2009年1月31日土曜日

第一ターム後半開始直後…

実は1月7日から第一ターム後半が始まっているのだが、更新が遅れてしまっている。早くタイムリーな状況に追いつかなければならない。

クリスマス休暇が終わった直後、Organizational Behaviorの授業では自分の所属グループがプレゼンをすることになっていた。2週間半の連休明け、一発目の授業でいきなりプレゼンとは…実際自分は他のグループメンバーで一番英語が下手くそなため、というかクラスで一番英語が下手くそなため、当初このプレゼンでは喋る機会はないはずだった。ところが、もう一人グループメートのカナダ人(彼も何も喋る予定がなかった)が飛行機の遅れか体調が悪いだかで、欠席をすることになってしまった。つまり自分一人だけが前に突っ立ていながら何も喋らないことになってしまったのだ。さすがにばつが悪く、自分も何か喋らなければ!と相当焦った。今回のプレゼンのお題は「モチベーション」についてだった。なので日本人の例を挙げようと思い、前日に急遽何をやるかを考えた。クラスでのポジションがまだ今一確立していない自分としては、他の学生の反応が怖くて緊張して一睡も出来なかった。そして夜通しプレゼンのイメージトレーニングを繰り返したのである。そして、プレゼンの初めにイントロとして軽く「典型的日本人」というタイトルで、日本の職場風景を演じようと心に決めたのだ。

しかし、当日学校に行ってみると、その週のリーダーであるブラジル人が、構成の問題があるので、彼が日本の例を今から挙げるというから、その後に自分が出ていくことになった。ちなみに自分のグループは、毎週グループリーダーが変更になり、リーダーとなった人間は、その週のグループワークのスケジューリング、グループミーティングのチェアマン役、グループミーティングルームのアレンジ等を行うことになっている。このブラジル人の提案は、自分の想定を大きく狂わせた。当初、最初に自分は自分の役割を演じきってしまった後、その後のプレゼンの大部分の時間はリラックスして過ごそうと考えていたのである。ところが、このブラジル人が日本の例をいつ挙げるのか全くわからないため、プレゼン中始終緊張していなければならなくなってしまったのだ。またこの日、最初にプレゼンをする予定であったイタリア人が風邪をこじらしてしまい、プレゼンをすることが出来なくなってしまった。

かくして、波乱含みの中、プレゼンは始まった。(自分にとっての波乱は、自分だけしか知らないが。)同じグループのメキシコ人の女性は、威風堂々とプレゼンを始めた。彼女はメキシコで2番目に大きな銀行でCitiGroupに属している、Banamexという銀行の戦略部門に勤務しており、そこから企業派遣で来ていた。英語の発音もとても綺麗であり、その表情は自信に溢れていた。何より驚いたのは、イタリア人が担当する筈であった箇所を、その場で即興でプレゼンをしてしまっていることである。恐らく内容を全て理解していたのだろう。プレゼンの途中では席でプレゼンをみている学生達に、「あなたにとってのモチベーションは何?」とか余裕の表情で訊ねている。ああ、やっぱりビジネススクールに来ている学生はプレゼンが上手いんだ、と思った。後々、彼女は6歳から英語教育を受け、その後英語圏の国に幾度か留学をしていたことを知った。彼女は現在26歳なので、おおよそ20年間英語に触れてきた。自分も典型的な日本人で中学校1年の時から英語を始めたので、15~16年間英語を勉強してきているわけなのだが、彼女の足元にも及ばない。

バルバトス人、フランス人のグループメートが喋り終わり、ブラジル人の番になった。緊張が一気に高まった。正直この段階まで、プレゼンの内容をほぼ何も聞いていない。最初のメキシコ人の入りがとても上手だったことに衝撃を受けたこと以外は、緊張以外の感情はなかった。落ち着かなくて、始終体を揺らしていた。そしてついにブラジル人が今から日本の例を挙げます、と言った。

