていかなくなってしまうだろう。

アメリカのビジネススクールに出願をする場合は、GMATの高得点なしでトップ校に合格することは極めて難しい。脳みそのスペックを見極める上で、GMATが最良の基準である、という考えがあるのだろう。片や欧州ではGMATの提出を必ずしも求めない学校もある。そうした学校は、これまでのキャリアやアコンプリッシュメントが出願者の脳みそのスペックを十分に示している、と考えているのかもしれない。

とはいえ、MBA受験でGMATに代わる判断基準が近いうちに出てきそうもないわけであって、これからの受験者はやっぱりGMATに苦しめられることになるだろうし、GMATが出来た方が有利だろう。

参考までに2008年9月8日付のFinancial Timesの記事を。

A senior figure within a leading European business school says he has come across plenty of good candidates whose scores "began with a four". Conversely, he says he tends to be cautious of people who score 780-800. "I look very, very closely at them," he says, declaring that their social skills can often be deficient.

Gisma Business School in Hanover, Germany, investigated the relationship between GMAT scores posted by its MBA students and their performance on the course. It claims the correlation was so small "as to be insignificant".

However, it says the GMAT is still useful as a way of figuring out whether a student has the ability to get through key subjects such as accounting.

Caroline Diarte Edwards, admissions director for the Insead MBA programme, believes there is some correlation between GMAT score and academic performance. However, this does not mean that Insead demands a formal minimum score. "A common misconception is that you have to have 700 to go to Insead."

あ、どの予備校がいいとか、そういった情報は一切記載ないな…。

スリを目撃!そしてゲルニカ。

今日は午後2時起床。ホテルの受付からの連絡で目が覚めた。部屋のクリーニングをするか?と。眠過ぎたが、頑張って起きる。今日はソフィア王妃芸術センターに行く予定だったので、ここで寝るわけにはいかない。

ソフィア王妃芸術センターはAtocha駅にあるので、そこに行くまでにSolという駅で乗り換えなければならない。

そのSol駅で降りる寸前のことである。同じ車両に乗っていた外国人2人にサングラスをかけた女性が不自然に近づいていった。特にスペースが狭いわけでもないのに、この接触の仕方はおかしい。よく見ると、もう一人男がこの外国人2人の前方を塞いでいる。あ、グルなんだ。この外国人2人はしっかりとガードをしていたので、何も取られなかったようである。

今日はもう一軒スリを見た。Solから乗り換えの地下鉄に乗る時のことである。電車のドアが開く寸前、なんか挙動不審な女の子がドアの前をうろうろしている。なんか嫌だな、と思ってその女の子が乗車したドアの隣のドアから乗ることにした。その女の子を見ていると、なんと電車のドアが閉まる直前に降りてしまった。もう一人紫色の服を着た女の子も同時に降りた。あ、これもグル!?その直後、その女の子が入ったドアの付近にいた外国人が騒いでいた。スられたらしい。ジーンズの後ろのポケットを差してなんか言っている。予感があたった。なんかスリってちょっと他の人間と雰囲気が違う。

電車を降りると、違和感がある。あれ、ここどこだ?完全に駅を間違えていた。というか乗る電車を間違えていた!こんなこと東京では絶対にないんだけどな…。

ということで、Sol駅にもう一度戻ることに。

するとさっき見たスリ(女の子二人組)が警備員に捕まっている!!意外に簡単に捕まってしまうのね。でもすぐにまたスリをやるんだろう。

アトーチャ駅に着くと、ワールドスタンダード、マクドナルドでランチ。日本と同じハンバーガー、ポテト、コーラの王道メニューを注文。4.25ユーロだから日本よりは高い。

スペイン版マクドナルド

そしてやっと目的地のソフィア王妃芸術センターに到着。

ソフィア王妃芸術センター

ここは、先週行ったプラド美術館と違って、近現代の絵画や彫刻が展示されている。デジタル技術を駆使した芸術を展示している一角があって、日本人の芸術家の作品が展示されていた。スペインでも日本の芸術のセンスが評価されていることを初めて知った。

