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2009年12月17日木曜日

引越し完了

帰国準備を進めているが、いよいよ引越しも完了した。マドリー滞在もあと3日である。ヨーロッパ生活ももう終わりなのだ。

ところで、何故か先週末から咳が出て、これまで一向に止まる気配がない。パブロン飲み続けているが…市販の薬は効果が弱くて困る。引越し準備で飛び散った埃のせいなのだろうか…。苦しい。

帰国直後に吉野屋に行くという、ささやかな楽しみが近づいている。

2009年12月6日日曜日

パートナーを含めた最後のディナー

自分自身の最後のディナーというわけではないのだが、一足早く日本に帰る嫁と共に参加するディナーは、これが最後となった。第1タームの時に同じグループだったメキシコ人がマドリッドで一番と言われるメキシコ料理屋に誘ってくれたのだった。

そこには自分達にとってはお馴染みの夫婦が揃っていた。フランス人夫婦、ブラジル人夫婦。それに加え仲のいいバルバドス人、誘ってくれたスペイン人、クラスメートのエクアドル人とドミニカ共和国人。このフランス人とブラジル人の嫁さん達は、本当にいい人であり、とても気配りが出来る人達である。この嫁さん達もバリバリのキャリアウーマンで、フランス人の奥さんはSchlumbergerで地質学のエンジニアとして働いていおり、ブラジル人の奥さんはL'OREALで働いている。いずれにそう簡単に入ることの出来ない企業である。でも傲慢なところが一切なく、話していてとても感じが良い。日本人は気配りをする国民だなんていうことを頻繁に言う人間がいるが、出来ない人もたくさんいるし、外国人でも気配りが出来る人はいる。外国人にしても、普通は他人に対し気配りはするもんだ、そんなの当たり前だ、という風に考えているのだと思う。言葉が違えども、そういう気持ちの部分というのは人間だからなのか、とても伝わりやすいのだ。

さてメキシコ料理自体は、正直驚くほど美味しいということはなかった。よく見ると、なんだかみんな疲れていて、結構静かな食事だった。顔が疲れているのだ。夜の11時から始まる夕食なんて、そりゃ普通は疲れるだろうと思う。座って食べるときは静かなのかな…。しかし、こうしてみんなを見ていると、帰りたくないなあ…とつくづく思ってしまう。何も全員と深く話をしてきたわけではないのだが、総体として帰りたくないなあという気持ちを促すのである。

食事後、この特に疲れてた顔をしていたエクアドル人とドミニカ共和国人の女学生、そしてメキシコ人の女学生とバルバトス人の4人は、お決まりのBar of the weekに向かっていった。疲れているんなら寝ればいいじゃん!と思うのだが、ここはやはりラテンカルチャーの中枢スペイン・マドリー、意地でもみんな飲みに、そして踊りに行くらしい。さっきテキーラを一気飲みまでしていたのに…。もう留学生活も終わりだが、ついぞ彼女らのこの夜の勢いに勝つことは出来なかった…。

この日、MBAでの全ての授業が終わった。後は卒業試験のみである。マドリッドの冷たい風が運ぶ匂いが、ここに来た頃の記憶を蘇らせる。

2009年11月16日月曜日

クラスの飲み会

残り1カ月しか残されていない学生達が、寂しさをひしひしと感じ始めたのか、パーティーを続々と企画し始めている。この週末の金曜日も、クラスメート宅で大規模なパーティーが行われた。こうしたクラス飲みは久しぶりだと思う。

夜10時くらいまでフランス人の友達と学校でVenture-Labの作業をした後、二人で最近出来た日本食レストランに行った。値段もそこまで高くなく、日本を思い出すような味を出してくれるレストランであった。コース終了直前にこうしたレストランが出来るなんて…もう少し早く出来ていれば良かったのに。ここでフランス人は美味しそうにお好み焼きを食べていた。自分は串揚げ、焼き肉、寿司を注文した。

その後クラスメートのフラットに行った。2時間遅れの12時頃に行ったのだが、みんな既に盛り上がっていた。思ったより集合が早い。お馴染みの顔ぶれである。韓国人のクラスメートがスピーカーをPCに繋いでいて曲を流し、クラブの臨場感を演出しようとしていた。この日は自分も既に酒が入っていたので、彼らに追いつく必要はなく、初めっから良い気分だった。終わりも近づいているので、寂しい感じもした。みんなアルコール度数何度かわからないやたらと強い酒をワンショットで飲もうぜと言ってきたり、モップでリンボーダンスを始めたりして、無秩序状態になっていた。みんなが自分にもリンボーダンスをやれ、とリクエストしてきたので、おっしゃやってやろうか、とグラスをテーブルに置こうとしたら、手が滑って、クラスで人気ナンバーワンのイギリス/フランス人女性の服にビシャッと酒をかけてしまった。まずいと思い、合掌して座りこんで謝った。日本であれば、ここでさらに一気飲みをさせられたところだろう。その他にも、見たことのない青い液体の酒を飲ませられたりした。異常に強くて、口の中が火傷しそうに熱い。さすがにキッチンで吐き出した。

