2009年12月22日火曜日

卒業式

12月19日金曜日、ついに卒業式を迎えた。レアルマドリッドの本拠地であるサンティアゴベルナベウスタジアムの横に、大きな講堂があり、卒業式はそこで行われた。集合時間の10時をちょっと過ぎた頃に行くと、すでにたくさんの学生、そしてその親族等が集まっていた。実際、自分の国から家族が来る学生は多く、彼らは他の学生からInvitationを譲ってもらわなければならない。自分も一人で出席することになっていたので、バルバドル人の友人にInvitationをあげることになった。

レセプションで、”International MBA”と書かれたタスキのような(?)ものをもらい、これをスーツの上からかける。ガウンと角帽がないのが残念だったが、ここはビジネススクールなので、それもいいか、と思った。

会場内ではコース、クラスごとに着席をすることになった。しばらくするとDeanから挨拶があった。滅多に見ることのないDeanは、ユニークを交えながらスピーチをしていた。13か月前、セゴビアのIE University で入学式があった時は、このDeanの英語が何をいっているのかほとんどわからなかったのだが、今はもう違う。英語力も少しは上達したということだろう。

やがて、お待ちかねの学位授与の時間がやってきた。入学式の時は、特段の感動もなかったと以前ブログに書いたのだが、この時はやっぱり嬉しかった。学生の名前が次々と呼ばれ、順番にDeanより卒業証書が授与される。みんなも嬉しそうである。そりゃそうだ、この日の為に頑張ってきたのだから。ついに自分のクラスであるN4の順番になった。クラスのみんなが呼ばれていく。何故だかこうして自分のクラスメートが授与されていく姿をみて、誇らしい気持ちになった。そして自分の名前が呼ばれた。Deanと握手をし、証書を受け取る。この瞬間、大学の時から夢みていたMBAになったのだ。授与された瞬間自分の能力が急に上がるわけではない。ドラゴンボールの「超聖水」と同じで、それを手にする過程において、成長してきたのだ。

ところで、この卒業式はLive中継で世界中にネット配信されていた。先に帰国した嫁、そして両親と妹も実家でこの様子を見ていたらしい。他の学生の親族もみんなこれを見たことだろう。自分は欲張って、それに加えてビデオカメラを携えて卒業式に臨んだのだが。

式にはその他にAwardを授与する時間が設けられていた。要するに、誰が一番成績良かったか、どの教授が一番良かったか、を発表するのである。自分のクラスは学級委員のブルガリア人が受賞していた。彼女は聡明且つ性格も良く、この受賞には誰も異論がないだろう。教授は、自分のクラスがコアタームの時に受講したStrategy Managementの教授が受賞していた。隣に座っていたイギリス/フランス人の女学生が「彼は私にとっては最低の教授だわ」とつぶやいていた。こっちの方はいろいろと意見が分かれるようである。

式の後は、カクテルパーティーがあった。ここでみんな家族を含め談笑をしたり、写真を撮ったりした。みんなでおめでとうと言い合っていた。自分は引越しの準備が完了しておらず、且つ一番の仲のいいフランス人が最後のパーティーに来ず、その代わりに夜ディナーをする予定になっていたので、もしかしたらこれが最後になるかもしれないという気持ちでみんなと話をしていった。中には「じゃあまた夜のパーティーでね」と言って別れた者もいるが、それが最後の別れになってしまった。だが、「これが最後だね」と言って別れるのはとても嫌なので、こうしたさもまた明日も会うような別れ方の方が良かったのである。

その夜、フランス人の家で、近くの日本食レストランでTake outをしたものを食べた。彼の家族は翌日から彼の奥さんの故郷であるエクアドルに行くことになっていたので、準備が忙しく手間をかけることが出来なかったのだ。だがこの普通な感じが快適だった。この奥さんは本当に優しく、そこの坊やは自分の子供に対する価値観を変える程に可愛い坊やである。最後の最後で、みんなと同じパーティーに出席せず、一番仲の良い友達のスケジュールに合わせて過ごす。ネットワーキングを徹底重視するMBA的には失格な過ごし方かもしれないが、自分らしい過ごし方をしたと思う。

こうしてMBA生活が静かに幕を閉じた。

2009年12月17日木曜日

引越し完了

帰国準備を進めているが、いよいよ引越しも完了した。マドリー滞在もあと3日である。ヨーロッパ生活ももう終わりなのだ。

ところで、何故か先週末から咳が出て、これまで一向に止まる気配がない。パブロン飲み続けているが…市販の薬は効果が弱くて困る。引越し準備で飛び散った埃のせいなのだろうか…。苦しい。