そして、ついにピカソの大作、ゲルニカを観るときが来た。鳥肌が立ってしまった。芸術のことはよくわからないけど、迫力を感じた。ちょうどスペインの歴史を勉強していたこともあり、内戦の悲劇を写したこの絵には、色々と感じることがあったのかもしれない。内戦中、ゲルニカという町が空爆を受け、その悲劇を描写することをピカソが引受け、パリ万国博覧会に出展されたそうである。ゲルニカがある一角は、戦争中の芸術としてカテゴライズされていて、戦争の悲劇、そして二度と同じことを繰り返さないことを、
芸術を通して訴えているのだ。実際、展示されているピカソの絵には、苦痛に満ちた人々の顔を描いたものが数多くあった。

あー、今日はいろいろなものをみた日であったことだなあ(古文の現代語訳分)。

2008年9月26日金曜日

スペインに来た理由

自分は今スペインに来ているわけだが、
初めからスペインに興味があったわけではない。

スペインに行きたいから今の学校を選んだわけではなく、
行きたい学校がスペインにあったらからスペインに来たのだ。

欧州のビジネススクールを選ぶ際は、もちろんまずは行きたい
学校を選ぶが、その後その学校がある国についても考える必要がある。
スペイン、イギリス、フランス、オランダ、スイス、ドイツ…。

この点はアメリカのビジネススクールとは異なる点だろう。
アメリカの場合も、土地によっては大きく雰囲気が違うのだろうけど。

ということで、特段スペインに強い興味があったわけではないのだが、
そうは言っても毎日とてもスペインを意識している自分がいる。
やっぱり英語の表記が全くないことにものすごく苛立ちを覚えるし、
ホテルや銀行の従業員がまともに英語をしゃべることが出来ないことも
うんざりだし、夜中の3時くらいでも平気で飲んで騒いでいるのもすごくうるさい。
おまけに、BlackberryをUpdateしている途中でPCが止まってしまい、
windowsのセーフモードみたいな状態になってしまって、直し方がわからない。
(スペインのせいではないが、まとめてスペインのせいにしている。)

片や、今自分はスペインの歴史について勉強をしている。
そして、スペインの企業についても調べ始めているし、
スペインサービスの遅さ、いい加減さについても、
もっとこうしたらいいのに、と真剣に考えている。
ナダルが活躍をしていると何故か嬉しい。

あんな子は嫌いよ、というのが実は好きの始まりだった、
みたいな中学高校みたいな恋愛感情に似ているのかもしれない。

2008年9月23日火曜日

すでに日本食が恋しくなる

マドリッドに来てから、大部食生活が乱れている。
普通に食事をしていても、偏ったものばかり食べている気がする。
そこで今日は日本食屋に行くことにした。
マドリッドに来て10日あまりですでにこの状態では先が思いやられるが。
この日本食屋はガイドブックでも評価の高いレストランである。
朝ごはん、昼ごはんを食べていなかったので、たくさん注文してしまった。
とりわさ、冷奴、焼肉定食、抹茶アイスクリーム、ビール。トータル30ユーロ。

空きっぱらにビールでだいぶ効いていたが、ほろ酔い加減で地下鉄で帰る。

マドリッドの地下鉄

今日ついに携帯電話を入手したので、写真をとることができるようになった。

ちなみのこの電話、Blackberryというもので、
逐一PCに来ているメールをチェックできる。
外資系金融機関やコンサルで使用されているものだと知り、
ミーハーな自分は思わず手を出してしまったわけである。