あたりは静まり返った。自分は発表の場の中心まで静かに歩き、細めで鋭く観衆の方を向いた。「暴れん坊将軍」で松平健が殺陣をやっているシーンの途中で、必ず悪の親玉をクワっとにらむ瞬間がある。その時に「カーン!」と効果音がなるのだが、まさにそれをイメージしたのである。そしてその後、45度の角度で深くお辞儀をした。これが日本流のあいさつの仕方です、と言った。まだ笑いはない。息苦しい。そして観衆に問いかけた。「お前らクリスマス休暇はエンジョイしたか?お前ら年賀状は書いたか?」と訪ねた。かすかに何人かが首を横に振る。「俺達日本人は年末はつまらねんだ、なぜなら得意先、上司、同僚、みんなに年賀状を書かなきゃいけなくて、それだけで休みが終わっちまうんだよ!」と言った。かすかに笑いが起こった。だがまだ自分が波に乗るには足りない。「嫁さんは俺が休みになると嫌な顔をするんだよ、俺が家にいると料理をしなければならないだろう?」ここでも笑いはかすかだった。おかしい、思ったより笑いがない。大分危ない感じだ。「クリスマス休暇と言ってもつまらないよ。働きづめで、娘が俺の顔を知らないんだ。『Who are you?』って言うんだよ…」観衆の中にはシリアスな顔をして、そうなのか~と感じ入っている人もいた。「それに嫁さんと長い時間いると場がもたないんだよ」結構な数の観衆が笑った。すかさず教授が「それは万国共通だ」と横からコメント。一気にクラスのボルテージが盛り上がった。これには救われた。一気に勢いが出てきた。最後は日本のゴルフで占めた。「日本人は土日を使って客とゴルフをするんだ。こんなふうにね。」自分は、客のスイングのまね、そしてそれを殊更大げさに拍手喝采する接待をする側のまねをした。「いいか、ここがポイント。日本人は目が笑っていないんだ、口だけ。」そして口だけ横に広げて笑う仕草をした。教室は爆笑に包まれた。やった、とりあえずビジネススクールの本コースで一度皆のハートを掴んだ。最後は「こんな風に一体何のために働いているかわからない日本人が多いから、僕はこのOrganizational Behaviorという授業に大きな期待を抱いているのです。」という言葉で占めた。教授は「Yes!!」と力強く肯首してくれた。それと同時に拍手が沸き起こった。終わった…。緊張が解けて足がふらついた…。

席に戻ると、眠気が一気に襲ってきた。朝一のプレゼンの終了と同時に、自分にとってその日はもう終了したのだった。

2009年1月23日金曜日

クリスマス休暇⑥ ~三度!パリ編~

グループワークやら何やらで更新が大分遅くなってしまった。クリスマス休暇の記憶も段々と薄れてきている。

クリスマス休暇最後の目的地はフランスパリである。この誰でも行くような観光都市巡りも、最後は世界で最も観光客が多いパリで締めくくられることとなるのである。

なぜパリかということだが、海外で年越しをする生まれて初めてのチャンスなので、どこがいいだろうかと考えた。そしたらパリが思い浮かんできたのだ。きっと旅慣れた人なら、ここのスポットが年越しにはいいんだよ、とか言うのだろうが、自分はそういうのは知らない。パリしか思い浮かばなかったのだ。

ブリュッセルからの電車は、パリ・ノード駅に着いた。この日は大分雪が降っていて、駅の中までタクシーを待つ客の長い列が出来ていた。地図を見ると、近そうに見えるが、実際ホテルまでの距離はかなりあった。エッフェル塔の近くだった。やはりパリは広いのだ。

最初の日は、特に目的もなくぶらぶらすることにした。というか、目的意識の希薄な旅行であったなあと思う。しかしその分リラックスできたことも確かだろう。ガイドブックを見て。地下鉄のマドレーヌ駅で降りた。人通りも、街の雰囲気も今まで訪ねてきた街の中では、なんというか一番賑やかだった。途中でやたらとピカピカに光っている建物を見つけた。パリのデパート、ギャラリーラファイエットだった。ちなみに自分はデパートではやはり新宿伊勢丹MENS館が断然好きである。青山だ代官山だかのセレクトショップがいいんだよ、といったこだわりはない。おしゃれに敏感な会社の同期や後輩が気にしていた名刺入れも、迷いなく「Isetan mens」のロゴが入ったものを買ったくらいだ。だから新宿伊勢丹MENS館より良いか悪いかでデパートを判断してしまう。そして最近はマドリッドに住んでいるので、スペイン随一の(というか唯一の?)デパート、エル・コルテ・イングレスとも比較するようになっている。まず入口に入った瞬間にエル・コルテ・イングレスの敗北が決定した。商品の陳列はやっぱりきちんと気を配っているなあという印象を受けた。奥に入ってから、この旅4カ国の中では最も洗練されていることを確信した。考えてみればファッションの街パリなんだから、当然と言えば当然なのだが、マドリッドにしばらく住んでいるせいで、パリのデパートですら、エル・コルテ・イングレス程度なのではないか、という懸念をいつの間にか抱いていたのであった。しかし、新宿伊勢丹MENS館には敵わなかった。新宿伊勢丹MENS館は世界一かもしれない。


ギャラリーラファイエットの内観

この日の夜は、LeedsのPre-MBAで一緒だった友達もパリに来るということで、一緒に食事をすることになった。久しぶりに会ったが、特に変わりはなかった、と思う。(そうだよね?)Leedsにいる他のみんなは何をしているのか、どんな様子なのか、等など話をしていたらあっという間に時間が過ぎてしまった。Leedsにいた頃が今は幻のようだ…。

