2009年12月22日火曜日

卒業式

12月19日金曜日、ついに卒業式を迎えた。レアルマドリッドの本拠地であるサンティアゴベルナベウスタジアムの横に、大きな講堂があり、卒業式はそこで行われた。集合時間の10時をちょっと過ぎた頃に行くと、すでにたくさんの学生、そしてその親族等が集まっていた。実際、自分の国から家族が来る学生は多く、彼らは他の学生からInvitationを譲ってもらわなければならない。自分も一人で出席することになっていたので、バルバドル人の友人にInvitationをあげることになった。

レセプションで、”International MBA”と書かれたタスキのような(?)ものをもらい、これをスーツの上からかける。ガウンと角帽がないのが残念だったが、ここはビジネススクールなので、それもいいか、と思った。

会場内ではコース、クラスごとに着席をすることになった。しばらくするとDeanから挨拶があった。滅多に見ることのないDeanは、ユニークを交えながらスピーチをしていた。13か月前、セゴビアのIE University で入学式があった時は、このDeanの英語が何をいっているのかほとんどわからなかったのだが、今はもう違う。英語力も少しは上達したということだろう。

やがて、お待ちかねの学位授与の時間がやってきた。入学式の時は、特段の感動もなかったと以前ブログに書いたのだが、この時はやっぱり嬉しかった。学生の名前が次々と呼ばれ、順番にDeanより卒業証書が授与される。みんなも嬉しそうである。そりゃそうだ、この日の為に頑張ってきたのだから。ついに自分のクラスであるN4の順番になった。クラスのみんなが呼ばれていく。何故だかこうして自分のクラスメートが授与されていく姿をみて、誇らしい気持ちになった。そして自分の名前が呼ばれた。Deanと握手をし、証書を受け取る。この瞬間、大学の時から夢みていたMBAになったのだ。授与された瞬間自分の能力が急に上がるわけではない。ドラゴンボールの「超聖水」と同じで、それを手にする過程において、成長してきたのだ。

ところで、この卒業式はLive中継で世界中にネット配信されていた。先に帰国した嫁、そして両親と妹も実家でこの様子を見ていたらしい。他の学生の親族もみんなこれを見たことだろう。自分は欲張って、それに加えてビデオカメラを携えて卒業式に臨んだのだが。

式にはその他にAwardを授与する時間が設けられていた。要するに、誰が一番成績良かったか、どの教授が一番良かったか、を発表するのである。自分のクラスは学級委員のブルガリア人が受賞していた。彼女は聡明且つ性格も良く、この受賞には誰も異論がないだろう。教授は、自分のクラスがコアタームの時に受講したStrategy Managementの教授が受賞していた。隣に座っていたイギリス/フランス人の女学生が「彼は私にとっては最低の教授だわ」とつぶやいていた。こっちの方はいろいろと意見が分かれるようである。

式の後は、カクテルパーティーがあった。ここでみんな家族を含め談笑をしたり、写真を撮ったりした。みんなでおめでとうと言い合っていた。自分は引越しの準備が完了しておらず、且つ一番の仲のいいフランス人が最後のパーティーに来ず、その代わりに夜ディナーをする予定になっていたので、もしかしたらこれが最後になるかもしれないという気持ちでみんなと話をしていった。中には「じゃあまた夜のパーティーでね」と言って別れた者もいるが、それが最後の別れになってしまった。だが、「これが最後だね」と言って別れるのはとても嫌なので、こうしたさもまた明日も会うような別れ方の方が良かったのである。

その夜、フランス人の家で、近くの日本食レストランでTake outをしたものを食べた。彼の家族は翌日から彼の奥さんの故郷であるエクアドルに行くことになっていたので、準備が忙しく手間をかけることが出来なかったのだ。だがこの普通な感じが快適だった。この奥さんは本当に優しく、そこの坊やは自分の子供に対する価値観を変える程に可愛い坊やである。最後の最後で、みんなと同じパーティーに出席せず、一番仲の良い友達のスケジュールに合わせて過ごす。ネットワーキングを徹底重視するMBA的には失格な過ごし方かもしれないが、自分らしい過ごし方をしたと思う。