が、突然パーティーに終わりがやってきた。警察が来たのだ。スペインでは夜の12時以降、警察を呼んでやかましいイベントを無理やり止めることが出来ることが法律上定められている。逆に言うと、12時前はどんなに騒がれていても、自分で止めるしかない。警察が来る前にも近隣住民が幾度となくやってきて文句を言っていた。当たり前である。普通にアパートの中でこんなパーティーをやる方がおかしいのだ。

しかし、勢いづいたラテンカルチャーを止めることは出来ない。勿論その後みんなクラブに行くわけである。酔いにまかせて自分もみんなについて行った。どういうわけかこの日は入場料が無料だった。みんな踊り始めた。こうなると会話なんてなくなってしまい、ただただみんな汗を流すだけの段階になる。自分はここで一気に酔いと疲れがどっと来た。ソファーに座りこんでしまった。学生が「ヘイ、行こうぜ!」みたいなことを言っているが、英語で返答するのももはや苦しくてたまらない。喋ることすら難しいのだ…。朦朧とする意識の中で、踊り狂う学生達がぼやけて見えた。この1年間で乗り越えられなかったことを一つ挙げるとすれば、彼らに対抗できるだけのアルコール耐性を得られなかったということだと思う。

結局、韓国人の友達に連れられ、外で嘔吐。タクシーで帰宅。タクシー下車後にまた嘔吐。家に着いてシャワーを浴び寝るも、翌日の土曜日も嘔吐。一連の嘔吐は夕方まで止まらなかった。土曜日は何も出来なかった。

こんな日々ももう終わってしまうんだと思うと、体の苦しさよりも寂しさの方がはるかに辛い。

2009年11月8日日曜日

フットボール観戦② レアルマドリッド VS アトレティコマドリッド

先日のチャンピオンズリーグが素晴らしかったので、またフットボールに行った。今度はレアル・マドリッド対アトレティコ・マドリッドのマドリッドダービーと言われるマッチである。

今回は学校の友達を含め4名で観戦をすることなっていた。試合前に近くの駅で食事をすることになっていたのだが、思ったよりそこで時間を使ってしまった。また、この日のスタジアムはEstadio Vicente Calderonというアトレティコのホームスタジアムだったのだが、歩くと結構距離があり、ここでも到着時刻見積もりを誤ってしまった。結局、走りながらスタジアムが見えたー!という時にはスタジアムからものすごい歓声が挙がっていて、これがカカによるレアル・マドリッドの先制点だということを後から知った。試合開始後5分で点が決まっていたのである。

みんなぜいぜい言いながら、スタジアムの中に入った。と同時に目を疑った…うわー真っ赤…みんなアトレティコファンであった。基本的にメインスタンドから見て、左側がホーム、右側がアウェイのチームの応援席であると認識にしていたのだが、どうやら様子が全く違う。しかもアトレティコのサポーターはやたらと血気盛んでかなり怖い。席はどこだ?と探しているだけで、「座れお前ら!!」みたいなヤジがたくさん飛んできた。さらに状況が悪いことに、我々が予約している席に座っている人間がいて、一向にどこうとしない。整備員みたいなやつに何とかしろと言っても、ビビって何も言おうとしない。本当に役立たずである。仕舞いには、友達の中の一人にとても勇敢な者がいて、警察を呼んできて事態に対処することになった。彼はスペイン語にも非常に堪能で、当事者と激しく議論をしていた。次第にあたりは騒然となった。この我々の席を占拠しているやつらは、警察の呼びかけにも一切応じようとしない。一方で、観客は「見えねえんだよ!中国人!」みたいな罵声を我々に浴びせてきた。完全に四面楚歌の状態である。今自分の上着の懐にあるレアル・マドリッドのマフラーがぽろっと落ちてしまったら、確実に殺されるだろう。最終的に警察がこの占拠していたやつらを無理やり追い出したものの、こいつら、一旦席を去った後また戻ってきて、何があったのか知らないが周辺のスペイン人の観客と一触即発の状態になっていて、まさに乱闘直前状態であった。警察が必死でこのクレイジーな客を取り押さえていた。

この勇敢な友人のおかけで我々は何とか席に座ることが出来た。彼がいなければ座ることは絶対に出来なかったと思う。「我々は確かにチケットを買ったのだから、座る権利があるのは当然である。」という趣旨の彼の堂々とした発言には、感銘を受けた。だが、アトレティコサポーターの激しさは止まない。周りは皆、汚い言葉でレアル・マドリッドを罵っている。ここでは絶対にレアルを応援することは出来ない。もうアトレティコの選手が倒されたりなんかすると最悪で、審判やレアル選手に激しいブーイング、声が枯れる程にでかい声を出している。サッカーには付きものの、あの「ブーッ」なるラッパみたいなやつを力いっぱい吹き鳴らす。とにかく観客の品が悪すぎる。ところで、このアトレティコのホームスタジアムは大きいのだが、サンティアゴ・ベルナベウに比べるととても庶民的で、神宮球場みたいな感じがした。金持ち階層が支持をしていたというレアル・マドリッド、一般大衆階層が支持をしていたアトレティコ・マドリッドという風に言われているが、それがよくわかる状況だった。何というか、そう、日本のテレビで頻繁に目の当たりにする、ものすごく危険なサッカースタジアム、それにまさに現実的に接触をしている感じだった。