体調回復、携帯購入と操作方法の学習、なかなか本腰が入らない。

ああ…どうしよう、スペイン語。

2008年9月22日月曜日

スペインへ来て1週間

スペインへ来て1週間が経った。長い。とにかく長く感じる。まだ1週間か。Leedsの時も同じように感じていたが、慣れない場所での生活は、最初は本当に長く感じる。

この週末は、いろいろ出歩こうと思っていたのだが、そうはいかなかった。

自分でも気づかなかったのだが、相当疲れが溜まっていたようだ。土曜日は16時間寝てしまった。猫だ。ニャー。不眠症でいつも通り朝の4時くらいに寝て、14時30分くらいに目が覚める。そのあとPCを触っていたが、やっぱり眠気に耐えられない。16時からまたベッドでゴロン、21時30分に目が覚めた。いくらなんでも、日本でもここまで眠ることはなかった。知らず知らずの内に、新生活に緊張していたのだろう。

日曜日も、相変わらず疲れが残っていたが、これだけはと美術館に足を運んだ。「ゲルニカ」を観たかったのでソフィア王立芸術センターに行った。でも日曜日は14時30分で閉館であり、入れなかった。何で休日にそんな早く閉まるの…?

仕方がないので、近くにあるプラド美術館に行ってみた。どっちかっていうと、ガイドブックではプラド美術館の方がマドリッド一の美術館、という採り上げられ方をしている。もともと芸術のことはよくわからないので、美術館では日本語ガイドを使用することにしている。でも日本語音声ガイドはなかった。仕方なく英語ガイドを借りることに…というか英語で聴くべきだが!プラド美術館は、ルーブル美術館や大英博物館等と比べた場合、ヨーロッパ以外の観光客に対しての対応が進んでいない気がする。

スペイン絵画が中心であることから、芸術に強い興味がない日本人にとってはそこまで惹かれるものではないのかもしれない。ルーブル美術館みたいに「モナ・リザ」とか「ミロのヴィーナス」とかが展示されていれば、一度は見てみたい、と思うだろう。

スペインに留学をしている自分としては、日本とスペインの距離というものを感じ、少し寂しい気がした。

さて帰り際にコーヒー屋に立ち寄り、読めないスペイン語の新聞を眺めていると、たくさんのビジネススクールの広告が載っている。スペインでもビジネスを体系的に学ぼうとする動きが活発化しているのだろう。また、マドリッドも日本からの投資を誘致しようと動きを活発化させていることが、マドリッドのウェブサイトに書いてあった。(どこの都市もそうなのだろうか?)

マドリッド、そしてスペインはこれからさらに躍進し、世界を席巻するのだろうか!?

2008年9月19日金曜日

Spanishコース開始 そして生活立ち上げ準備を進める

ここのところずっとブログを更新する余裕がなかった。いかんいかん。

いよいよIEでスペイン語コースが始まった。授業は初心者向けであるということなので、自分は日本でも一切スペイン語の勉強をしていなかった。

甘かった。

一回一回の授業は濃密で、しかもいきなり疑問文で質問をされる。何も知らない自分にとっては、どんなに簡単な質問でもわからない。慌てて日本で買った本を読み返しても、内容が体系的にまとまっていないことにここに来て初めて気づいた。よくわからない。

おかげで授業では毎日大恥をかいている。なんと情けないことか。学校を出ればほとんどの人間が英語をしゃべることか出来ないし、看板にもほとんど英語の記載がない。生き残るためにスペイン語は必須なのである。

おかげで最初はスペイン語の授業に出るのがいやでたまらなかった。それでも最初の回で一番前に座ってしまい、そのあと席を変えるのも何だか逃げるようなので、ずっと一番前の席に座り続けている。

そうしたことに加え、生活の立ち上げ準備が必要だ。これが本当に鬱である。家探し、銀行口座の開設、携帯電話の購入、日本円の両替…。家さがしは日系不動産に助けてもらったり、銀行口座の開設も学校側が途中までの手続きを進めてくれているにも関わらず、それでもしんどく感じる。

家探しだが、ここがいい、という家を見つけることができた。しかし契約を詰めるまでに時間がかかる。こっちの大家は賃貸をする際、かなり厳しい要求をしてくるのが常らしい。銀行保証を求めたり、数か月分の家賃を銀行口座に入れ、引き落としが出来ないようにロックしろ、という要求をしたりするのだ。