こうしてMBA生活が静かに幕を閉じた。

2009年12月17日木曜日

引越し完了

帰国準備を進めているが、いよいよ引越しも完了した。マドリー滞在もあと3日である。ヨーロッパ生活ももう終わりなのだ。

ところで、何故か先週末から咳が出て、これまで一向に止まる気配がない。パブロン飲み続けているが…市販の薬は効果が弱くて困る。引越し準備で飛び散った埃のせいなのだろうか…。苦しい。

帰国直後に吉野屋に行くという、ささやかな楽しみが近づいている。

2009年12月11日金曜日

The funniest presenter

クラス最後のディナーで、クラスメートへのAwardの授賞式が行われた。クラスメートの投票で決まるAwardもあれば、実行委員がクラスメート一人一人のために考えたAwardもあり、最終的にクラスメート全員が何かしらのAwardを受けるという楽しい企画である。クラスメートから見たその人の特徴を表彰する場であるともいえるだろう。

自分は、"The funniest presenter"のAwardをもらった。これは嬉しかった。ただ、トイレに行っている間に自分が表彰されていたらしく、タイミングを逃してしまい、トイレから出てきた自分をみんなが待ち構えていてくれた。おお…ここでもfunnyに受賞しなくては…。

クラスメートに比べて英語が下手くそな自分は、何とか自分なりのプレゼンスを発揮する必要があった。自分に出来ること、そして万国共通で通じることは何か。そう考えた時に思いついたのが、みんなを笑わせてやる、ということだった。どういうわけか、人を笑わせることは自然体で出来る。だからプレゼンの合間に、こういう面白いところを入れたらメリハリが生まれ、より聴衆の注意を惹きつけることが出来るのではないか、という考えを肯定的に捉えながら臨んでいた。

入社後、同じ課の先輩に自分が思いもよらないような企画を飲み会でやろうと言われたことがあった。最初は躊躇した。こんなことをやったら怒られるに違いないと思っていた。でもその先輩の助けを借りながら、いざやってみると大好評だった。そしてそのプラスの流れがずっと続いていき、偉い人まで我々の企画を楽しみにしてくれるようになった。その先輩は退社されてしまったが、あの時強引に背中を押してもらえなかったら、MBA留学で世界中のみんなを笑いに包むことが出来る自分は育まれなかっただろうと思う。感謝しても感謝しきれない思いで一杯である。

さて、その後行ったバル(クラブ?)で、マイケル・ジャクソンの曲がかかった。みんなマイケル・ジャクソンを真似ようと、ムーンウォークをしたりしていた。自分は小さい頃からマイケル・ジャクソンの真似をしていたので、それをやっていた。そしたらまたみんなに囲まれてしまい、歓声が飛んだ。引くに引けなくなってしまった。この後、カウンターでビールを飲んでいたら、クラスで" The party girl"の称号を得たエクアドル人女学生に「今日のあなたはマイケル・ジャンクソンそのものだわ」と言われた。

2009年12月10日木曜日

卒業試験終了

本日卒業試験が終了し、MBAコースの全ての過程が終了した。あとは18日の卒業式を残すのみである。この卒業試験では、1.与えられたケースを分析し、レポート提出そしてプレゼンテーションを行う 2.Venture-Labのビジネスプランをプレゼンテーションする のどちらか一方を選択することになる。自分は長い時間を費やしてきた2. の方式で卒業試験を受けた。既にビジネスプランを提出しているにも関わらず、入念にプレゼンテーションの準備を行った。本番前日の昨日も、8時間かけてリハーサルを含めたプレゼンの最終調整を行った。