結局前半が終了すると、レアル・マドリッドの応援席に移動することにした。が、驚いたのだが、本当に片隅ににしかレアル・マドリッドの応援席がない。同じ街なのに…。それに、レアルとアトレティコの応援席の境界線には、ずらっと警察官が並んでいた。1列ごとに警察官が立っている。最初そこを通してもらえなかったのだが、状況を伝えて通してもらうことが出来た。わずかなスペースであるにも関わらず、レアルの応援席は空席が結構あった。アトレティコファンが暴動を起こしたらこの人数の警官ではとても防ぎきれないだろうと思う。おそらくだが、レアルマドリッドのファンは100~200人くらいしかいなかったのではないだろうか。対してアトレティコのサポーターはほぼ会場全てを埋め尽くしていたので、50,000人はいたのではないかと思う。この比率なので、ブーイングが起きると、これまで聞いたことがないような大音声が響き渡る。

警察が通路に立っているのがわかるだろうか。
ここより手前がレアル・マドリッドの応援席。

あとはぜーんぶアトレティコ・マドリッドを応援する観客。

さて、試合だが、後半アトレティコは前半とはまるで違うチームかのように良い動きをし始め、34分に1点入れた。ただこの時点で3対1だったので、問題ないだろうと思っていたが、2分後の36分、またアトレティコが得点をした。これでいよいよ分からなくなってきた。この2点目が入った時は、恐ろしいくらいの地響きが起こった。スタジアム全体がアトレティコを勢いづけている。ホーム、アウェイというものの差は、これまでは理屈ではわかっていたが、この日は身を持って知った。アウェイというのは本当にやり難いんだろうと思う。その後もアトレティコの猛攻が続いた。これが本当に今期不調のチームなんだろうか?ダービーというものは、何か違う力が作用するということなのだろうか?とにかくスタジアムに来ると、目を離せる隙など全くなく、あっという間に時間が過ぎていく。こうしてレアルが攻め込まれている中、カカが交替となった。カカは退場する際、本当にちっちゃなスペースに追いやられているレアルの応援をみて、手を振った。こんな敵中の中でも、選手はきちんと自分のチームの応援席を意識しているんだなあと思うとちょっと感動した。それと同時に、こんな敵地の中でも俺達がついているぞ、という選手に対する気持ちが湧いてきた。

結局レアルがそのまま守り切り、勝利を掴んだ。試合が終わった後、レアルのサポーターは、アトレティコのファンに向かい、さらに罵声を浴びせていた。汚い言葉で罵り続けていた。善戦をした互いを称え合うということは一切ない。死体にさらに銃弾を撃ち込むようなことをしなくてもいいのに…レアルサポーターも性質が悪い。

いずれにしても、ダービーならではの殺伐とした雰囲気、そして展開のある試合内容、今回も十二分にフットボールを楽しむことが出来た。

このマッチについては、同期の日本人学生のブログでも詳細に描かれているので、是非ご覧になっていただきたい。

2009年10月25日日曜日

日本人異業種交流会

日本大使館においてマドリッド日本人会主催の異業種交流会が開かれた。マドリッドに1年以上住んでいるが、出席は今回が初めてである。

出席者は、外交官、金融業、製造業等様々な業界からの人達であった。驚いたのはこの日のゲストスピーカーである。数独(SUDOKU)の創始者の方がいらして、数独の成り立ちを話してくれた。

数独は1~9までの一ケタの数字しか使わない。Singleの数字=独身の数字。よって、数独、ということだそうである。

数独は本当に海外で大人気で、そこら中でみんな数独に打ち込んでいる姿を見かける。驚いたのだが、数独には一つ一つの数独に、一つ一つの展開があり、「むむむ、今回はそう来るかー!」といった「味」があるそうなのである。この味を出せることがこのゲストスピーカーの方の会社の強みであるらしく、実際コンピューターで数独を作る人達もいるそうでなのだが、その「味」の部分はコンピューターでも克服できないらしいのである。

ところで、自分の印象として、この創始者の方は全く欲がないように見えた。なので単刀直入に「創業してから儲けようとかそういった欲ってあんまりなかったんじゃないですか?」と訊いてみた。そしたら「全くない。若いうちは貧乏の方がいいよ。」と仰っていた。この言葉はとても印象に残った。成功者の方がこうういう発言をされると、やっぱり重みを感じる。

世間ではMBAといえば、マネーゲームみたいなイメージを持っているかもしれないが、自分の場合MBAに来てからというもの、経営を行う上での信念とか事業の社会的な意義とか、ビジネスおけるそういった視点がますます重要に思えるようになってきた。数独は、何日も費やして取り組むような難解なものにする意図は元々ないらしく、気分転換の為に、誰でも気軽に楽しめるものを作ろうとしているらしい。その言葉通り、今世界中で色んな人々が数独を楽しんでいる。

2009年10月23日金曜日

フットボール観戦

スペインに来て1年余り、ついに地元レアル・マドリッドの試合を本拠地サンティアゴ・ベルナベウで観る機会を得た。しかも欧州チャンピオンズリーグでの好カード、レアル・マドリッドvsACミランである。

マドリッドに対し否定的であり、片やでインターナショナルシティが好きな自分が応援したチームは当然…

レアル・マドリッドに決まっている!!