二日目もホテルを14時くらいに出た。もう午前中に起き上がることは不可能になっていた。この日は世界で一番有名な通りかもしれないシャンゼリゼ大通りにいった。凱旋門も間近でみた。さすがに3回目なので、もう特に感動はない。それでもたくさんの人で大賑わいだった。いったいこの地球上には何人人間がいるんだろう。毎日あれだけの人間がシャンゼリゼ大通りと凱旋門に初めて来ているのだから、いずれ人類はシャンゼリゼ大通りと凱旋門に感動しなくなる日が来るのではないかと思ったのだが、どうやら今尚人々はシャンゼリゼ大通りと凱旋門に感動をし続けているようである。このシャンゼリゼ大通りにはあの有名なルイヴィトンの本店がある。もう並ぶのが恥ずかしくてたまらないくらいミーハーなスポットなのだが、一回も行ったことがないのでミーハーな自分としては無性に行きたくなってしまった。嫁には止められたのだが、言うことを聞かずに並んだ。中はまるで博物館のようになっていて、ルイヴィトン製品が芸術品の如く並べられている。そしてたくさんの日本人を含むアジア人がこぞって買い物をしている。中にはでかい声で、且つ傲慢な態度で店員に様々なことを要求する、品性に欠けた客もたくさんいた。こうした客を増やしてまでも、さらなる繁栄を目指すことがルイヴィトンの目指すところなのかはわからない。少なくともルイヴィトンの製品の質そのものを求めて買おうという客というのはあまりいないのではないかと思う。餅は餅屋の精神とはかけ離れた繁栄なのではないか、とも思うのだが、一方でそういうことを言っている自分はやはりラグジュアリー業界の素人なんだろうとも思う。


観光客を魅了して止まないルイ・ヴィトン本店

行列の出来ているお菓子屋もあった。何とかというところで、マカロンが有名なようである。何と言ってもこのクリスマスバージョンの袋や箱が可愛いということで、かみさんに付き合ってまた長蛇の列に並ぶことになった。

自分にとってシャンゼリゼ大通りで楽しかったことは、PAULのサンドイッチとハーゲンダッツがおいしかったことである。つまり、別に世界中どこでも食べられる味に満足をしていたということだ。


パリでは”荒地の魔女”もお買いものをしています。

この日は大晦日だった。念願の海外でのカウントダウンである。学校のグループメートのフランス人から、エッフェル塔の下がいいよ、と言われていたので言われるがままにエッフェル塔の下に行った。ものすごい数の人がエッフェル塔に向かって行く。警官やパトカーもきっちり配備されている。露店ではシャンパンが売られている。年越しと同時にシャンパンを空けるのである。エッフェル塔の下ではいろんな人間が集まっていた。フランスのヤンキーかインターナショナルやヤンキーなのかはわからないがそういうのがいっぱいいて、一触即発のムードを醸し出していたり、さわやかな白人青年がずっと一人でカウントダウンを待っていたりした。自分はシャンパンがちゃんと空くようにコルクをいじっていたのだが、年越し前に開いてしまった。挙句の果てに酔っていたやつらに突然シャンパンをとられ、瓶ごとジュブジュブと飲まれてしまった。もうシャンパンは飲めなくなってしまった。午前0時数秒前になった。エッフェル塔に飾ってある星が一つづつ消えていった。そしてついに最後の星が消えたとき、みんなシャンパンを空けてたり激しく抱き合ったりし始めた。明けましておめでとう!こんなもんか、という感じではあったが無事にこの旅の重要な目的が果たされたのである。帰りはみんな暴れ気味で結構危ない感じだった。黒人の集団がものすごい声で叫びながら、いきなり全速力で走り始めたりしていた。オリンピックみたいだった。


カウントダウンを待つエッフェル塔

新年明けて元旦。この日はパリディズニーランドに行くことにした。ディズニーランドに行くまでの駅と電車は汚くて雰囲気がものすごく悪く、人もあまり載っていなかったのだが、ディズニーランドには結構な人がいた。チケット一枚買うのに何分時間がかかっているんだ!というくらいあまりにも遅いオペレーションのため、長時間氷点下の中並ぶことになった。このディズニーランドは、ヴィレッジというアトラクションの領域が2つあり、両方入るためにはチケットが割高になる。しかし目玉のアトラクションを両者に意図的に振り分けているようでもある。まんまとディズニーランドの夢いっぱいの創造的な戦略にはまるべく、両方に入れるチケットを買い入場した。最初にスペースマウンテンのファストパスを入手した。そして無性にキャラメルポップコーンが食べたかったので探したのだが、なかった。仕方なく普通のポップコーンを甘くしたものを食べた。まあこれもまあまあなので良い。そのあとやたらと激しく急降下するアトラクションに乗った。急降下の時間がとても長い。いい歳をして、かなり怖かった。でもそれだけ充実のアトラクションだった。出口で急降下時の写真が掲示されている。買いたい人は買えるやつである。大勢の客の中で自分だけが目をつぶっていたことが情けなかった…。スペースマウンテンに乗るまでは時間があり軽食処でコーヒーを飲んでいたのだが、欧州フードに嫌気がさしてきて、たまらなく中華料理か韓国料理が食べたくなった。そして即時パリ中心へ戻ることを決意したのである。