…自分が仕事で客先に求めたようなことを、今度は自分が求められているわけだ。

銀行口座の開設にはとにかく時間がかかった。日本であれば、書類にハンコを押して送れば
キャッシュカードなんてすぐに届く。でもほとんどの銀行員が英語をしゃべることができず、唯一英語をしゃべることができる行員の対応を待つ必要がある。それにしても何で一人30分くらいかかるんだ…早くしろ!!っと思ってもこれがこの国の常識なのだろうし、そもそもスペイン語を喋ることが出来ないから意思疎通できないし…気長に待つことが 最良の策であると気づくのであった。

携帯はなぜかウェブ上でうまく支払が出来ずに、大苦戦。結局同期の日本人学生に教えてもらって、買い方を知ることができた。この時点で携帯を持っていないのはもはや自分一人である。

日本円だが、ここ2日間で2件銀行を回ったが、いずれもユーロへの両替は不可。 特定の店舗へ行く必要があるとのこと。

しんどい。

さて、こうした生活立ち上げ準備を進める一方、今日は学校でもイベントがあった。今日は学校にチェコの首相が来たのだ。ミレク・トポラーネクという人だ。EUの未来についての講演であった。スペインの経済発展をチェコとしても見習いたいということでやってきたようである。

たくさんの学生が講堂に集まっていた。こうして講堂を見回してみると、本当にたくさんの学生がいる。しかも彼らの多くは、 全く別の国から来ているのだ。本当に国連の縮小版みたいだな、と感じた。

質疑応答は首相の代わりに通訳が英語をしゃべっていたが、とてつもなく早くて、 聴きとれるところと聴きとれないところがあった。しかし実際に授業の英語がこういった スピードで展開される可能性もあるので、この先が思いやられる。

何人かの学生は、チェコの発展はロシアとの関係が切り離しては考えられないのではないか、ということを質問していた。(気がする)正直自分は欧州MBAに来ていながらも、EUの政治的な状況、各国の関係等については全く無知である。これは恥ずかしいことだな、と痛感。また勉強すべきことが増えた…。

その後学生の何人かで飲みに行くかどうするか、という話になった。実はスペインに来てからずっと不眠症が続いていて、一度も満足に睡眠をとっていないので、体は不調。おまけに鼻血が止まらない。日本では片方の鼻の穴からのみ鼻血が出ていたのだが、こっちに来てからは両方の穴から鼻血が出る、しかも継続的に。

しかし!ソーシャルアクティビティに参加することは最も重要なことの一つ!

ということで、近くのバル(Barのこと)に飲みに行く。今日もいろいろな学生と話をすることができた。ボリビア人、オーストラリア人、韓国人、インド人…でも彼らが本気で会話を始めるとついていけない。英語が早すぎるのだ。どこかで会話に入らなければ、と思っていてもなかなか隙がない。ああ、苦い経験だ…留学生の日記によく書いてある経験だ。インド人、韓国人は同じアジアと言っても、英語力はまるで違う。やっぱりアジアの中では、欧州に遠ければ遠いほど英語でのコミュニケーションが下手なのかもしれない。強引な考えだけど。インド人はコミュニケーションに苦はないようである。お隣韓国の学生も英語が上手である。

くそ!なんと悔しいことだろうか!うまくなりたい、英語!

こちらに来て初めて吐き気がするまで飲み、会話をした。でもこうしたことの積み重ねが、大きな実を結ぶと信じている。

はっ、スペイン語を勉強しなければ…。また明日も恥をかく!!