何だかんだでマドリッドに1年以上住んでいる身としては、レアル・マドリッドに思い入れが強いのである。レアルマドリッドとACミランの対戦の歴史上、レアルのホームであるサンティアゴ・ベルナベウでレアル・マドリッドが負けたことはなかった。なのでレアル・マドリッドの勝利を確信して止まなかった。

サンティアゴ・ベルナベウ周辺には、キックオフ2時間前だというのに多くの人でごった返していた。騎馬警官が警護のためにたくさん配列されていた。ACミランのサポーターが歌を歌っていた。しばらくすると、選手を乗せたバスがスタジアムに姿を現した。いよいよ実感が湧いていた。

周辺のバルは大いに賑わっていてみんなビールを飲んでいたので、持ち込もうとテイクアウトしたのだが、スタジアム内はアルコールは禁止らしい。まあアルコールと試合の興奮が合わさったらとんでもない騒ぎになるのは必至だから、それは仕方のないことだろう。

そしてついにスタジアムの中に入った。大学時代の卒業旅行でFCバルセロナのカンプ・ノウを見学したことがあったが、サンディアゴ・ベルナベウもとても立派なスタジアムだった。客席が巨大な壁のようになっていて、観客の声が本当に響き渡るのである。サッカーのためだけに作られた80,000人収容のスタジアム。本場のサッカーとはこういうものなんだ。それと同時に、家からわずか15分で来ることが出来るこんな素晴らしい場所に今まで来なかったことを後悔した。チケット販売当日にチケットを予約したのだが、結局値段の張る席しか予約出来なかったので、良い席に座ることとなった。想像以上に素晴らしい席だった。世界最高峰のチームの試合がこんなに近くで見られるなんて贅沢過ぎる。

試合開始前のピッチ

レアル・マドリッドの応援席

選手紹介が始まった。最初はアウェイのACミランの紹介からだった。ホナウジーニョのようなスーパースターの場合は、さすがにレアルサイドからも歓声が沸いたが、その他の選手に対しては静かめだった。一方、レアルの紹介になると、地響きのような歓声が湧き上がった。ラウールやカカの時の歓声が特に凄かった。

試合が始まると、その最中に他試合の状況が伝えられる。アトレティコ・マドリッドがチェルシーに負けていることを知ると、レアルサポーターは歓喜を上げていた。やはりマドリッドも二分されているのだということを感じた。さて、前半、ACミランのキーパーのミスのこぼれ球をラウールがゴールにねじ込みレアルが1点を先制した。得点が入ると、みんな一斉に立ち上がって大声を上げて喜んだ。自分も嫁も完全にその中に混じって、レアルの先制点を喜んだ。もう完全にレアルファン。周りにはやたとぶつぶつコメントを言っているおっさんや、シュートが外れると自分の髪をグシャーっと掴んで残念そうな顔をするおばさんがいて、みんな自分の身の上のことのようだった。つくづく地元に愛すべきサッカーチームがあることを羨ましく思った。

前半はレアルが優勢に試合を運び、レアルの勝利が予想された。やっぱりサンティアゴ・ベルナベウはレアルに追い風を吹かしていると思った。しかし後半、ACミランが盛り返してきた。後半最初の得点はミランだった。自分の周りの観客席は騒然とした。何が起こったんだ?みたいな静けさがあった。自分も起こった現実を信じられなかった。もはや完全に観客に溶け込んでいて、レアルと一蓮托生状態だった。しかもその後、もう一度ミランが得点をした。信じられないような弾丸ロングシュート。ゴールの端っこを突いた。スタジアムの一部であるACミランの応援席だけがワーッと叫んでいた。自分の周りは沈黙。何が起こったのかわからないような、信じられないゴールだった。1-2。なんとなくミランにゴール前に攻め込まれると不安な気持ちになる、そんな状態がこの試合は続いていた。もうホナウジーニョにボールが渡るとかなり不安。ホナウジーニョのプレーは面白くて好きだけど、この日ばかりは憎き敵である。もう必死でレアルの同点を願い、応援をする。そしてついにレアルは同点に追いついた!やったー!会場は一気にレアルの雰囲気になった。その後、曰く付きのゴール(?)が両チームにおいて発生したが結局ノーカウントだった。レアルの攻撃は、明らかにミランのゴールラインを割っていた。自分の席はゴールラインの真っ正面だったので、これは明らかだった。しかしこれはレアルのゴールにはならなかった。起伏のあるものすごいエキサイティングな展開がずっと続いた。この試合に来て本当に良かったと思った。両チームともに得点をしようととにかく激しく攻撃をする。日本で観るサッカーはなかなか得点が入らなくて退屈に感じることも多いのだか、欧州のトップチームのサッカーは違った。休む暇なんかない。時間があっという間に過ぎていく。だが悲しいかな、試合終盤、ミランのパトに文句なしのヘディングを決められてしまい、そのまま試合終了。レアル・マドリッドがホームで初めてACミランに敗北を喫した。悪い意味で、歴史的瞬間に遭遇してしまった。

ただいずれにしても、本場のサッカーの素晴らしさを知った。もっと早くから来れば良かったと何度も思った。近く、レアル・マドリッドとアトレティコ・マドリッドのマドリッドダービーがあるので、是非観に行きたいと思う。ああ、しかし悔しかった…。自分のことのように悔しい!