結局行列ができると言われる中華料理に行った。ここはなかなか良かった。スープ、チャーハン、豚。味が深いねえ、本当に。真の意味でおなかがいっぱいになった気がした。

次の日は、オルセー美術館に行った。オルセー美術館には行ったことがないものとばかり思っていたのだが、行ったことがある場所だった。ルーブル美術館でゴッホの自画像を観て感動したんだよお、とほざいていた自分だったが、実際はオルセー美術館であった。大分いい加減な感動だったなあ、と反省した。

この日の夜は、パリ最後の夜ということでうまいものを食べようとレストランを予約した。3つ星レストランシェフの何とかという人がその3つ星レストランを閉めて新たにオープンをした店であった。おいしいのだが、そこまでおいしくなかったのが残念。変な日本語だが、こういう感想がしっくりくる感じなのである。やはりフランス料理でありながら、レストランひらまつは本場を凌駕しているなあとつくづく思ったことよ。

翌日、シャルルドゴール空港から、大幅に出発が遅れたeasyJetに乗り、日付が変わった頃マドリッドへ帰ってきた。マドリッドは驚くほど温かかった。温度が本当に温かかったのか、マドリッドに来て心が温まっていたのかは、未だわからない。

2009年1月17日土曜日

クリスマス休暇⑤ ~えっ!ブリュッセル編~

ブリュッセル南駅に着いた時、え?なにここ?みたいな印象だった。電車から見える景色は真っ暗。建物も古めかしく、道路を照らす電灯も元気がない感じがした。ここは一体…。

ホテルにタクシーで行こうとしたら、近い場所だからと乗車を拒否された。とはいえ、周辺に目立つものがなく場所が分かりにくいのに…。仕方なく歩いて探すことにした。街は暗い。夜だからではない。雰囲気が暗いのだ。何とか途中にあった店の店員に地図を見せて、どう進めばいいかわかった。しかしホテルまでの一本道がかなりやばい雰囲気だった。人が歩いていない。建物は老朽化が激しい…。この欧州旅行で初めて恐怖感を覚えた。

何とか歩いてホテルに着いた。ホテルの人間に、この周辺は結構危ないのではないか?と尋ねてみたが、「そんなことはない。どこにいっても自分が注意していれば大丈夫だ。」と月並みな答えが返ってきた。参考にならない。早速部屋に着くとネットでブリュッセルの治安について調べてみた。どうやらこの南駅周辺は特に雰囲気が悪いらしく、みんな避ける傾向にあるらしい。観光の中心地ではやはりスリが多いが、それ以外の犯罪というのはあまりないようなことが書いてある。つまり、雰囲気の割には犯罪は少ないということらしいのだ。「ヨーロッパの首都」と呼ばれるブリュッセルだが、まさかこんなところとは…。

とにかく夜飯を食べるために、観光の中心部に行ってみた。ブリュッセルには世界で一番美しいといわれるグランプラスという広場がある。ちょうどクリスマス用のセッティングがされていて、「ああ、ここは確かにいいねえ。」と呟いた。夜飯は、いかにも観光客用のベルギー料理レストランが並んでいるところの内の一件に行ってみた。ベルギービールを飲んだ。これはまあおいしいかな。次に名物ムール貝のワイン蒸しが出てきた。これは普通であった。というか、こんなにムール貝だけ食べることなんて出来ないだろう、というくらいの量が出てきた。その後も最後まで、感動するような味には出会えなかった。

世界一美しい広場と言われるグランプラス

こんなもんか、という気持ちで次の朝もどちらかというと重い足取りでやっぱり午後2時くらいにホテルを出た。特に何を見たいわけでもなかったのだが、小便小僧だけは見ておきたかった。「世界三大がっかり」の一つと言われるブリュッセルの小便小僧。グランプラスから歩いてすぐのところにある。実際に行ってみるとたくさんの観光客が写真やビデオを撮っていた。みんな心なしかクスクス笑っている。ち…小さい!これは本当に駅ビルの待ち合わせ場所にあるような小便小僧である。皮肉にも期待を裏切らないがっかりぶりに、妙な満足感を覚えてしまった…。

見事期待に応えてくれたマネキンピス

その後は特にやることがなくなってしまったので、街を歩くことにした。ブリュッセルは一日で充分歩ける規模の街らしい。ふらふらしているとブリュッセルにもやはりブランド品街があることを発見、そこは綺麗に整備されていた。その近くにはコンラッドホテルがあり、中はどんなだろうとずかずか入っていったが、結局トイレだけ使って出てしまった。この日の晩飯も、どうも冴えないレストランに入ってしまい、気持ちが高揚することはついぞなかったのだった。