帰国直後に吉野屋に行くという、ささやかな楽しみが近づいている。

2009年12月11日金曜日

The funniest presenter

クラス最後のディナーで、クラスメートへのAwardの授賞式が行われた。クラスメートの投票で決まるAwardもあれば、実行委員がクラスメート一人一人のために考えたAwardもあり、最終的にクラスメート全員が何かしらのAwardを受けるという楽しい企画である。クラスメートから見たその人の特徴を表彰する場であるともいえるだろう。

自分は、"The funniest presenter"のAwardをもらった。これは嬉しかった。ただ、トイレに行っている間に自分が表彰されていたらしく、タイミングを逃してしまい、トイレから出てきた自分をみんなが待ち構えていてくれた。おお…ここでもfunnyに受賞しなくては…。

クラスメートに比べて英語が下手くそな自分は、何とか自分なりのプレゼンスを発揮する必要があった。自分に出来ること、そして万国共通で通じることは何か。そう考えた時に思いついたのが、みんなを笑わせてやる、ということだった。どういうわけか、人を笑わせることは自然体で出来る。だからプレゼンの合間に、こういう面白いところを入れたらメリハリが生まれ、より聴衆の注意を惹きつけることが出来るのではないか、という考えを肯定的に捉えながら臨んでいた。

入社後、同じ課の先輩に自分が思いもよらないような企画を飲み会でやろうと言われたことがあった。最初は躊躇した。こんなことをやったら怒られるに違いないと思っていた。でもその先輩の助けを借りながら、いざやってみると大好評だった。そしてそのプラスの流れがずっと続いていき、偉い人まで我々の企画を楽しみにしてくれるようになった。その先輩は退社されてしまったが、あの時強引に背中を押してもらえなかったら、MBA留学で世界中のみんなを笑いに包むことが出来る自分は育まれなかっただろうと思う。感謝しても感謝しきれない思いで一杯である。

さて、その後行ったバル(クラブ?)で、マイケル・ジャクソンの曲がかかった。みんなマイケル・ジャクソンを真似ようと、ムーンウォークをしたりしていた。自分は小さい頃からマイケル・ジャクソンの真似をしていたので、それをやっていた。そしたらまたみんなに囲まれてしまい、歓声が飛んだ。引くに引けなくなってしまった。この後、カウンターでビールを飲んでいたら、クラスで" The party girl"の称号を得たエクアドル人女学生に「今日のあなたはマイケル・ジャンクソンそのものだわ」と言われた。

2009年12月10日木曜日

卒業試験終了

本日卒業試験が終了し、MBAコースの全ての過程が終了した。あとは18日の卒業式を残すのみである。この卒業試験では、1.与えられたケースを分析し、レポート提出そしてプレゼンテーションを行う 2.Venture-Labのビジネスプランをプレゼンテーションする のどちらか一方を選択することになる。自分は長い時間を費やしてきた2. の方式で卒業試験を受けた。既にビジネスプランを提出しているにも関わらず、入念にプレゼンテーションの準備を行った。本番前日の昨日も、8時間かけてリハーサルを含めたプレゼンの最終調整を行った。

当日、卒業試験は普段は入ることのできない、Executive MBAの校舎で行われた。我々の審査官は4名だった。どの人も見たことのない人達で、この審査の為に外部から呼ばれたのかもしれないし、知らない教授なのかもしれない。自分は担当していたファイナンスのパートをプレゼンした。今回は10分間というタイムリミットがかなり厳格に適用されるということだったので、時間には最大限に気を遣った。その10分間の後、5分間の質問タイムがある。どうやら審査官はエンジニア出身の人達のようで、我々のビジネスモデルの中身について大いに興味があったようだ。他の部屋で行われた試験では、ファイナンスに関する質問がかなりあったと聞いていたので警戒をしていたのだが。チームメートのフランス人とスイス人は滞りなく質問に回答していた。当然質問されるようなことは以前から十分に考えつくしていたのだ。結果として、練習通りに満足のいく形でプレゼンを終えることが出来た。チームメート達はビジネスモデルに関する質問が多かったことを受けて、審査官が我々のビジネスモデルをよく理解していたと、大いに喜んでいた。

プレゼン終了後は、3人でSerrano通りにあるBarで昼間っからシャンパンで乾杯をした。フランス人とスイス人(ドイツ語圏出身だが、大学はフランス語圏)故、お祝いの仕方もフランスっぽいなあと感じた。