2009年10月9日金曜日

ディナー続き

今週はやることが多い一方で、ディナーに二日連続で行った。

最初は韓国料理屋。ここは韓国人学生が薦める、マドリッドでもかなりおいしい部類に入る店である。この日は韓国人学生の他にも何人かの交換留学生がやってきて、結構な人数になった。食事中、サムスン専務(常務?)兼サムスンスペイン社長がその部下を引き連れてその店にやってきた。このことからもこの店が如何に本場の味を出しているかがわかる。そこにいた2名の韓国人学生は、元々サムスングループに勤めていたこともあって、かなり緊張していたようだった。韓国人学生が上司の前で深々と頭を下げるのを、他の文化の学生達はとても興味深そうに眺めていた。サムスンの王国ぶりを垣間見た。だが、食事が終りかけていた時、我々韓国人以外の学生もサムスンの偉大さを身をもって知ることになるのである。なんと、この社長さん、帰り際に我々(15名くらい)の食事代を全てごちそうしてくれたのである!我々がその後、「サムスン!」の掛け声とともに焼酎で乾杯したことは言うまでもない。誰かが、「次はLGがごちそうしてくれるかな」と言っていた。

次の日は、イタリア料理屋。Business Valuation in Practiceで一緒であったグループでディナーをすることになったのである。チームにイタリア人の女性がいて、彼女がマドリッドのイタリアンレストランに連れて行ってくれた。その他に、タイ人、ドイツ人、インド人、アゼルバイジャン人の学生が参加した。途中、ドイツ人の学生が、彼女に電話をすると言って、席を立った。そこでイタリア人の学生に、イタリアでの彼氏彼女の事情を訊いてみた。基本的に金曜日の夜は、友達と過ごし、土曜日に彼氏や彼女と過ごすのがイタリア風らしい。また、彼氏、彼女は相手の実家に平気で遊びに行き、泊まることも日常茶飯事だそうである。イタリアのリベラルな現状を教えてもらえたことは、とても新鮮だった。

こっちの生活はバルでの立ち飲みばっかりだから、みんなすぐにふらふらとあっちへ行ったりこっちへ行ったりするので、じっくり話すのが難しい。やっぱり、きちんと座って食事をすると、じっくり会話が出来ていいな、と今更ながら改めて認識した。

2009年10月2日金曜日

本領発揮スペイン

スペインが久々に本領発揮してくれた。水が止まった。

朝、誰もが通勤や通学で忙しい中、水が出ない。汚い話になるが、自分は朝一発目のトイレを済ませた後、タンクにあった水で流すことは出来たものの、その後一切水を使えなかった。丁度今日は授業でプレゼンがある日で、流れ次第では自分もプレゼンをする可能性があったのだが、よりによってそんな日にこんなことが起きるなんて。

ちなみに、天災は一切起こっていない。至って平常な環境下、人々の生命線である水が止まってしまうなんてあり得ない。がそれと同時に、ここはスペインであることを思い出した。後で学校に行ってみると、近くに住んでいる友人の建物でも水が止まったらしい。結構な広域で水が止まったようである。

スペインはれっきとした先進国である。インターネットの遅さ、飲食店やスーパーでのサービスの劣悪さは、今更何ら特段の感情を抱かなくなっていたのだが(要は慣れた)、水が止まったことに対しては久々に怒りが湧いてきた。

2009年9月28日月曜日

Leedsからの友人が来た

週末、Leeds大学の友達がマドリッドにやって来た。自分の直接の友達である彼女と、彼女の同じビジネススクールの同級生2人、彼女の台湾人の友達2人、合計5名で旅行をしているとのことで、彼らみんなと夕食を共にした。丁度学校のクラスメートの韓国人も、IEに交換留学生として来ている韓国人学生をマドリッドの夜に連れていくということで、合流することになった。これに日本人の同期と、タイから来ている交換留学生、合わせて11人での食事となった。

Leedsのみんなはその後どうなったか、等など話は尽きることがなかった。が、彼らは韓国人の経営するホステルに泊まっているということで、門限が12時となっていた。マドリッドの金曜の夜12時というのは、日本でいえばサラリーマンがなんとか7時頃仕事を切り上げてこれから合コン会場に向かおうか、というくらいの時間である。色々連れて行こうと思っていたのだが…。が、門限を過ぎるとシャワーも浴びることが出来ないということなので、仕方なく彼らはホステルに帰って行った。

その後、同期の日本人とタイ人の交換留学生と共に、マドリッドの夜をふらついた。マドリッドの夜風は、昔を偲ばせる風だね、なんてちょっと詩的なことを言いながら、バルを飲み歩いた。