そういえばベルギーでもやはりマクドナルドに入った。コーヒーを注文しただけだったが、オペレーションの速さはなかなかのものだった。それに注文したコーヒーは、レストランで出てくるコーヒーとさほど変わらない気がする。

翌日、ベルギーが誇るといわれている(といってもフランスのTGVの車両を使っている)THALYSに乗り、この旅行最後の国、フランスに向かった。

2009年1月11日日曜日

クリスマス休暇④ ~衝撃!アムステルダム編~

オランダという国は穏やかな国だというイメージを持っていたので、首都であるアムステルダムも静かなもんなんだろうとばかり思っていた。ところが空港に到着すると驚いた。空港は綺麗に整備されていて、飲食店やファッションの店がたくさん並んでいる。スペインやイタリアといったラテンの国とは少し違った匂いがした。

だが、空港からアムステルダム中央駅までの電車は打って変わって汚かった。そして車内も暗かった。空港の綺麗さとは対照的である。外は夜だったのだが、見る限り日本の景色に似ている気がした。マンションやビルが結構多く、その明かりが灯っている様が、総武線で浦安あたりを通りすぎる時に見える景色に似ているのだ(大分主観的だが)。

アムステルダム中央駅も空港と同様に結構たくさんの店があった。フレッシュジュースを売っている店もある。食べ物を見たくもなかった自分であるが、久々に食欲が出てきた。ゲルマン系の国に来た途端に元気になったので、やっぱりラテン系は合っていなかったのではないかという気持ちがこの当たりで大分強くなっていった。但し自分は周りの人間に「君はラテン系だよねー」とよく言われるのだが。

アムステルダムはものすごく寒くて、ホテルの部屋も暖房が効いているのかいないのかわからないくらいだった。こんなホテルは早く出て夕飯を食べに行こうと、街で最も賑わっているダム広場周辺に繰り出した。ダム広場周辺は、渋谷センター街みたいに汚くてやさぐれた感じがしていた。でもそれが逆に面白そうな雰囲気を醸し出していた。

ごちゃごちゃしたアムステルダム中心街

オランダ料理屋を見つけられず、それに肉が食べたかったので、結局アルゼンチン料理屋に入った。マドリッドと全く変わらない選択肢なのだが、不思議とスペイン語で話しかけられると懐かしい感じがした。しかもそこで出てきたステーキは美味しかった。ミラノのオニオンスープに続き、美味しい料理に当たっている。大分胃の調子も治ってきておりご機嫌であった。

料理を済ますと、周辺をさらに歩いてみた。何やら怪しい雰囲気の通りに入ってしまった。どうみてもガラの悪そうな若者がたくさんたむろしていた。そして「coffee shop」と掲げられた店がたくさん軒を連ねていた。そこら中で異臭がした。そう、みんなマリファナを吸っているのだ。オランダではマリファナは合法らしく、年老いた夫婦までもがとてもリラックスしながらマリファナを吸っている。coffee shopはマリファナ屋ということらしい。なんだよそれ、と思ったのは、coffee shopのドアや窓には、「Tabaccoは禁止されているが、SmokingはOKだ」と書いてあることだ。(ただ日本の外務省のページをみると、どうも今やオランダでもマリファナは合法ではないと書いてある。)

アムステルダムはマリファナ以外でも有名である。アムステルダムの運河はとても綺麗なのだが、その綺麗な運河に沿って、赤い電気に照らされた大きな窓のある建物が並んでいる。そしてその窓からは裸の女性が自信満々の表情で男性を誘っている。「飾り窓」である。これもまたオランダでは合法であるらしく、昼間っから公然と営業が行われている。もはや一種の観光スポットと化していて、ツアー客がコンダクターから説明を受けている。小さな子供や、多感であろう少年少女達もわいわいとこの飾り窓を見物している。

飾り窓

夕食はオランダ料理を食べようと、レストランに入ろうとした。しかしそこのウェイターはもう営業時間は終わったという。仕方なく、周辺の庶民的中国料理屋に入った。美味くなかった。塩味が不足していて、チャーハンが特に残念な味をしていた。中国料理でここまで外したのは初めてである。依然小腹が空いていたので、何か食べ物は売っていないかと徘徊していると、さっき入ろうとした営業時間が終了しているはずのレストランがまだ営業をしていた。

あれ、おかしいな…。おそらく、これは人種差別だったではないかと思う。店内には、アジア人がいるのだが、その連れは皆白人であった。それに先ほど来たときよりも客が増えている気がする。これには本当にいらついた。本当のところはどうだったのかはわからないが、考えれば考えるほど腹が立った。怒りと悲しみが混ざった感じ。露店で売っていたおいしいエクレアが口に入るまで、この何とも言えない気持ちはおさまらなかった。