当日、卒業試験は普段は入ることのできない、Executive MBAの校舎で行われた。我々の審査官は4名だった。どの人も見たことのない人達で、この審査の為に外部から呼ばれたのかもしれないし、知らない教授なのかもしれない。自分は担当していたファイナンスのパートをプレゼンした。今回は10分間というタイムリミットがかなり厳格に適用されるということだったので、時間には最大限に気を遣った。その10分間の後、5分間の質問タイムがある。どうやら審査官はエンジニア出身の人達のようで、我々のビジネスモデルの中身について大いに興味があったようだ。他の部屋で行われた試験では、ファイナンスに関する質問がかなりあったと聞いていたので警戒をしていたのだが。チームメートのフランス人とスイス人は滞りなく質問に回答していた。当然質問されるようなことは以前から十分に考えつくしていたのだ。結果として、練習通りに満足のいく形でプレゼンを終えることが出来た。チームメート達はビジネスモデルに関する質問が多かったことを受けて、審査官が我々のビジネスモデルをよく理解していたと、大いに喜んでいた。

プレゼン終了後は、3人でSerrano通りにあるBarで昼間っからシャンパンで乾杯をした。フランス人とスイス人(ドイツ語圏出身だが、大学はフランス語圏)故、お祝いの仕方もフランスっぽいなあと感じた。

この3人でもって、グループワークも全て終了。これでもか、という程たくさんあったグループワークが終わったという実感がまだ全くない。

さて、今夜はクラスのディナーがある。今度こそ最後まで生き残れるように、飲酒量を調整しなければ…。だが彼らのテンションに対抗するには一定の酒の量が必要という問題もある…ううむ、何をし、何をしないか…まさに戦略が求められる。

2009年12月8日火曜日

European Business School Ranking 2009

一応在校生のIEプロモーション担当ということで、主要雑誌のランキング更新が合った場合は、掲載することにする。

Financial Timesで本日発表されたEuropean Business School Ranking 2009でIEは5位にランクインした。このランキングはMBAに限らず、各スクールが有するそれ以外のコースも総合的に加味して付けられたものである。

TOP10は以下の通り。

1. HEC Paris France
2. London Business School
3. Insead
4. IMD
5. IE Business School
6. Iese Business School
7. Rotterdam School of Management, Erasmus University
8. EM Lyon Business School
8. Esade Business School
10. Vlerick Leuven Gent Management School

2009年12月6日日曜日

パートナーを含めた最後のディナー

自分自身の最後のディナーというわけではないのだが、一足早く日本に帰る嫁と共に参加するディナーは、これが最後となった。第1タームの時に同じグループだったメキシコ人がマドリッドで一番と言われるメキシコ料理屋に誘ってくれたのだった。

そこには自分達にとってはお馴染みの夫婦が揃っていた。フランス人夫婦、ブラジル人夫婦。それに加え仲のいいバルバドス人、誘ってくれたスペイン人、クラスメートのエクアドル人とドミニカ共和国人。このフランス人とブラジル人の嫁さん達は、本当にいい人であり、とても気配りが出来る人達である。この嫁さん達もバリバリのキャリアウーマンで、フランス人の奥さんはSchlumbergerで地質学のエンジニアとして働いていおり、ブラジル人の奥さんはL'OREALで働いている。いずれにそう簡単に入ることの出来ない企業である。でも傲慢なところが一切なく、話していてとても感じが良い。日本人は気配りをする国民だなんていうことを頻繁に言う人間がいるが、出来ない人もたくさんいるし、外国人でも気配りが出来る人はいる。外国人にしても、普通は他人に対し気配りはするもんだ、そんなの当たり前だ、という風に考えているのだと思う。言葉が違えども、そういう気持ちの部分というのは人間だからなのか、とても伝わりやすいのだ。

さてメキシコ料理自体は、正直驚くほど美味しいということはなかった。よく見ると、なんだかみんな疲れていて、結構静かな食事だった。顔が疲れているのだ。夜の11時から始まる夕食なんて、そりゃ普通は疲れるだろうと思う。座って食べるときは静かなのかな…。しかし、こうしてみんなを見ていると、帰りたくないなあ…とつくづく思ってしまう。何も全員と深く話をしてきたわけではないのだが、総体として帰りたくないなあという気持ちを促すのである。