2009年9月21日月曜日

友人のバースデーパーティー

わずか2日前というショートノーティスで、ブラジル人の友達から誕生日パーティーの案内が来た。彼とはその奥さんも交えて結構仲良くなっているので、日曜日の夜とはいえ、行かないわけにはいかなかった。

マドリッドのショッピングセンターにある飲み屋だったのだが、体全体をもたれさせることのできるソファーがあり、快適な場所だった。立ちっぱなしのスタイルより、やはり座って飲んで話す方が自分には相当快適である。

アメリカ、イギリス、イタリア、フランス、ブラジル、スペイン、(すげーサッカー強そう!)そして日本…考えてみると、これだけ国籍がバラバラのの人が一つのテーブルを囲んで過ごすことを最近は当たり前のように感じるけど(今回はかなり綺麗に割れたが)、こんなことは自分の人生には決してなかったことなのだ。もし自分が彼らと同レベルで英語が出来るようになれば、こうして、より多くの人達と話をし、多くの人達を知ることが出来るのだ…今更ながら、語学をきちんと勉強することは、自分をより大きく成長させ、自分の可能性を大きく広げることなのだ、ということを再認識した。その中でも、特に英語はやはりその可能性を最も大きく飛躍させてくれると思う。日本ではもはや英語なんて当たり前、とか、日常会話程度は出来るようにならないと、なんて言われているけど、酒の入った時の日常会話は確実に学校にいる時の会話より難しい。学校にいるときはビジネストピックなので、よっぽど想像がつくのである。

さて、このブラジル人の友人は、今日もみんなの前で、奥さん(これが相当綺麗!)とブチュブチュしていた。今でも尚、自分は目をそらそうとしてしまうのだが、やはり文化の違いだろうか。

マドリッドの夜は更けていく。もう長袖のシャツでも寒いくらいになってきた。

2009年9月20日日曜日

青春の歌

金曜日の夜、交換留学にアメリカから来ているタイ人にマドリッドの夜を堪能させてあげようとしていたのだが、彼から電話があり疲れたのでまたにしよう、という連絡があった。

音楽でも聴いてゆっくりするか、と思いYoutubeで懐かしい曲を検索した。小学生くらいの時からつい数年前までの曲を順番に聴いてみることにした。自分は、例えば高校時代に「俺は洋楽しか聴かねえからよォ」みたいなことを言うタイプの人間ではなかった。圧倒的なミーハー心で、ジャパニーズポップを聴いていたので、この夜聴いたのも往年のジャパニーズポップ。

Every Little thingの大ヒット曲である「Time goes by」を聴いてみた。泣きそうなくらいいい歌だった。中山美穂and WANDSの「世界中の誰よりきっと」を聴いてみた。カウントダウンTVのTOP3位に入るような曲は、やはりこうではなくてはならぬ、と瞳を閉じて唸ってしまった。中島美嘉の「雪の華」。スペインと特にかけ離れたこの歌は、部屋を真っ暗にして聴くといいと思う。

ジャパニーズポップのいい所を再認識した、留学というものから完全に遮断された夜だった。

2009年9月19日土曜日

大分寒くなったマドリッド

9月も中旬であるが、マドリッドはもうかなり寒くなっている。ついこの間まで温度計は午前中でも30℃以上を示していたが、今では17℃くらいまで下がっている。

去年ここに来た時は、明らかにこの時期でも暑かった。家の契約をしたのが2008年10月1日だったが、この日はとても暑かったのを覚えている。会社の現地法人の人がこの時契約に立ち会ってくれたのだが、「今年は異常な気候だ」と言っていたことが印象的だった。

今のこの気候が、本来のマドリッドの気候ということなのだろう。相変わらず空は青い。が、丁度3か月後にこのコースは終わってしまうため、もうあの灼熱の太陽を感じることもないのである。

2009年7月24日金曜日

マドリッドのビジネスエリア開発

夏休みになったので、気になっていた所に行くことにした。マドリッドの新ビジネスエリアである。ここは、Cuatro Torres Business Areaという区域。その名の通り、マドリッドにはこれまで存在しなかった巨大なビルが4棟建っている地域である。汐留地域の開発みたいなものをイメージしていた。

が、しかしここはマドリッド。日本の並みの発展などあるはずはなかった。まず、4棟の内、2棟は依然開発中である。ウィキペディアをみると、2008年中に建設は完了すると書いてあるが(http://en.wikipedia.org/wiki/Cuatro_Torres_Business_Area)、既に2009年は半分以上が過ぎている。また、本当にビルがあるだけで、例えば1階に何かショッピングやレストランなどのエンターテイメントがあるかと思いきや、一切ない。

考えてみれば、こんな巨大なビルは、広大な土地を有し、かつ人口が4500万人のスペインには必要のないものなのかもしれない。無理をして作っても、果たして欧州最大の失業率を誇るこの国に入居の需要はあるのだろうか。