2008年9月14日日曜日

Madridを初めて散策する

結局13時過ぎに起きた。

スペインの明るい日差しが目を覚ましてくれた、と言いたいところだが、実際はカーテンを閉めていて、
自然に目が覚めたのだが。雲ひとつない青空である。イギリスに5週間滞在していたが、こうした青空は数えるほどしかなった。想像していた通りのスペインである。

さて、予定通りまず最初に学校に行ってみた。信号の待ち時間を合わせてもだいたい5分くらいだろうか。意気揚々と門をくぐって学校に入ってみる。閉まっている!?門をくぐってからキャンパスまでのほんの数メートルしか入れない!ちょっと奥に行ってみると、ドーベルマンらしき犬にやたらと吠えられた。なんということだ、IEで最初に接触したのが犬だとは…。

結局どうしようもなく、諦めてそのまま中心部へ移動することにした。初めて地下鉄に乗った、学校から近いGregorio Maranonという駅だ。標識には一切の英語がない。全てスペイン語。一瞬でスペイン語の必要性を悟った。

地下鉄は、フランスのMETROに似ているようである。でもスペインもフランスもイギリスも大体同じである。10回分の回数券が7ユーロ。たぶん日本の初乗り料金より若干安いくらいだろう。

特別どこか当てがあったわけではないが、とりあえずマドリッド三越があるところを目指した。三越があるということは、きっと有名な場所だろうと。行き着いた場所は、グラン・ビア。ガイドブックによると、今ではやや時代遅れの町並みであるが、依然として賑やかな繁華街らしい。腹が減っていたので、マクドナルドを探した。大好きマック。果たしてマドリードのマクドナルドとはいかなるものなのか。あった、ケンタッキーの横にあった。しかしメニューがスペイン語で何もわからない。とりあえず店員と話してみた。見上げるとメニューが掲げてあるので、そこに書いてあるHappy mealというのを注文した。セットっぽいから。しかし出てきたのは、スターウォーズの箱だった。なんだこれ?構わずそのまま席につく。あ、お子様セットだったのね。だめだ、マクドナルドもまともに買うことが出来ない。

マックでガイドブックをよく見ると、自分のホテル近辺にはたくさんの店があることに気づいた。マドリッド随一の高級ブティック通り、庶民派デパート等など。ということで、結局引き返した。

あるある、マドリッドが本店のLOEWE、結婚式で嫁が着たウェディングドレスのメーカーであるPRONOVIAS。スーパーもたくさんの食べ物がある。イギリスと違うのは、たくさんの魚介類が売っていることである。スーパーでも市場のようにたくさんの魚が並べられている。自分は魚が怖いので、遠目に眺めるだけだったが…。水も5リットルが1ユーロだから、手頃と言えるだろう。

ホテルに戻る途中スターバックスに寄った。アイスコーヒーを注文した。ちょっと薄めだったけど、問題なし。スタバは避難先として確保できることを確認した。

ホテルで一休みした後、夜の10時頃外出をした。今日はIEの学生が飲み会を開くということで、これはいい機会と思い、繰り出してみた。とはいえ、始まりは9時。9時半に起きた自分は当然遅刻をした。場所はLa Latinaという市庁舎に近い区域。場所が不確定であったので、とりあえず駅を降りて夜の街を徘徊する。全く場所が分からない。おそらく1時間近く徘徊したのではなかろうか、やっとのことで場所を見つけた。夜のマドリードということで多少不安があったが、やってみればできるもんだ。

パブではIEの学生がすでに飲んでいた。日本人の学生のほかにも、イタリア人、インド人、スイス人、ハンガリー人、アメリカ人の学生がいた。イギリスではたくさんのアジア人がいたが、今回はほとんどが欧州人だ。インターナショナルである実感が湧いてきた。中には既にスペイン語に堪能な人もいるようだ。またイタリア語はスペイン語に似ているということで、ちょっと修正すればしゃべることができるらしい。あまり長い時間飲むことはできなかったが、彼らと会話できたことは大変有意義だった。

帰りはアメリカ人の学生と共に帰ってきた。彼とはさらに一杯ビールを飲んだ。彼はUCLA(University of California Los Angels)を卒業したらしい。日本人ならUCLAは知っているだろう?と言っていた。確かに日本人はUCLAなら知っている。なぜだろう?彼もなぜだかはわからないらしい。日本人は、外国のほんの断片的な情報でもってそれが全てである、という認識をする傾向にあるのかもしれない、と感じた。このマドリッドで、日本という国を客観的に見つめるたくさんの機会を得るだろう。

