グループワークというのはMBAの醍醐味の一つであり、ここにこそMBAに来た意味があると言えるのかもしれない。
国籍が違う、母語が違う、育ってきた文化が違う、それに伴い考え方も全然違う…こうしたメンバーで共通の課題を、上下関係なく、また利害関係なく(各部署の利益を考えるということもない)、こなしていくということは、おそらくビジネススクール卒業後はないのではないかと思う。
ただ、それゆえにみんな言いたい事を主張する。基本的にみんな前に出たがる。学校の中には誰も率先して課題をこなそうとしないグループもあるそうである。そうしたグループも大変である。まずは動機付けというところから開始しなければならない。だが自分のグループでは正反対の状況が起こっており、これが自分を余計にいらだたせる。
どういうことかというと、自分がグループに貢献する機会が極めて少ないということなのである。全く役に立っていない状況…これほど苦しいことはない。もちろん課題が難しすぎて自分では手も足も出ない、ということではない。貢献する機会を他のメンバーが先んじて取り合い、最終的に自分の役割は一切なくなってしまうということなのだ。他のメンバーが回りに気を配り、「じゃあお前はこれをやってくれないか?」という効率的なグループであれば問題はない。だが半ば弱肉強食の世界になってしまっている。だがこれすらも、MBAに来た大きな意味なのではないかと思うようになった。将来的に、ガンガン自分の活躍場所を取っていくような、いや盗っていくような世界で働くことになればこんなことは当たり前なのだ。
正直言葉の壁が大きすぎて、グループミーティングの進捗状況がわからないような現状では、口を挟む隙がない。だが、周りのメンバーにとってみれば、「言葉も満足に喋ることが出来ないお前が悪いんだ」ということなのかもしれない。彼らも皆努力をして英語を身につけてきたわけだから、そんな彼にとってみたら自分の努力が足りないと思われても仕方がないのかもしれない。
それに自分の性格もまた状況をより複雑にしている。自分はたまに耳にする「日本人的な貢献の仕方」というのが大嫌いなのだ。パワポ資料作りとかグループレポートの構成を考えるとか。(ちなみに数学は大の苦手なので、多くの日本人学生が活躍の糧としているこの分野で活躍することは出来ない。)大きな声で質の高い発言をして自分の考えを主軸にグループの考えを纏め上げたり、重要なプレゼンにおいても数限られたスピーカーの位置づけでありたい。如何ともし難い言葉の壁や、どこかで一歩後ろに引いて全体像を静観しようとしてしまう自分の現状と、こうありたい自分像がかけ離れているのである。
きっとグループの役割分担決めの時に、効率的なグループ機能というものを考えて、自分の身の丈にあった役割を率先して担っていくという方が、望ましいのだと思う。それにそういうことをMBAでは学んでいくべきなのであろう。「俺は主役をやりたいんだ!それ以外はやらない!」ということは社会で通る筈がない。ずば抜けた天才だけはそうしたことを許されるのかもしれないが、自分は並みの人間である。
ところが、最近グループメンバーにも変化が見られてきて、彼らは自分を気遣うようになってきてくれた。ある日、その週のリーダーであったフランス人がとても嬉しいことを言ってくれた。彼は日本で1年間働いていたため、このラテンカルチャーと日本カルチャーの違いを理解し、自分を気遣ってくれた。彼はグループの現状を理解していた。一部の人間だけが課題の大部分をこなし、残りの人間がうまく機能していないことを認識していたのだ。「俺はもっとお前を使いたい。お前の経験やファイナンスの知識をもっと有効にグループワークに活かしたいんだ。」以前彼にはアカウンティングの課題の時、与信管理において大変重要である回転期間分析について教えてあげたことがあった。その時は少しだけだけどグループのために何か出来た気がしたのだ。彼の言葉には救われた。
またもう一人のメンバーであるブラジル人は、最近は「おおごめん、お前の発言する番だ」といって発言機会を譲ってくれる。更に「会話でわからないことがあったら遠慮なく訊け。日本人はわからないこともわかったっていうって聞いたことがあるけど、俺はブラジル人だから気にしないよ。とにかく訊けよ。」と言ってくれる。他人が喋っている時に、上からかぶせるように喋りはじめるのはブラジルではあたり前のことであるということをOrganizational Behaviorの授業で勉強した。つまり彼は異文化を理解してくれようとしていたのだ。これには感動した。
このグループも確実に一歩一歩進歩しているのだな、ということを感じた。と同時に自分も成長しなくては、と思った。
自分もどこかで「どうせこんなこと知っているし、俺一人でやった方が上手く、しかも早く出来るよ」とタカをくくって、グループワークに対し自分から距離を置こうという姿勢があったのだと思う。
自分がどういう形で貢献することに納得するのかはまだわからない。しかしこのグループのためにならないことはするまいと思う。主役(自分の主観的な観点からだが)になれなくても、グループとして最大のパフォーマンスを残せるのであれば、その役割を進んで引き受けたい。 きちんとアクションを起こしたい。
こんなことは理屈で考えれば簡単にわかることなのだが、実際は簡単なことではなかった。何より、自分自身の気持ちが妨げになりうるのかもしれないということは、わからないことだった。
第一タームも間もなく終了するが、一部の科目ではこのグループは存続する。海の外ではどんなことが出来るのか、自分の役割をもっともっと探ってみようと思う。