日本では、空きオフィスビルやマンションが目立つという…。この巨大ビルも同じ境遇にあうのではないかと危惧している…いや実際はあまり危惧していない。

2009年6月16日火曜日

灼熱マドリッド

まだ6月の半ばだというにも関わらず、マドリッドは灼熱の気候である。街の温度計は、たまに40℃を表示している。

おまけに激しい乾燥で、肌がかゆくて仕方がない。こっちの洗顔料は質が悪いので、日本にあるような「潤い保湿成分」みたいなのはないと思う。そしてそうしたものを日常的に使えることのありがたさを感じている。

かゆいと勉強に集中が出来ないのでとてもイラつく。暑いのも嫌なのだが、クーラーを付けると余計に乾燥するので、パーフェクトな解決方法ではない。

昨年9月にここに来た時にも暑いと思ったのだが…今はもっと暑い。

2009年6月12日金曜日

レアルマドリード補強

リーガエスパニョーラはシーズンが終わり、結局バルセロナFCが優勝した。地元マドリードにある誰もが知っている世界一の金持ちクラブ、レアルマドリードは2位に終わった。

だが、ご存じの通り、来季は、C・ロナウド、カカがレアルに移籍してくる。しかも、史上最高額の移籍金で。

自分はサッカーの素人であるが、この二人の移籍によってレアルマドリードが盛り上がることは嬉しい。12月までの滞在期間の内に、何としてもレアルマドリードの本拠地であるサンティアゴベルナベウに足を運ばなければ!

2009年6月6日土曜日

久々のBar of the Week

金曜日の夜ということで、火鍋ディナーに行った。50人近くが所狭しと火鍋屋に集結していた。こうしたアジアの味というのは、やはり馴染みのあるもので快適である。

火鍋屋の後学生達は、今度NYにインターンに行くことになり、且つ誕生日である学生のお祝いパーティーに行くという。自分もそれについていくことにした。

どうやらそのパーティーはBar of the week(毎週末に行われるネットワークイベント。)と兼ねていたらしく、クラブで行われていた。自分はTシャツ、ジーンズ、スニーカーという服装だったので、これはまずいと思い、一緒にいた学生(女性)のジャケット(襟付き)を着て中に入った。(着れた!)

クラブは相変わらずG1レース本馬場入場の東京競馬場みたいに、ごった返していた。ビールを買うのに、20分かかってしまった。ちなみにこちらの誕生日パーティーというのは、日本みたいに誕生日を迎える人を丁寧にお祝いするというものではない。普通に大規模なパーティーが催され、出席者は誕生日を迎える人間と一言も会話をしないまま帰ってしまうこともある。要はみんな飲む口実が欲しいのだと思う。

このクラブは地下が踊る場所になっていて、みんな踊ってた。同じセッションの学生達が踊っているのを見つけたので自分もそこに行ってみた。クラスの学級委員であるブルガリア人の女学生がいたが、彼女は思いっきり頭を振っていた。思いっきり。もう一人、フランス人女学生は腰を大分クネクネさせて踊っていた。彼女はプレゼンの時も体をいつもクネクネしているので、クネクネが普通なんだと思う。インターンのため今は通常の授業から離れているグルジア人は激しく縦に揺れていた。この際だから、自分も思い切って踊ってしまえ、と思いやたらと高いテンションで踊っていたら、いつの間にか、自分の周りにドーナツ型の空間が出来ており、その外側でみんなが自分を見ている「オーッ!」とか「ヒューッ!」とか言っている…大分調子に乗ってしまったらしい。実はあまり酒が入っていなかったので、ちょっと恥ずかしかったでした…。

もう十分だったので、自分は3時半くらいには帰ってしまったが、みんなはやはり朝までいたのだと思う。

2009年5月31日日曜日

マクドナルド マドリッド

社会人になってから、社員寮に住んでいた丸3年間、土曜日は遅く起き、昼食に近くのマクドナルドに行くことが至上の喜びであった。そこでハンバーガー、コーラ(M)、ポテト(M)、チキンマックナゲット(5個入り)を食べながら、日経新聞をゆっくり読むことで、1週間の疲れが癒されていったものである。

さて、このマドリッドでもその習慣は続いている。幸運にも歩いていける距離にマクドナルドがある。嫁さんのお母さんがマドリッドに旅行に来ており、嫁さんと二人で旅行に行ってしまったため、自分は一人、はりきってマクドナルドに行くことにした。

ワールドスタンダードだと思っていたマクドナルドだったが、営業時間はスペイン時間に合わせてあった。開店は昼の12:30。自分は12:20に着いたので、ドアの前で開店を待った。待っているのは、自分と少年二人。少年二人はサッカーをして待っている。いい歳をして何をやっているんだろう、と少し思ったが、気にしないことにした。

12:30に店は空いた。開店早々のマクドナルドの商品はいつもと違った。ポテトやナゲット(9個入り)がとってもカリカリであり、作りたてを感じることができた。これには大変満足である。

一時期、「スーパーサイズミー」という映画が流行った。マクドナルドのスーパーサイズを食べ続けるとどうなってしまうのか、ということを実証した映画だった。アメリカではマクドナルドのスーパーサイズを食べ過ぎで太りすぎてしまった人がいて、そういったことはすべてマクドナルドのせいである、みたいなことが言われていた気がする。