食事後、この特に疲れてた顔をしていたエクアドル人とドミニカ共和国人の女学生、そしてメキシコ人の女学生とバルバトス人の4人は、お決まりのBar of the weekに向かっていった。疲れているんなら寝ればいいじゃん!と思うのだが、ここはやはりラテンカルチャーの中枢スペイン・マドリー、意地でもみんな飲みに、そして踊りに行くらしい。さっきテキーラを一気飲みまでしていたのに…。もう留学生活も終わりだが、ついぞ彼女らのこの夜の勢いに勝つことは出来なかった…。

この日、MBAでの全ての授業が終わった。後は卒業試験のみである。マドリッドの冷たい風が運ぶ匂いが、ここに来た頃の記憶を蘇らせる。

2009年12月1日火曜日

最終月

いよいよ12月になった。留学生活も今月で終わり、帰国をすることになる。

このところ、日本での仕事生活の夢をまた見始めるようになった。お馴染みのオフィスに、お馴染みの人間が席を連ね、お馴染みの問題が起こり、お馴染みの処理を重ねていく…。この留学生活で成長した部分はたくさんあると信じているが、日本に戻ると留学前とまた同じ生活が待っている。

戻るとすぐに、この留学生活がけし飛んでしまって、毎日に追われ時間だけが過ぎていく、そんな最悪のシナリオだけは何としても避けなければならない。

国によって文化は違うことは事実であり、それを許容する文化としない文化があることは仕方がない。だが自分がやりたいことを主張することは、良いことなのではないかと思う。それを叶えるためには、それ相応の実力が必要だけれども。

仕事とMBA受験の両立は確かに大変だったが、これは自分を奮いたたせる重要な要素だった。自分には目標が必要だ。その意識を持ち、卒業後も戦っていかなければなるまい。

2009年11月30日月曜日

パリ、グラナダ

先週1週間は、両親が欧州にやってきたので、パリ、グラナダと旅行をした。

今回はツアーコンダクターとしての役割を担っていたのだが、特筆すべきは、フランス料理のレストランのことであろう。欧州に訪れる機会など滅多にない両親が来るということで、本場フランスのフランス料理を体験してもらおうと、星付きレストランを予約したのだ。

Le Sinqという二つ星レストランだった。ParisのFour Seasons Hotelの中にある。サービスの質で有名であり、且つZagat SurveyのFoodの評価は30点満点中28点と申し分ない。

これだけの評価であれば人生で最高の味に出会えるに違いないだろうと確信を持っていた。

…がしかし…正直なところ味に強い感動はなかった。雰囲気はとてもよかったのだが…。味、店内の雰囲気、サービス全てを含めた総合評価というのも一つの見方なのだろうが…やはり料理は味が最も重要なファクターであると思ってしまうのは自分だけだろうか。

両親がこの旅行で最も感動した料理は、このフランス料理ではなく、その後グラナダで食すことになる、インド料理屋のチキンカレーであった…。そして嫁も自分も、それに激しく同意したのだった…。

2009年11月19日木曜日

欲がない人達

Venture-Labもいよいよ佳境に入ってきて、今週末が提出。リスク管理という仕事をしてきた自分にとっては、チームメートが作るビジネスプランが、熱い思いや、ビジネスの詳細を書くことに腐心していて、全く守りのことを考えていないように見えることが結構ある。これを正そうとはするものの、みんななかなかそっちに気が向かない。二人ともエンジニアだったので、ファイナンスサイドの視点に立っている自分の考えが煙たいのかもしれないなあとも思う。でも彼らが考えないことをでバリューを付加していくことが自分の役目だと思っているので、しつこく言うつもりである。

