2010年1月24日日曜日

MBA

帰国して1カ月が経った。あっという間に日本の生活に慣れ、いや慣れるというよりただ戻ってきたという言い方の方が正しいだろう。今ではマドリーの生活がまるで幻のようである。

2008年8月から2009年12月までの17ヶ月間、自分の人生で初めての海外生活であった。MBAで学んだこと以外にもたくさんのことを学んだことはいうまでもない。だがここで忘れないうちに、自分がMBAで学んだものを記しておきたいと思う。何かあったら、これを読んで初心を取り返したい。日本で仕事をしていると、環境に飲みこまれて、あっという間に留学で学んだことを忘れてしまいそうだからである。

コミュニケーション能力

異文化で生きている人間とどう接するかは、この留学における最大の課題と位置づけることが出来る。しかし意外にも共通点が多かった。ラテン文化圏、アングロサクソン文化圏、ゲルマン文化圏、どこにおいても、優秀な人間はとても論理的に人を説得しようとするし、且つ他人に気配りが出来る。それに結局、仲良くなるためには、時間をかけ色々な話をしなければならない。座って酒を飲みながら話すことは、誰とコミュニケーションするにも世界共通で有効な手段である。こうしたところは、人間だから当たり前なのかもしれない。目立った違いといえば、日本で可能なような、一を言って十わかってもらうことは出来ないということである。授業中やグループミーティングでの発言において、これだけ言えばわかるだろうというつもりで発言をしても、それはどういうことか、と問い返されることが多い。また、レポートにおいても会社の業務での癖が出ていたのか、なるべく少ない分量で端的に内容を説明することを心がけていた。だが、如何に内容的に的を得たことを述べていたとしても、結果として一定量のボリュームがなければ高得点は難しい気がする。きちんと文章が一本の線で繋がっていること、そして理解するのに十分な例示が必要である。それ以外の点では、その日に起こった衝突を次の日にはすっかり忘れたかのように触れ合うことが出来ることではなかろうか。

俯瞰的視野

経営者にとって大切なものであるし、これを与える為に、MBAコースは浅いと言われながらも広範に学ばせる姿勢を崩していないのだと思う。仕事柄、担当していた個別案件が全社的な観点からどのような位置づけにあるのか、あるいは各システムの経営に与える影響度合いはどれほどのものか、といった話には比較的慣れていたと思う。ただそれらに加え、Strategyの体系的学習、商社ではあまり見られないMarketing、民間企業以外の組織との関わり方に焦点を当てたBusiness Government and Society等視野を広げる機会に恵まれた。Financeにおいても、B/Sの左側に焦点を当てていた業務での経験に加え、調達サイドであるB/Sの右側についても学習することが出来た。

英語力

留学前は全く自信がなかったので、その時に比べれば上達をしたと思う。一方で、英語に対する現実を目の当たりにしたという点では、まだまだ改善の余地があることを認識せざるを得ない。現実というのは、外国人はほぼ自在に英語を駆使するが、自分を含めたほとんどの日本人はそれが出来ないということである。ただこの現実認識は、前に進むためのポジティブな一歩であると考えている。英語はツールでしかないなどと言われているが、英語が本当に出来るということはすごいことだと思う。出来ていると思っている人でも本当は出来ていないのではないかと思う。外国人と対等に伍すためには、英語力が絶対に必要であり、それは言っていることをきちんと理解し、自分の言いたいことをきちんと言える英語力を意味する。英語がきちんと出来ないと次第に相手をされなくなってしまう。日本が欧米から未だに非常に遠いのは、英語が出来ないからだという単純な理由が依然として根強いと思う。欧州MBAという世界に来て、本当にインターナショナルな環境に身をおくとわかるのは、英語が出来ないのは日本人だけだと言うことである。実は韓国人も相当英語が上手い。教授から質問が出て、自分以外の58人全員が手を挙げたのを感じた時、自分だけ世界から孤立した気がした。17ヶ月程度の留学期間ではとても外国語を習得するのは難しい。それ故、今後も研鑚を怠らないようにする。

積み重ねてきたことへの自信

如何にWorld Wideであり、Top RankingのMBAであっても、学生の平均年齢が29歳のコースであるため、誰もがそれほど長い実務経験を有しているわけではない。殊に総合商社という世界的にも稀なタイプの企業で、且つリスク管理というあまり皆に馴染みのない仕事に関わってきた自分がこれまで蓄積してきたことは、トップクラスの学生達に対しても十分な貢献が出来たと思う。財務諸表分析、キャッシュフローマネジメント、法務的、税務的な側面等、これらを総合的に理解している学生はほとんどいなかった気がする。ただ一方で、弁護士や会計士は当たり前、医者、車のエンジン設計者、オペレーションマネジメントのプロフェッショナル、軍隊の指揮官等、特定の専門分野を駆使して既に世界で勝負をしているスペシャリストがいることも事実で、彼らの専門性の深さには到底及ばない。今やMBAは当たり前、それに加えて武器となる専門性を有することが世界標準になってきているのではないかと感じた。もう少しで30歳を迎える自分としても、今後は専門性の深化が必要になると思う。