節度をわきまえて利用すればいいのではないか、それだけではないのか。

2009年5月26日火曜日

ヨーロッパのスーパーに見られるボトルネック

欧州に住むことは多くの利点があることは間違いない。しかし、どうしても残念なことがある。スーパーの長蛇の列である。

日本では、商品の入ったカゴを客が別のテーブルに持っていって、そこで袋を入れる。つまり、客が会計を終えた時点で、レジは次の客の接客に切り替えることが出来る。

しかし、欧州ではレジと商品を袋に入れる場所がつながっているのである。商品を袋に入れる場所は、前の客がその作業を終えない限り、並んでいる次の客は使うことが出来ない。なぜならば、誰の商品かわからなくなってしまうから。よって、レジも客が商品を袋に入れ終わるまで待っている。この間、オペレーションはストップ。アイドルタイムが発生する。

スペイン地場のスーパーならわかるのだが、カルフールのような国際的に展開しているスーパーマーケットですら、この有様である。そういえば効率的な国であるドイツでもこうした形式のレジだった気がする。何故このままにしておくのだろうか?誰もその改善を求めないからだろうか?しかし欧州にもたくさんのビジネススクールがあるわけで、オペレーションマネージメントを勉強した学生はたくさんいるはずだが…。いや、そんなことに関わらず、かなり分かりやすい問題点なのだから、誰かが改善しようとしてもいいはずなのだが…。

2009年3月28日土曜日

ファミコン金曜日

金曜日の夜だというのに、おたくっぽい夜を過ごした。

学校のアメリカ人の学生2人が自分の家にファミコンをやりに来たのだ。今嫁さんが自分の妹と一緒にフランス旅行中なので、今は自分は家に一人。なので日本食を作ることもなく、みんなで近くのピザハットでピザを買い、コーラを飲み、そして「スーパーマリオブラザーズ」から始めた。

このアメリカ人学生2人がスーパーマリオブラザーズの5-2をどうやってもクリアできない様を、彼らの経歴と照らし合わせると非常に面白かった。この内の一人はお父さんがHarvard、お姉さんがDukeのMBAを取得しているMBA一家、もう一人はGMATが760という超人的なスコアを持っている。そんな彼らがノコノコ(赤甲羅)に何度もぶつかったり、穴に落ちてしまう姿が滑稽で仕方なかった。彼らは「ぷよぷよ」もプレイしたのだが、ルールがわかった後も、なかなか連鎖を作れずに、一つ一つ消していくという様だった。しかしそんな彼らに負けてしまう自分も相当ぷよぷよが苦手である。

「Final Fight2」をプレイした後は、さすがにファミコンにも飽きてしまい、Ben&Jerryのアイスクリームを食べながら話をし、散会となった。

大学の時に友達の家に泊まりに行って過ごすような時間だった。

2009年2月25日水曜日

二度目の食中毒

欧州に渡って、半年以上経った。だが、まだ半年だ。それなのに食中毒にまた襲われた。

前回はイタリアローマでの生卵が原因だった。今回はおそらく、コーラではないかと思う。なぜコーラかというと、自分とちょうどその時日本からマドリッドに遊びに来てくれた友達の二人が体調を崩したのだが、二人が共通で食したものがコーラだったのだ。ケバブ屋で飲んだコーラだったのだが、そういえばどうも炭酸が抜けていて新鮮さが欠けていたような気がする。

そのケバブ屋で食事をした後、マドリッドから30分行けるスペインの古都トレドに観光に出かけたのだが、トレドでは終始青い顔をしていた。初めは我慢していればその内治るかと思ったが、甘かった。どんどん苦しくなってきてついに名所であるカテドラル周辺の工事現場で1回目の嘔吐。自分がこんな状況なので、仕方なくトレドの夕陽を諦めてマドリッドに帰ることにした。

その途中、トレド駅で、2回嘔吐した。悪寒がして仕方がない。

マドリッドまでの電車は寝込んでしまったので大丈夫だった。でも、マドリッドのアトーチャ駅で下車してからは悲惨だった。友達とうちの嫁の言葉に何も答えられない。気持悪すぎてむしろ何も話しかけてほしくなかった。タクシーで帰ろうとしたが、不幸にもタクシーは長蛇の列だった。一体自分の行いのどんなところが悪かったのだろう、と思った。

何とかタクシーに乗ったのだが、タクシーの前の車がちんたらやっている。ここぞとばかりにちんたらやっている。タクシーの運転手は自分の表情を常に気にしていた。当然だ。ここで吐かれたら商売にならない。でもついに限界が来た。「降りる」と一言いい、ドアを開けた。ドアは路肩に駐車している車にガツッと当たった。もうそんなこと知るか。すかさず運転手が「待て、車を前に出すから!」と言った。車から出たらすぐに開放した。出るものは何もなかった。でもどうしようもない力が働いてどうにもこうにも嘔吐を止められない。死ぬかと思った。「うふゥー…」と情けない声が自然と出た。どこかの国の財務大臣みたいだった。

この日の夜に予定していた学校のブラジルクラブ主催のサンバパーティーももちろん中止、次の日に予定していたバルセロナ行きももちろん中止。

大好きなコカコーラが今は怖くて仕方がない。