次の日、ベルギーの首都ブリュッセルに行くため、アムステルダム中央駅で予約していたユーロスターに乗ろうとした。しかし驚いたことに、駅の店員は「この予約は無効だ」と言い出した。「この予約番号はベルギーやフランスで有効だが、オランダで乗車する場合は使えない。オランダで再度切符を買って、この予約した切符はブリュッセルで払い戻してもらえ」と言っていたのだ。そんな馬鹿な、ユーロスターはEU圏内にすべてネットワークが張り巡らされているのだろう?チケット予約がオランダでは無効で、ベルギーでは有効だなんてことがあるのだろうか?だがそれでも結局解決策はなく、アムステルダム発ブリュッセル行きのチケットをもう一回買った。今度はユーロスターではなく、古びた鈍行電車だった。

短い間にも色々なことがあったアムステルダムであったが、総じて刺激的であり楽しかったなあと思った。アムステルダムからブリュッセルに向かう途中、デン・ハーグやロッテルダムを通過した。欧州ではあまり見ることのなかった高層ビルが結構たくさんあって、日本を彷彿させた。オランダは、人口1600万人位の小国ながらフィリップスやロイヤルダッチシェル等グローバル企業がある。それにサッカーやスケートも強い。アムステルダムの混とんぶりには衝撃を受けたのだが、やっぱり偉大な国なんだろうなあ、なんてことを車内で考えていた。

しかしこうした満足感は、次の都市ブリュッセルに入った途端に失せることになる。

2009年1月10日土曜日

クリスマス休暇③ ~電撃!ミラノ編~

フィレンツェを後にした我々は、世界一美しいと言われるイタリアのユーロスターに乗り、ミラノに向かった。学校の友達の誰に訊いても、ミラノは良くないと感想を漏らしていた。しかし、イタリアの経済の中心であるミラノを無視することはどうしてもできなかった。

電車で持ってきていたケースを読んでいたが、予想通り気持ち悪くなってしまった。それにユーロスターというのはスピードは確かに速く300キロ出るのだが、とにかく揺れが激しい。おそらく日本だったらこれほど揺れる電車を実用化することはないだろう。揺れが激しくてテーブルにコーヒーを置くことができないのだから。

電車がミラノ中央駅に近づくと、ローマでは見ることのなかった近代的な企業ビルがちらほら建っている。経済の中心という感じがしてきた。いろいろ観てみたいのだが、実は空港行きのバスの発車時間まで2時間しか時間がない。「世界弾丸トラベラー」みたいな状況になってきた。

ミラノと言っても特に何があるかはわからなかったので、タクシーでドゥオモに向かうことにした。観光本にミラノといえばこれが載っているので、名所巡りがあまり好きでない自分と嫁であったが、時間もないので一直線に向かった。

ミラノ中央駅からのタクシーからは、KPMG、クレディスイス等の国際企業が入っている大きいビルが見えた。やはりミラノは金融やファッションが発達しているだろう。だが街の中心に入っていくと歴史的な建物が見えた。路面電車とその電線があいまって、結構ごちゃごちゃな景観だった。

タクシーはドゥオモに着いた。思ったより、大きくない。タクシーの運転手のおじさんは、是非建物の屋上まで上ってみろ、そうすればミラノの街が一望出来ると言っていた。ハウス劇場「ロミオの青い空」を毎回欠かさず観ていた自分としては、大変魅力的な選択肢だったのが、如何せん大量の観光客が入口前に並んでいる。ドゥオモはどんなものかということを感じることができたので、もういいかということで昼食にすることにした。

ミラノのドゥオモ

ドゥオモのすぐ横に屋根付きのショッピングストリートがあった。そこには有名ブランドがたくさん並んでいいた。バカっぽい表現をすれば、「超ミラノっぽい」。結局この通りのレストランに入ることにした。依然として胃を壊している自分としては、もはや食べること自体(マクドナルドを除く)が恐怖だったのだが。しかしここで食べたオニオンスープは結構おいしくて、久々に食が進んだ。イタリアで一番食事がおいしかった食事はこれに決定!ピザでもパスタでもリゾットでもない、スープがイタリアで一番おいしかった。

ディズニーランドはこういう雰囲気を出したかったのかしらん

レストランを出ると即タクシーに乗り込み、ミラノ中央駅に向かった。ミラノ中央駅から空港までのシャトルバスの中から外の景色を眺めていた。少し走ると、たくさんのビルが建設中であった。そこには歴史的な雰囲気は一切なかった。なるほど、学校の友達がミラノに対しあまりいい感想を持っていない理由がなんとなくわかった。

ミラノの空港は欧州有数の空港ということでワクワクしていたのだが、easyJetはしょぼいターミナルからしか出発しないので、やっぱり大分古びたターミナルだった。がっかりである。