ネットワーキング

ネットワーキングの真価が問われるのは、在学中ではなく、卒業後である。だからこの場でこれをどの程度達成出来たか述べるのは妥当ではないと思う。在学中は誰もかれも一緒にいるので、交流を深める機会が十分にあり、ネットワーキングに成功したように感じるものだと思う。だが問題は、その後も持続できるような深い仲をどれだけ築けるかである。その後仕事上のメリットを享受するには、相当苦しいプロセスを共に過ごした等の共有経験が必要であろう。正直そういった友達は何人もいるわけではない。いくらSkypeやFacebookが発達したと言っても、物理的な繋がりをきちんと持たないことには人間の関係維持は難しいと思う。とはいえ、世界中に学友がいることは間違いないので、近隣国を訪れる度に彼らとコンタクトを試みたい。

国際的視点

国際的視点というと大げさに聞こえてしまうが、なんとなく世界がどういう風に構成されているのか分かってきた気がする。例えば、丁度自分の留学中にリーマンショックが世界的に波及し、世界が同時に不況に陥った。金融が産業を支援する立場でなく、主役に躍り出てしまったことにより、世界が脆弱な金融ネットワークによって連鎖していることが浮き彫りになった。スペインは失業率が約20%まで上昇。同時に日本でも企業が軒並み業績修正を余儀なくされた。こうした世界の連鎖を肌で感じることが出来た。文化的な面でも例がある。欧州は欧州という一括りにするなど到底不可能な程に多様な文化で構成されていることである。例えばスペインとイギリスの場合、天気も、食事・就寝時間も、考え方も全く違う。イタリアとスペインも似ているようで発展度合いが違う。また、欧州とアメリカは全く違う。こうしたことを知らずにこれまで生きてきたことを恥じるようになった。マドリッドにいるスペイン人が蔑称で我々アジア人を”Chino!”と呼ぶことに幾度となく不快な思いをしたが、自分も欧州と米州を一緒にしてしまっている。自身の教養の無さが浮き彫りになってしまったと思う。組織のリーダーは、その組織の顔であるので、こうした文化の違いに対する理解を含めた十分な教養を備えている必要があることを認識した。

上記以外にももちろんたくさん得たものはあったと思うし、人によってはもっと違ったものを得た人もいるであろう。とはいえ、自分はMBA取得という選択が全ての人にとって正しい選択とは限らないということをここで強調しておきたいと思う。日本では、MBAがどうも神格化されていて、それを取得すれば何もかもがスーパー、みたいな印象を持たれてしまっている気がする。そしてメディアもそれを煽っている。MBA生活における苦しい部分をあまり明かさないブログも多いという話も聞く。だが自分の経験を通して思うことは、MBAも数あるMaster Degreeの一つに過ぎないということである(授業料は圧倒的に高いが)。これを取得した瞬間、またはそれを取得するプロセスを考えたとしても、仕事力が急激にアップする、という実感はない。特に日本企業において、留学前に所属していた部署と同じ部署で働くことになるのだとしたら、留学していた分の時間だけ実務経験を積んでいた方が自分にとっても会社にとっても有益である、ということも十分あると思う。MBAホルダーが卒業直後にやろうとしていることと、日本企業が求めていることが全く違うことがあるからである。自分のように社費派遣生の場合、帰国後にどういった仕事が出来るのか、ここをきちんとクリアにしておかないと、とても辛い思いをすることになるだろう。実際、同じ日本企業でも、MBA派遣生をどのように扱うか、大きな差があるようである。

ただ最後に言いたいのは、自分にとっては本当に素晴らしい経験だったということだ。これを経験しなければ見えないものが見えるようになったと強く思う。「世界は何と広いことだろう。」こんな物語みたいな台詞を素で言ってしまうような経験だった。自分は、本当に小さな島の中でしか生きていなかったのだなと思った。自分のB/Sの左側に、無形固定資産でMaster of Business Administrationという項目が出来た。 あとはこの資産を活かす場をきちんと見極め、動くことである。自分次第でValueはいくらでも変わるのだ。