さて、午前3時30分。外はまだ騒がしい。このスペイン文化、慣れるまでもう少し時間がかかりそうである。

2008年9月13日土曜日

Madrid到着

日本に一時帰国していたが、ついにマドリッドに向けて発つ日がやってきた。ということで、このブログも再開。

一時帰国の際、窓際に座ったことで、初めて飛行機が辛いと思った。だから、スペインに行く時も疲れるなあ、と少しゆるい気持ちになっていた。実際、時差ボケが日本にいる間に解消せず、まともに睡眠がとれていなかった。

しかし、この日の航空会社はスイスインターナショナル。この会社はどうやらエアバスしか起用していないらしい。このエアバスの機体は幸運なことに、エコノミーでも一列に席が8席しかない。よって一時帰国の時よりは快適だった。

でも、今回は乗り継ぎがある。日本からマドリッドへは直通便がないのである。スペインはGDPで世界10位に入る国であり、それだけ大きな国の首都なのだから、直通便くらいあるものだとばかり思っていたのだが。なので、今回はスイスのチューリッヒで乗り継ぎをした。

そして、東京を発つこと18時間、ついにスペインマドリッドに到着をした。同じ首都といえども、バラハス空港は、ヒースロー空港に比べると大きくなさそうだ。スペインはいくつかの自治州で構成されているということなので、やはり首都といえどもロンドンのような存在感はないのだろうか。

空港では会社のマドリッド支店の社員が迎えに来てくれていた。タクシーでホテルに向かい、荷物を下ろした後に、ホテルの周辺を案内してくれた。マドリッド支店のオフィスはホテルから歩いて3分くらいだった。

そして、ついにやってきた。IE Business School。ここもホテルから3分くらいだろうか。大通りの向かい側から初めて自分の行く学校をみることになった。ウェブや写真でしかみたことがなかったが、そのまんまだった。明日早速乗り込んでみよう。

その後、典型的なスペインのパブのようなところに連れて行ってもらった。ビールと、魚を焼いたパンの上に載せたものをつまんだ。なかなかいける、スペイン料理は噂通り期待ができそうだ。

ホテルに戻った。スーツケースを開けてみたら、シャンプーの中身がこぼれていて、ケース中べたべただった。せっかく持ってきた自分が保有している中で最も新しいネクタイ3本がべとべとになっている。クリーニング屋もわからないので、仕方なく水道で洗う。ネクタイを水道で洗ったら、普通はもう使えないだろう。でももういいや。もしかしたらこの乾燥した気候がいい感じにネクタイを乾かしてくれるかもしれない。

さて、今これを書いているのが午前3時40分くらい。時差ボケのせいか、全く眠たくない。外では酔っぱらった人たちが大はしゃぎで叫んでおり、何かを思いっきり蹴ったりしているような音が聞こえる。ここは静かな地域と聞いたのだが…。違うのであろうか?

これから始まる壮大なストーリー(?)の幕は明けた。

2008年9月9日火曜日

Pre-MBA終了

9月6日を最終日として、LeedsでのPre-MBAが終了。

最終日前日は、台湾人2人がFlatに招いてくれて、
そこで台湾料理、またタイ人のクラスメートがタイ料理をふるまってくれた。
一生懸命料理を作ってくれてる姿をみて、本当にうれしかった。

最終日もまた、台湾人2人(この二人は同じクラスメートだけど婚約者!)が
一緒に住んでいるFlatに招待してくれた。彼らの住居はStudioというタイプで、
だだっ広い空間に部屋の仕切りがないものである。
映画とかでみるニューヨークのアパートメントみたいで感動した。
台湾人は自宅で作った料理を持ち寄って、みんなで集まって食べるということが
常らしい。この日もそうだった。