この3人でもって、グループワークも全て終了。これでもか、という程たくさんあったグループワークが終わったという実感がまだ全くない。

さて、今夜はクラスのディナーがある。今度こそ最後まで生き残れるように、飲酒量を調整しなければ…。だが彼らのテンションに対抗するには一定の酒の量が必要という問題もある…ううむ、何をし、何をしないか…まさに戦略が求められる。

2009年12月8日火曜日

European Business School Ranking 2009

一応在校生のIEプロモーション担当ということで、主要雑誌のランキング更新が合った場合は、掲載することにする。

Financial Timesで本日発表されたEuropean Business School Ranking 2009でIEは5位にランクインした。このランキングはMBAに限らず、各スクールが有するそれ以外のコースも総合的に加味して付けられたものである。

TOP10は以下の通り。

1. HEC Paris France
2. London Business School
3. Insead
4. IMD
5. IE Business School
6. Iese Business School
7. Rotterdam School of Management, Erasmus University
8. EM Lyon Business School
8. Esade Business School
10. Vlerick Leuven Gent Management School

2009年12月6日日曜日

パートナーを含めた最後のディナー

自分自身の最後のディナーというわけではないのだが、一足早く日本に帰る嫁と共に参加するディナーは、これが最後となった。第1タームの時に同じグループだったメキシコ人がマドリッドで一番と言われるメキシコ料理屋に誘ってくれたのだった。

そこには自分達にとってはお馴染みの夫婦が揃っていた。フランス人夫婦、ブラジル人夫婦。それに加え仲のいいバルバドス人、誘ってくれたスペイン人、クラスメートのエクアドル人とドミニカ共和国人。このフランス人とブラジル人の嫁さん達は、本当にいい人であり、とても気配りが出来る人達である。この嫁さん達もバリバリのキャリアウーマンで、フランス人の奥さんはSchlumbergerで地質学のエンジニアとして働いていおり、ブラジル人の奥さんはL'OREALで働いている。いずれにそう簡単に入ることの出来ない企業である。でも傲慢なところが一切なく、話していてとても感じが良い。日本人は気配りをする国民だなんていうことを頻繁に言う人間がいるが、出来ない人もたくさんいるし、外国人でも気配りが出来る人はいる。外国人にしても、普通は他人に対し気配りはするもんだ、そんなの当たり前だ、という風に考えているのだと思う。言葉が違えども、そういう気持ちの部分というのは人間だからなのか、とても伝わりやすいのだ。

さてメキシコ料理自体は、正直驚くほど美味しいということはなかった。よく見ると、なんだかみんな疲れていて、結構静かな食事だった。顔が疲れているのだ。夜の11時から始まる夕食なんて、そりゃ普通は疲れるだろうと思う。座って食べるときは静かなのかな…。しかし、こうしてみんなを見ていると、帰りたくないなあ…とつくづく思ってしまう。何も全員と深く話をしてきたわけではないのだが、総体として帰りたくないなあという気持ちを促すのである。

食事後、この特に疲れてた顔をしていたエクアドル人とドミニカ共和国人の女学生、そしてメキシコ人の女学生とバルバトス人の4人は、お決まりのBar of the weekに向かっていった。疲れているんなら寝ればいいじゃん!と思うのだが、ここはやはりラテンカルチャーの中枢スペイン・マドリー、意地でもみんな飲みに、そして踊りに行くらしい。さっきテキーラを一気飲みまでしていたのに…。もう留学生活も終わりだが、ついぞ彼女らのこの夜の勢いに勝つことは出来なかった…。

この日、MBAでの全ての授業が終わった。後は卒業試験のみである。マドリッドの冷たい風が運ぶ匂いが、ここに来た頃の記憶を蘇らせる。

2009年12月1日火曜日

最終月

いよいよ12月になった。留学生活も今月で終わり、帰国をすることになる。

このところ、日本での仕事生活の夢をまた見始めるようになった。お馴染みのオフィスに、お馴染みの人間が席を連ね、お馴染みの問題が起こり、お馴染みの処理を重ねていく…。この留学生活で成長した部分はたくさんあると信じているが、日本に戻ると留学前とまた同じ生活が待っている。

戻るとすぐに、この留学生活がけし飛んでしまって、毎日に追われ時間だけが過ぎていく、そんな最悪のシナリオだけは何としても避けなければならない。

国によって文化は違うことは事実であり、それを許容する文化としない文化があることは仕方がない。だが自分がやりたいことを主張することは、良いことなのではないかと思う。それを叶えるためには、それ相応の実力が必要だけれども。

仕事とMBA受験の両立は確かに大変だったが、これは自分を奮いたたせる重要な要素だった。自分には目標が必要だ。その意識を持ち、卒業後も戦っていかなければなるまい。