2010年1月5日火曜日

IE Business School

IE Business Schoolについては、公式サイトや、リンク先に張ってある日本人学生作成のサイトに詳細が掲載されている。なので、ここではあくまで自分個人としての考えを述べたいと思う。

最も自分にとって印象深かったのは、学生の質である。学校の特色として、全員が一定のベクトルに向かっているというわけではなく、各々が各々の方向を向いているという点が挙げられる。そういう学校なのでとんでもなく優秀なやつがいたり、何だよお前は、みたいなやつもいる。だが、総じて優秀な学生が集まっていると言える。彼らのこれまでのキャリアからもそれはわかるし、実際に一緒に13ヶ月を過ごしてみても感じられることである。この点は、MBAに求めるファクターとして最も重要な点であると思うし、昨今上昇しているランキングと合致すると思う。

一方、学校の運営面はまだ発展途上な部分がある。お粗末な伝達ミスがあったり、評判の悪い教授が依然として残っていたりする。だが、発展途上というのはまだまだ伸びしろがるという点で肯定的に捉えることも十分可能である。実際、プログラムを絶え間なく改善していこうとする姿勢は一貫しており、毎年学生のフィードバックを基に様々なことを試みているし、学生による評価の悪い教授は期中であっても更迭する。

現状の日本での知名度については、米国のトップスクールと比した場合低いと言わざるを得ない。ただ学校側による絶え間ないプログラムの改善、そして何よりAlumniである我々の活躍次第で知名度については大いに伸ばしていけると信じている。

いずれにしてもこれからも、IE Business Schoolとは様々な形で関わっていくことになる。学校説明会では顔を出すことになるだろうし、日本でのAlumni Networkもこれからどんどん盛んにしていく予定である。この学校との出会いを自分のこれからの人生を豊かにするために大いに有効活用していきたい。

2010年1月4日月曜日

スペイン

前回更新からかなりの時間が経ってしまった。帰国に伴う準備、そして依然インターネットに接続できない環境のため更新がずっと出来なかった。

既に帰国を、出社を始めたが、忘れないうちに書き記しておきたいことがある。

まずは、スペインについて。

スペインに来た当初、スペインが大嫌いであった。英語の標識がない、英語を喋ることができる人が極めて少ない、マクドナルドに並ぶ客は自分が店員の前に立ってから何を注文するか決める、メシがまずい、良い買物スポットがない…枚挙に暇がない。

そして今も、それほど好きではない。ただ見直した部分も実はたくさんあった。サンセバスチャンでは、本物のスペイン料理に触れることが出来た。あそこで食べたフォアグラや海鮮のピンチョスは美味しい。町並みも綺麗だった。グラナダも良かった。最適な季節である夏に行けばひまわりがいっぱいでもっと綺麗だったと思う。忘れてはならないのは、スペイン人はとても優しいことである。他のヨーロッパ諸国に旅行に行くと、スペインのような温かさがないことを非常に寂しく思うことがある。さらに、また食べ物の話になるが、生ハムとワインは絶品である。先日伊勢丹の地下に行き、生ハムの値段をみて絶句した。ハモン・イベリコ、100g 10,500円。スペインの10倍の値段である。もうあの味を気軽に味わうことは出来ない。こんなこともあった。帰国の際、JALを使ったのだが、一人だけCAにスペイン人がいた。彼女はもちろん英語と日本語を使って対応をするわけだが、自分は何故かスペイン語で話しかけたい衝動に駆られたのである。他の乗客に対し、「ふん、俺はお前達よりもスペインのことを知っているのだぞ!」という不思議且つ排他的な気持ちが湧き起こった。まともにスペイン語を勉強しなかったくせに、無性に優越感を感じ、そしてそれを表現したくなったのである。スペインからは学んだこともあった。人間はもっとシンプルに生きてもいいのではないか、ということだった。日本に帰ってきて、本当に国全体が無理やり発展しようとしているのだな、という風に感じた。テレビを見ると、そんなものもう要らないじゃん、というものがたくさん映し出されている。実家に帰って、便器の蓋が勝手に開いたのをみて、よりそうした思いを強くした。

これだけ書き連ねると、何だお前スペインのこと大好きなんじゃねえか!?と言われるかもしれない。でも、そんなことはない。

次にスペインに行くのはいつになるかわからないし、もう行かないかもしれない。ただ一つ確かなのは、既にスペインを懐かしく思い、テレビの旅行番組でスペインが出るとやけに張り切ってしまう自分がいるということである。