台湾の料理は日本人好みの味をしていて、特においしかった。

こうして自分のためにみんなが手作りで何かをふるまってくれるということが
あんまりなかったので、涙が出そうなくらい感動した。

こうした友人たちと出会えたことは、Leedsでの生活を本当に充実したものに
してくれた。
最初、Leedsでの生活はあくまで一時的なものであって、そこまで強い期待を
していなかったのだ。でも、実際は予想以上に素晴らしい経験だった。
初めての海外生活であり、最初の頃は若干憂鬱で、自分は海外留学するなんて
器の人間ではないんだ、とさえ思ったりしたほどである。
でも終りが近づくにつれ、日本に帰りたくなくてたまらなかった。

HRMの論文も、面倒くさいReferenceの形式も、好きでやっている勉強であって
やっぱり楽しかった。好きな勉強を出来ることって、なんて嬉しいことだろう。

最終的なこのコース全体のグレードはB+だった。唯一、発音とイントネーションが
Cであったが…。もっともっともっともっと、発言をできればなあ、と痛切に感じている。
わかっていたことではあるが、やっぱり英語ができなければ、どうにもならない。
体で感じた現実だ。

どんなにいい考えを持っていても、正解が分かっていても、表現ができなければ
そこにいないのと一緒だ。何度日本語ならなあ、と思ったことだろう。
でも、それは全く意味のない言い訳だ。海の外に出れば全く相手にされない。
授業に貢献できない。

でもこれもまた、海外での現実として、受け止めていくしかないだろう。
少なくともこうした現実を知った自分は、前よりも確実に進歩していることは間違いない。

今、日本に一時帰国をしている。Leedsでの時間が幻のようだ。
まだまだ蒸し暑い日本にいると、涼しく少し寒いくらいのLeedsを恋しく思う。

でも次の舞台が自分にとっての本番だ。いよいよスペインに行くことになるのだ。
そこでどんな過ごし方をするのだろうか、それは自分次第。
Leedsでの日々が活かされるようにせにゃあならん。

Thank you, Leeds。

2008年9月5日金曜日

レポートとテストの結果が返ってきた。

Pre-MBAもいよいよ残り一日となった。

そんな時期なので、これまで取り組んできた課題のフィードバックが行われる。

まずは、このPre-MBA最大の課題と言われいているライティングプロジェクトだ。結果は75点。指導教員は他の人よりも短い時間でここまでやったのはPretty goodだと言っていた。自分ではPretty goodだったとは思えないのだが。

前回の途中経過報告時、問題に対する解決策が弱いという指摘がこの指導教員からあったのだが、自分は頑なに解決策の変更を拒んだ。指導教員の指摘が実際に有効であるとはどうしても思えなかったからである。当然ここに関して、指導教員は賛成できないと言う。でもいい。

そして、今度はテストの結果が返ってきた。このテストはA~Dまでの4段階で評価される。次々とクラスメートに答案用紙が返却される。クラスメートのTとFは、B+である。A-が最高だと、解説を行っていたディレクターが言っていたので、このB+はかなりハイレベルである。では僕は…??

C!!

なんだとこのヤロー!!!????

自らの結果に激しく憤りを感じた。しかしここで怒っても仕方がないので、自分の何がいけなかったを分析してみる。

一言で言えば、参考文献の使用が不十分である、ということである。イギリスでは(他の国のことは知らない)、教科書に書いてある学術的に認められた理論や定義をまず述べて、それに基づいて自分の意見を述べるらしい。

今回のテストはBudget「予算」についてだった。予算の主な機能について、予算はビジネスに悪影響を与えるという考えにどの程度賛成できるかについて、以上を論じなければならない。ここで自分は、ほとんど自分の考えのみを書いている。でもその内容は教科書には書いていない。これこれこういう理由で予算が必要である、とは書いた。でも、学術的な裏付けがまるでない論文と判断されてしまうわけだ。自分の意見だけを述べたとしても、それはアカデミックの世界ではまるで通じない。まずはこういう人がいて、こういうことを言っていて、その説明に基づけば私の意見は…という一定のフォーマットに従わないといけないということだ。