ミラノはとりわけ面白いことはなかったのだが、2時間しか自由時間しかなかった割には色々経験出来た。まあこれで良しとしようと思った。

煮え切らない気持ちを抱えたまま、飛行機は次の旅の舞台、オランダへと向かうのだった。

2009年1月7日水曜日

クリスマス休暇② ~ミーハーフィレンツェ編~

クリスマス休暇旅行第二の目的地はフィレンツェである。フィレンツェという発音でずっと慣れていたのだが、英語ではフローレンスというらしい。

どうせ「冷静と情熱の間」に感化されて日本人だらけなんだろうがーと思っていた。しかしフィレンツェに到着した途端、当の自分自身の頭の中で、エンヤの歌が流れ始めた。そしてドゥオモに行く気マンマンになってしまったのである。

駅に着くと、腹ごしらえをするためにマクドナルドに入った。前日ピザにひどい目に遭わされたが、マクドナルドは自分を裏切ることはない。それに旅行をしたら、必ずその国のマクドナルドに行くことは唯一決めているポリシーなのである。ちなみにどこのマクドナルドに行っても、注文するものはハンバーガー、ポテト、チキンマックナゲット、コカコーラの4点に必ず絞っている。こうすることで、各国のマクドナルドの味の違いを確認することが出来るからである。若干ハンバーガーの肉が固い気がしたが、それほどの問題はない。ところでオペレーションの早さもまた重要なチェックポイントである。観光客慣れしたフィレンツェの店員はとてもてきぱきとしている。スペインとは大違いである。マドリッドはもう諦めているので仕方ないが、バルセロナに行った時でさえ、観光客がとても多い街なのにオペレーションが遅かった。あの時はたぶん自分で自分が何を注文したいかすらわかっていない客だったので、あそこまで遅かったのかもしれないが。

この街で最初に滞在したホテルは素晴らしかった。冷蔵庫の中の飲みもの、Wifi利用がすべて無料。おまけにバスルームのアメニティがなぜか全てフェラガモであった。フェラガモのシャンプーとトリートメント、そしてシャワージェル…。大した値段ではないにも関わらず、充実している。

フェラガモ製アメニティ備え付けのバスルーム

それにしても、フィレンツェでもやはり寝ることを優先してしまった。昼過ぎに到着したが、ここでも夕方まで寝てしまったのだ。外はもう暗くなっている。日本人を魅了して止まないフィレンツェだが、我々は全く気にせず重い足取りで外に出た。

しかし出てみると驚いた。霧がかった街の風景は幻想的でとても綺麗だった。有名スポットの一つであるポンテベキオという橋に行ってみた。橋の上では貴金属屋が軒を連ねている。暗くなった空と橋の上の明かりのコントラストが素晴らしい。フィレンツェが世界中の人達を魅了し続けている理由がわかった気がした。

川沿いから眺めるポンテベキオ(左)とフィレンツェの建物群

しかしちょっと歩いてみると、露店区域があって、もうそこはほとんどアジアと変わらなかった。売っているものはどこも似たようなものだ。フィレンツェというだけあって、革製品がたくさん売っていたのだが。露天商はやはり肌の浅黒い人達だった。彼らがイタリア人なのかそうでないのかはわからないが、やはりイタリアでも肌の色の浅黒い人達の多くはこうした露店商売などで生計を立てているのかもしれない。きらびやかなフィレンツェでもこうした現実がすぐそばにある。

この日はクリスマスイブだったが、イタリアのピザは自分を依然として攻撃し続けていた。気持ち悪くて、この日の夕食はリンゴだけであった。メリークリスマス!!

翌朝も午後に起きた。午後の2時くらいにホテルを出た。今日はドゥオモに行くぞと意気込んでビデオカメラを撮影しながら、ドゥオモに向かっていった。周りには観光客がごった返している。また頭の中でエンヤの歌が流れ始め、竹野内豊とケリー・チャンを思い出した。

でもドゥオモは閉まっていた。

そんなバカなと思い周りを一周してみたが、やはり中に入ることはできない。フィレンツェの街を見下ろすのを少し楽しみにしただけにとても残念だ。エンヤは自分のことを嫌いらしい。

どうでもいいが、「冷静と情熱の間」を話題にするのって、遅れているのだろうか…。

夕食は、観光客向け丸出しのレストランに入った。もう胃は治ったものと調子に乗っていたのだ。でもすぐに胃の調子が悪くなり、近くの薬局に駆け込んだ。フィレンツェは英語が通じるので、これは助かった。もうレストランに入ること自体が怖くなった。

ローマ、フィレンツェと旅をしてきたが、この段階で、イタリア最高の食事はマクドナルドであることは言うまでもない。

2009年1月5日月曜日

クリスマス休暇① ~ピザ地獄ローマ編~

新年あけましておめでとうございます。

クリスマス休暇で欧州旅行に行っており、ブログの更新が随分と遅くなってしまった。クリスマス休暇の大半を費やした旅行について各国ごとに綴っていきたいと思う。

今回の旅行は飛行機と鉄道の旅である。飛行機だが、今回初めてeasy Jetを使った。噂には聞いていたが、本当に席が定まっておらず、早いもの勝ちだった。みんな搭乗時間に合わせて長蛇の列を作っていた。自分は面倒くさいので、大方の搭乗客が列に並び終わった後、ほぼ最高列に並んだ。チケットとパスポートを見せた後、機内に入る直前でも人がたくさん並んでいた。機内で客が席を選んでいるからみんな中に入ることが出来ないのだ。