2009年12月22日火曜日

卒業式

12月19日金曜日、ついに卒業式を迎えた。レアルマドリッドの本拠地であるサンティアゴベルナベウスタジアムの横に、大きな講堂があり、卒業式はそこで行われた。集合時間の10時をちょっと過ぎた頃に行くと、すでにたくさんの学生、そしてその親族等が集まっていた。実際、自分の国から家族が来る学生は多く、彼らは他の学生からInvitationを譲ってもらわなければならない。自分も一人で出席することになっていたので、バルバドル人の友人にInvitationをあげることになった。

レセプションで、”International MBA”と書かれたタスキのような(?)ものをもらい、これをスーツの上からかける。ガウンと角帽がないのが残念だったが、ここはビジネススクールなので、それもいいか、と思った。

会場内ではコース、クラスごとに着席をすることになった。しばらくするとDeanから挨拶があった。滅多に見ることのないDeanは、ユニークを交えながらスピーチをしていた。13か月前、セゴビアのIE University で入学式があった時は、このDeanの英語が何をいっているのかほとんどわからなかったのだが、今はもう違う。英語力も少しは上達したということだろう。

やがて、お待ちかねの学位授与の時間がやってきた。入学式の時は、特段の感動もなかったと以前ブログに書いたのだが、この時はやっぱり嬉しかった。学生の名前が次々と呼ばれ、順番にDeanより卒業証書が授与される。みんなも嬉しそうである。そりゃそうだ、この日の為に頑張ってきたのだから。ついに自分のクラスであるN4の順番になった。クラスのみんなが呼ばれていく。何故だかこうして自分のクラスメートが授与されていく姿をみて、誇らしい気持ちになった。そして自分の名前が呼ばれた。Deanと握手をし、証書を受け取る。この瞬間、大学の時から夢みていたMBAになったのだ。授与された瞬間自分の能力が急に上がるわけではない。ドラゴンボールの「超聖水」と同じで、それを手にする過程において、成長してきたのだ。

ところで、この卒業式はLive中継で世界中にネット配信されていた。先に帰国した嫁、そして両親と妹も実家でこの様子を見ていたらしい。他の学生の親族もみんなこれを見たことだろう。自分は欲張って、それに加えてビデオカメラを携えて卒業式に臨んだのだが。

式にはその他にAwardを授与する時間が設けられていた。要するに、誰が一番成績良かったか、どの教授が一番良かったか、を発表するのである。自分のクラスは学級委員のブルガリア人が受賞していた。彼女は聡明且つ性格も良く、この受賞には誰も異論がないだろう。教授は、自分のクラスがコアタームの時に受講したStrategy Managementの教授が受賞していた。隣に座っていたイギリス/フランス人の女学生が「彼は私にとっては最低の教授だわ」とつぶやいていた。こっちの方はいろいろと意見が分かれるようである。

式の後は、カクテルパーティーがあった。ここでみんな家族を含め談笑をしたり、写真を撮ったりした。みんなでおめでとうと言い合っていた。自分は引越しの準備が完了しておらず、且つ一番の仲のいいフランス人が最後のパーティーに来ず、その代わりに夜ディナーをする予定になっていたので、もしかしたらこれが最後になるかもしれないという気持ちでみんなと話をしていった。中には「じゃあまた夜のパーティーでね」と言って別れた者もいるが、それが最後の別れになってしまった。だが、「これが最後だね」と言って別れるのはとても嫌なので、こうしたさもまた明日も会うような別れ方の方が良かったのである。

その夜、フランス人の家で、近くの日本食レストランでTake outをしたものを食べた。彼の家族は翌日から彼の奥さんの故郷であるエクアドルに行くことになっていたので、準備が忙しく手間をかけることが出来なかったのだ。だがこの普通な感じが快適だった。この奥さんは本当に優しく、そこの坊やは自分の子供に対する価値観を変える程に可愛い坊やである。最後の最後で、みんなと同じパーティーに出席せず、一番仲の良い友達のスケジュールに合わせて過ごす。ネットワーキングを徹底重視するMBA的には失格な過ごし方かもしれないが、自分らしい過ごし方をしたと思う。

こうしてMBA生活が静かに幕を閉じた。

2009年12月17日木曜日

引越し完了

帰国準備を進めているが、いよいよ引越しも完了した。マドリー滞在もあと3日である。ヨーロッパ生活ももう終わりなのだ。

ところで、何故か先週末から咳が出て、これまで一向に止まる気配がない。パブロン飲み続けているが…市販の薬は効果が弱くて困る。引越し準備で飛び散った埃のせいなのだろうか…。苦しい。