つべこべ言ってもしょうがない。それに従わなければ評価されないのであれば、従うしかない。学位をとるためにはしなければならないことがある。

ああ、学生なんだな、と強く思った。

2008年9月3日水曜日

快進撃止まる…そしてスパムメール。散散たる一日。

Leedsにきてから、料理では負けなしだった。レパートリーは数少ないが、それでも意外においしく作れたものである。

しかし、ついに失敗した。肉じゃがだ。レベルが高すぎたのか…。

敗因は肉の臭さ。醤油やみりんをかけても肉の臭さが強く、どうしようもない。酒に酔う以外で吐き気がしたのは久しぶりな気がする。

帰国まで、おとなしくパスタと冷凍ビザでたくましく生きていこう。

ところで、スパムメールにやられた。Yaari.comとかいうソーシャルネットワークサービスの招待状が来たのだ。これが親しい者から送られたくること、また中身は一応ソーシャルネットワークサービスの形をしていることから、疑わなかったのが間違いだった。

これに登録する際、メールアドレスのパスワードを入れる必要がある。Yaari.comはそのアカウントを盗むことが目的らしいのだ。さらに、一度登録すると、アドレス帳にある全員にその招待状が送られてしまうというのだ。こうしたアカウントの盗難が連鎖的に発生する。登録をしてしまったら、早急にメールパスワードを変更する必要がある。

私の名前で招待状が送られてきた皆様、私の不注意でご迷惑をおかけしてしまい本当に申し訳ございません。招待メールが届いた場合は、削除願います。また、すでに登録をされてしまわれた方は、メールのパスワードの変更をお願いいたします。

サイバー犯罪の難しさを思い知らされた。

2008年9月2日火曜日

友よ去る

LeedsでのPre‐MBAも開始後1か月が経ち、あと1週間となった。

一足早く日本人クラスメートのHが本コースが始まるLancasterへと旅立った。その前日も2時~3時くらいまで飲んだ。

クラスメートほぼ全員が中華料理屋、そしてPubで行われた送別会に参加。中華料理はうまい。うますぎる。ばかみたいに辛いのに、山椒の味が嬉しい。

そうした飲みの場では、なぜか知らないが、いつの間にか自分はお笑いキャラになってしまう。自らの意思に反しそのようなことになってしまうのだから、不思議である。だめだ、授業で目立たなくては!!

2件回った後も、Flatに戻りさらにFlatメート達で飲む。久々に飲み過ぎて吐きそうになった。

次の朝、Hは早朝に旅立って行った。他のクラスメートも彼を見送った。わずか1か月でありながら、クラスメートみんな、本当に仲良くなったのだなあと思う。そのクラスメート達も9月になり、学校の寮であるFlatを離れ、Private Flatに移っていくのだ。

そんな自分も、このリーズをあと4日ほどで去ることになる。もう大分長いこといる気がする。

ところでここにきて初めて知ったのだが、このLeedsという町は、イギリスで犯罪率が2番目に高いらしい。日曜日の日本人飲み会に参加していた、9月からLeedsの大学院に進学をする女性が教えてくれた。彼女はこのLeedsに来る前、1年間Londonで暮していたらしい。その住んでいた地域が、相当治安の悪いところであったらしく、頻繁に殴り合いや、血の池を見たらしい。バスも、みんなタダ乗りをしているらしい。でも運転手ももう何も言わないとか。ものを申すと運転手が攻撃をされるらしいのだ。Final Fightの世界だ、これは。ロンドン在住の人間のよるロンドンで一番住みたくない地域アンケートで、見事に第一位に輝いた地域だとか。そんな彼女の情報だから、Leedsの犯罪率の話も間違いはないだろう。

イギリスはこんなんだけど、マドリッドはどうなんだろう。周りの噂だけに基づけば、現在はマドリッドに軍配が上がるだろうか。