ところで、この二人は優秀なのだが、あんまり欲がない気がする。フランス人は、ファイナンスの成績がトップクラスなので、教授からは金融の本場であるロンドンの投資銀行に行くべきよ、と言われてるらしい。が、当の本人は、奥さんの雇用契約が3年間あるため、マドリーに残らなければならないという理由、そして、家族とゆっくり過ごしたいという理由から、マドリーに残る方向性で仕事を探している。自分のキャリアよりも、奥さんのキャリアに理解を示し、それについて行っている。元々、奥さんがマドリーで働くから、という理由でコースが始まるギリギリにIEにアプライした経緯があるらしい。スイス人は、Venture-Labのビジネスプランに自らのCVを掲載していたが、そこにはGMAT760と書いてあった。GMATだけでいえば、入れない学校などない点数である。1回目で取ったらしい。以前アメリカで1年間勉強した際、アメリカ制のテストで出題されるトリックの傾向を見抜いたらしく、それがアドバンテージだったと説明している。普通はそれをアドバンテージに出来ないと思うのだが…。彼もアプライしたのはIEのみ。アメリカは2年制で長い、欧州の某トップ校は、大都市から離れているから、という理由でアプライしなかったとか。おまけに依然としてMBAにありがちな、コンサルや投資銀行志向が全くみられない。

この二人に共通しているのは、気配りが出来ることである。恵まれた頭の回転の速さと、周りを気遣うことの出来る性格、こんないい材料を持っているのに、欲がないなんて。自分にとって何が大切かをきちんと認識して生きているのだなあ、と思う。日本にいて感じたのは、何というかみんな焦燥感に駆られて生きてやしないか、ということだった。才能に恵まれた人はこういう生き方をしなければダメ、みたいな雰囲気がありやしなかったかと思う。そんなこと関係なしに、「知らないよ、俺はこういう風に生きたいんだ。」ということを平然と貫いて生きているチームメート達。こういう姿勢が人生を本当の意味でリッチにするのではないかと思った。

2009年11月18日水曜日

Electiveのドロップ

このエレクティブタームでは元々登録科目数が多かったこと、学習内容がやたらと多いAdvanced Corporate Financeをじっくり勉強したいこと、Venture-Labの締め切りが今週末に迫っていること、以上からSwim With The Pressという授業をドロップしようと考えていた。取りあえず1,2回目の授業に出てみたのだが、予想と違い、授業外でもグループワークがあるようだった。全部で5回しかない科目であるとナメていたが、今週に限っては結構時間を使いそうな科目にみえたので、とても続ける気になれなかった。

学校側に掛け合ってみたが、既にこの授業は満席となっているので、ドロップは出来ないと言われてしまった。通常は、第3回目までの授業までに学校側に伝えればドロップ出来るのだが(成績表にはドロップと付されるらしいが。意地悪だよなー。)、満席となっている授業ではそれが出来ない。こうなると登録しているのに出席をしない奴、という扱いになるので、最低の成績を付けられてしまう。それでも授業だけ出てグループワークに何の付加価値も与えないフリーライダーにはなりたくないので、やっぱりこのまま出席しないことに決めた。

このエレクティブの制度は、就職活動をしている学生にとってもかなり苦しいようで、海外で就職活動の面接がある場合などでもドロップは出来ないらしい。エレクティブでは特に毎日連続して授業が行われることが多いので、ちょっとマドリーを離れるだけでも出席に大きな痛手となってしまう。

(もしこのブログをご覧頂いているClass of 2010の方々がいらっしゃいましたら、このあたり良く考えてエレクティブを登録されることをおススメします。)

ということで、犠牲を払って作った大切な時間、ファイナンスをじっくり勉強しようと思う(Hopefully)。

2009年11月16日月曜日

クラスの飲み会

残り1カ月しか残されていない学生達が、寂しさをひしひしと感じ始めたのか、パーティーを続々と企画し始めている。この週末の金曜日も、クラスメート宅で大規模なパーティーが行われた。こうしたクラス飲みは久しぶりだと思う。