帰国直後に吉野屋に行くという、ささやかな楽しみが近づいている。

2009年12月11日金曜日

The funniest presenter

クラス最後のディナーで、クラスメートへのAwardの授賞式が行われた。クラスメートの投票で決まるAwardもあれば、実行委員がクラスメート一人一人のために考えたAwardもあり、最終的にクラスメート全員が何かしらのAwardを受けるという楽しい企画である。クラスメートから見たその人の特徴を表彰する場であるともいえるだろう。

自分は、"The funniest presenter"のAwardをもらった。これは嬉しかった。ただ、トイレに行っている間に自分が表彰されていたらしく、タイミングを逃してしまい、トイレから出てきた自分をみんなが待ち構えていてくれた。おお…ここでもfunnyに受賞しなくては…。

クラスメートに比べて英語が下手くそな自分は、何とか自分なりのプレゼンスを発揮する必要があった。自分に出来ること、そして万国共通で通じることは何か。そう考えた時に思いついたのが、みんなを笑わせてやる、ということだった。どういうわけか、人を笑わせることは自然体で出来る。だからプレゼンの合間に、こういう面白いところを入れたらメリハリが生まれ、より聴衆の注意を惹きつけることが出来るのではないか、という考えを肯定的に捉えながら臨んでいた。

入社後、同じ課の先輩に自分が思いもよらないような企画を飲み会でやろうと言われたことがあった。最初は躊躇した。こんなことをやったら怒られるに違いないと思っていた。でもその先輩の助けを借りながら、いざやってみると大好評だった。そしてそのプラスの流れがずっと続いていき、偉い人まで我々の企画を楽しみにしてくれるようになった。その先輩は退社されてしまったが、あの時強引に背中を押してもらえなかったら、MBA留学で世界中のみんなを笑いに包むことが出来る自分は育まれなかっただろうと思う。感謝しても感謝しきれない思いで一杯である。

さて、その後行ったバル(クラブ?)で、マイケル・ジャクソンの曲がかかった。みんなマイケル・ジャクソンを真似ようと、ムーンウォークをしたりしていた。自分は小さい頃からマイケル・ジャクソンの真似をしていたので、それをやっていた。そしたらまたみんなに囲まれてしまい、歓声が飛んだ。引くに引けなくなってしまった。この後、カウンターでビールを飲んでいたら、クラスで" The party girl"の称号を得たエクアドル人女学生に「今日のあなたはマイケル・ジャンクソンそのものだわ」と言われた。

2009年12月10日木曜日

卒業試験終了

本日卒業試験が終了し、MBAコースの全ての過程が終了した。あとは18日の卒業式を残すのみである。この卒業試験では、1.与えられたケースを分析し、レポート提出そしてプレゼンテーションを行う 2.Venture-Labのビジネスプランをプレゼンテーションする のどちらか一方を選択することになる。自分は長い時間を費やしてきた2. の方式で卒業試験を受けた。既にビジネスプランを提出しているにも関わらず、入念にプレゼンテーションの準備を行った。本番前日の昨日も、8時間かけてリハーサルを含めたプレゼンの最終調整を行った。

当日、卒業試験は普段は入ることのできない、Executive MBAの校舎で行われた。我々の審査官は4名だった。どの人も見たことのない人達で、この審査の為に外部から呼ばれたのかもしれないし、知らない教授なのかもしれない。自分は担当していたファイナンスのパートをプレゼンした。今回は10分間というタイムリミットがかなり厳格に適用されるということだったので、時間には最大限に気を遣った。その10分間の後、5分間の質問タイムがある。どうやら審査官はエンジニア出身の人達のようで、我々のビジネスモデルの中身について大いに興味があったようだ。他の部屋で行われた試験では、ファイナンスに関する質問がかなりあったと聞いていたので警戒をしていたのだが。チームメートのフランス人とスイス人は滞りなく質問に回答していた。当然質問されるようなことは以前から十分に考えつくしていたのだ。結果として、練習通りに満足のいく形でプレゼンを終えることが出来た。チームメート達はビジネスモデルに関する質問が多かったことを受けて、審査官が我々のビジネスモデルをよく理解していたと、大いに喜んでいた。

プレゼン終了後は、3人でSerrano通りにあるBarで昼間っからシャンパンで乾杯をした。フランス人とスイス人(ドイツ語圏出身だが、大学はフランス語圏)故、お祝いの仕方もフランスっぽいなあと感じた。

この3人でもって、グループワークも全て終了。これでもか、という程たくさんあったグループワークが終わったという実感がまだ全くない。

さて、今夜はクラスのディナーがある。今度こそ最後まで生き残れるように、飲酒量を調整しなければ…。だが彼らのテンションに対抗するには一定の酒の量が必要という問題もある…ううむ、何をし、何をしないか…まさに戦略が求められる。