どうして席を固定しないのだ?easy Jetは追加料金を支払うと、機内に早く搭乗出来るオプションがある。どうしても気に入った席を選びたい人はこれを利用するわけだ。ただこの追加料金は一人当たり数十ユーロなので、全体的にも大した金額にはならないと思う。つまりこの追加料金狙いで席を固定していない、ということでもなさそうだ。

ということは、座席固定制度を採用することで何かしらのコストがかかるということなのだろう。航空会社について詳しく知らないが、例えば2人の客や3人の客をうまく組み合わせて座らせる仕組みに金がかかるのかもしれない。こうしたこともその内ケースで勉強するのだろうか。

機内のシートは本当にチャチである。背もたれにもたれかかるとパコパコ音がする。前の座席までの距離が極めて狭い。日本人男性のほぼ平均身長の自分が狭いと感じるような機体でもって、欧州を中心に事業を展開しているeasy Jet。

それでも、こうした航空会社があるおかげで、多くの人間が気軽に飛行機に乗り海外旅行を出来るようになった、に違いない。(欧州はそうでもないのかな??)

何はともあれ最初の目的地、ローマに到着。ローマは学生の時の卒業旅行以来である。空港からテルミニ駅に着くと、学生時代にも確かに目にしたことのある光景が広がっていた。荷物が重いので、タクシーでホテルまで行こうとしたが、乗車を拒否された。この旅行の最初のタクシートライは失敗に終わったのだ。仕方なく地下鉄でホテルに向かうことにした。驚いたことにローマの地下鉄は暗くて汚い。これだけ有名な国際都市であるにも関わらず、特に改装をしようという動きもない。おまけに市内を十字に2線走っているのだが、市内の大部分がこの十字にカバーされていないので、極めて使い勝手が悪い。

しかし注意表記だけは何故かかわいい

ホテルに正午に着いた。朝早かったので、とりあえず一眠りしてから市内を回ろうということになった。しかし自分も嫁も眠ることをとても大切に考えているので、どんどん寝てしまい。気づいたら夕方の5時。それでもあまり気にしなかった。体を酷使して観光スポットをたくさん回るという旅行が二人揃って嫌いなので、十分に寝て余った時間で可能なだけ街を回ろう、という姿勢はこの旅行で終始一貫していた。

お腹が空いていたので、雰囲気が良さそうなレストランに入った。パスタとピザを注文した。予想通り、大しておいしくなかった。日本で出てくるもの以上のものを期待していたが、それはないのだ。日本で出てくるパスタとピザは、日本パスタとか日本ピザというような新しい食べ物の種類として分けられるべきだろう。

次の日は、コロッセオと真実の口に行った。真実の口に行くのは、如何にも観光客っぽくて恥ずかしかったのだが、いざ目の前に来るとウキウキして、口に手を入れて手を食べられてしまうフリをしてしまう自分が情なく、そして可愛かった。

この日の夜は、グループメートのローマ出身のイタリア人からもらった情報で、特にローマでもおいしいレストランが軒を連ねている場所に行くことが出来た。IEに来て初めてネットワークが有効だと思った瞬間である。感じのいいレストランが石畳の道の上に並んでいて、とても雰囲気が良い。イタリアに来たなーという実感が湧いてきた。一軒行列が出来ているレストランを発見したので、結局そこに入ることにした。2階に案内されると、誰も客がいないのに、前の客と隣り合わせで座らされた。何だよ気が利かねーなーと思っていたが、すぐに客席は完全に埋まってしまった。相当人気のある店らしい。出てきたピザは生地の薄いナポリピザだった。生卵が乗っかっている。かじってみると、これがなかなかおいしい。嫁はおいしいおいしいと騒いでいる。やはり地元に住んでいる人間の情報は確かである。

そのレストランの近くにはイタリアっぽいジェラート屋があった。自分はすかさず寒い中ジェラートに食いついた。ホテルまでのタクシーの中でもむしゃむしゃとジェラートを食べていた。

ホテルに戻ると、何か胃の調子がおかしい。ビールを一杯しか飲んでいないのに気持ちが悪いというのは妙である。シャワーを浴びれば何とかなると思い、熱湯のような熱いシャワーを浴び、そして寝た。

夜中に目が覚めた。異常に気持ち悪い。ジワジワではない。極めて急激に気持ち悪い。トイレに駆けこみすべて出してしまった。ローマで嘔吐…。理由はわからない。ピザなのか、ジェラートなのか、ただの食い過ぎなのか。

自分を極限まで追い詰めたピザ

この日を境に、何も食べ物を受け付けなくなってしまった。そしてピザが大嫌いになった。