夜10時くらいまでフランス人の友達と学校でVenture-Labの作業をした後、二人で最近出来た日本食レストランに行った。値段もそこまで高くなく、日本を思い出すような味を出してくれるレストランであった。コース終了直前にこうしたレストランが出来るなんて…もう少し早く出来ていれば良かったのに。ここでフランス人は美味しそうにお好み焼きを食べていた。自分は串揚げ、焼き肉、寿司を注文した。

その後クラスメートのフラットに行った。2時間遅れの12時頃に行ったのだが、みんな既に盛り上がっていた。思ったより集合が早い。お馴染みの顔ぶれである。韓国人のクラスメートがスピーカーをPCに繋いでいて曲を流し、クラブの臨場感を演出しようとしていた。この日は自分も既に酒が入っていたので、彼らに追いつく必要はなく、初めっから良い気分だった。終わりも近づいているので、寂しい感じもした。みんなアルコール度数何度かわからないやたらと強い酒をワンショットで飲もうぜと言ってきたり、モップでリンボーダンスを始めたりして、無秩序状態になっていた。みんなが自分にもリンボーダンスをやれ、とリクエストしてきたので、おっしゃやってやろうか、とグラスをテーブルに置こうとしたら、手が滑って、クラスで人気ナンバーワンのイギリス/フランス人女性の服にビシャッと酒をかけてしまった。まずいと思い、合掌して座りこんで謝った。日本であれば、ここでさらに一気飲みをさせられたところだろう。その他にも、見たことのない青い液体の酒を飲ませられたりした。異常に強くて、口の中が火傷しそうに熱い。さすがにキッチンで吐き出した。

が、突然パーティーに終わりがやってきた。警察が来たのだ。スペインでは夜の12時以降、警察を呼んでやかましいイベントを無理やり止めることが出来ることが法律上定められている。逆に言うと、12時前はどんなに騒がれていても、自分で止めるしかない。警察が来る前にも近隣住民が幾度となくやってきて文句を言っていた。当たり前である。普通にアパートの中でこんなパーティーをやる方がおかしいのだ。

しかし、勢いづいたラテンカルチャーを止めることは出来ない。勿論その後みんなクラブに行くわけである。酔いにまかせて自分もみんなについて行った。どういうわけかこの日は入場料が無料だった。みんな踊り始めた。こうなると会話なんてなくなってしまい、ただただみんな汗を流すだけの段階になる。自分はここで一気に酔いと疲れがどっと来た。ソファーに座りこんでしまった。学生が「ヘイ、行こうぜ!」みたいなことを言っているが、英語で返答するのももはや苦しくてたまらない。喋ることすら難しいのだ…。朦朧とする意識の中で、踊り狂う学生達がぼやけて見えた。この1年間で乗り越えられなかったことを一つ挙げるとすれば、彼らに対抗できるだけのアルコール耐性を得られなかったということだと思う。

結局、韓国人の友達に連れられ、外で嘔吐。タクシーで帰宅。タクシー下車後にまた嘔吐。家に着いてシャワーを浴び寝るも、翌日の土曜日も嘔吐。一連の嘔吐は夕方まで止まらなかった。土曜日は何も出来なかった。

こんな日々ももう終わってしまうんだと思うと、体の苦しさよりも寂しさの方がはるかに辛い。

2009年11月13日金曜日

混迷の時代

MBAホルダーの友人が転職会社から、Class of 2009のMBA新卒者が現在直面しているジョブマーケットは、過去30年間で最も厳しいものである、と言われたそうである。

社費派遣で来ている自分はこの実感があまりないのだが、周りの学生を見ているとかなり大変そうである。こうした経済環境の厳しさと、昨今のMBAブームによるMBAの飽和状態も合わせて考えてみると、MBAの投資効果がますます見えにくくなっているなあと思う。


