2009年2月25日水曜日

二度目の食中毒

欧州に渡って、半年以上経った。だが、まだ半年だ。それなのに食中毒にまた襲われた。

前回はイタリアローマでの生卵が原因だった。今回はおそらく、コーラではないかと思う。なぜコーラかというと、自分とちょうどその時日本からマドリッドに遊びに来てくれた友達の二人が体調を崩したのだが、二人が共通で食したものがコーラだったのだ。ケバブ屋で飲んだコーラだったのだが、そういえばどうも炭酸が抜けていて新鮮さが欠けていたような気がする。

そのケバブ屋で食事をした後、マドリッドから30分行けるスペインの古都トレドに観光に出かけたのだが、トレドでは終始青い顔をしていた。初めは我慢していればその内治るかと思ったが、甘かった。どんどん苦しくなってきてついに名所であるカテドラル周辺の工事現場で1回目の嘔吐。自分がこんな状況なので、仕方なくトレドの夕陽を諦めてマドリッドに帰ることにした。

その途中、トレド駅で、2回嘔吐した。悪寒がして仕方がない。

マドリッドまでの電車は寝込んでしまったので大丈夫だった。でも、マドリッドのアトーチャ駅で下車してからは悲惨だった。友達とうちの嫁の言葉に何も答えられない。気持悪すぎてむしろ何も話しかけてほしくなかった。タクシーで帰ろうとしたが、不幸にもタクシーは長蛇の列だった。一体自分の行いのどんなところが悪かったのだろう、と思った。

何とかタクシーに乗ったのだが、タクシーの前の車がちんたらやっている。ここぞとばかりにちんたらやっている。タクシーの運転手は自分の表情を常に気にしていた。当然だ。ここで吐かれたら商売にならない。でもついに限界が来た。「降りる」と一言いい、ドアを開けた。ドアは路肩に駐車している車にガツッと当たった。もうそんなこと知るか。すかさず運転手が「待て、車を前に出すから!」と言った。車から出たらすぐに開放した。出るものは何もなかった。でもどうしようもない力が働いてどうにもこうにも嘔吐を止められない。死ぬかと思った。「うふゥー…」と情けない声が自然と出た。どこかの国の財務大臣みたいだった。

この日の夜に予定していた学校のブラジルクラブ主催のサンバパーティーももちろん中止、次の日に予定していたバルセロナ行きももちろん中止。

大好きなコカコーラが今は怖くて仕方がない。

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