2009年11月11日水曜日

図示

この留学生活で嫌というほどたくさんのプレゼンテーションを見てきた。その中で面白いなと思ったことが、「人の数だけ、図示の仕方がある」ということだ。

基本的に、図示をする理由は、文章で表現するよりも伝わりやすいからだと思う。ところが、「なるほどこの図は分かりやすい」と感じることがとても少ない。

ビジネススクールの学生は本当にかっこいいプレゼンテーションシートを作る。おお、コンサルっぽいとか投資銀行っぽい(完全な主観)とか、ミーハーな自分にはこの第一印象が結構大きい。だがよく見ると、何のために図示しているのかとか、そもそも何を言いたいのかが全くわからないケースが多いのである。例えば色がたくさんあって、一体どこを強調したいのか。あるいは図の中に、やたらと細かい字がたくさん入っていたりして、図の意味が完全に失われていたりすることもある。英語ネイティブならもしかしたら理解出来るのかもしれないが、そうでない学生には、あの短時間であれだけの情報量を処理するのはかなり難しいのではないかと思う。

先日Venture Labのミーティングをしていた時のことである。ビジネスモデルを図示する必要があり、それを自分が担当することになっていた。ビジネスのフローを示すため、時間軸が必要であると考えたのだが、メンバーにこれは必要ない、と言われた。自分としては、当たり前のことをしたつもりだったのだが、他人には当たり前のことではないのだ。きっと自分のこうした考えと同じように周りの学生も自分の図示に絶対の自信をもって臨んでいるのだろう。

マッキンゼーが図解の技術の本を出版していた。万人が納得できるような普遍的な図示を達成することの難しさを知った今、こういった本が売れる理由がよくわかった。

2009年11月8日日曜日

フットボール観戦② レアルマドリッド VS アトレティコマドリッド

先日のチャンピオンズリーグが素晴らしかったので、またフットボールに行った。今度はレアル・マドリッド対アトレティコ・マドリッドのマドリッドダービーと言われるマッチである。

今回は学校の友達を含め4名で観戦をすることなっていた。試合前に近くの駅で食事をすることになっていたのだが、思ったよりそこで時間を使ってしまった。また、この日のスタジアムはEstadio Vicente Calderonというアトレティコのホームスタジアムだったのだが、歩くと結構距離があり、ここでも到着時刻見積もりを誤ってしまった。結局、走りながらスタジアムが見えたー!という時にはスタジアムからものすごい歓声が挙がっていて、これがカカによるレアル・マドリッドの先制点だということを後から知った。試合開始後5分で点が決まっていたのである。

みんなぜいぜい言いながら、スタジアムの中に入った。と同時に目を疑った…うわー真っ赤…みんなアトレティコファンであった。基本的にメインスタンドから見て、左側がホーム、右側がアウェイのチームの応援席であると認識にしていたのだが、どうやら様子が全く違う。しかもアトレティコのサポーターはやたらと血気盛んでかなり怖い。席はどこだ?と探しているだけで、「座れお前ら!!」みたいなヤジがたくさん飛んできた。さらに状況が悪いことに、我々が予約している席に座っている人間がいて、一向にどこうとしない。整備員みたいなやつに何とかしろと言っても、ビビって何も言おうとしない。本当に役立たずである。仕舞いには、友達の中の一人にとても勇敢な者がいて、警察を呼んできて事態に対処することになった。彼はスペイン語にも非常に堪能で、当事者と激しく議論をしていた。次第にあたりは騒然となった。この我々の席を占拠しているやつらは、警察の呼びかけにも一切応じようとしない。一方で、観客は「見えねえんだよ!中国人!」みたいな罵声を我々に浴びせてきた。完全に四面楚歌の状態である。今自分の上着の懐にあるレアル・マドリッドのマフラーがぽろっと落ちてしまったら、確実に殺されるだろう。最終的に警察がこの占拠していたやつらを無理やり追い出したものの、こいつら、一旦席を去った後また戻ってきて、何があったのか知らないが周辺のスペイン人の観客と一触即発の状態になっていて、まさに乱闘直前状態であった。警察が必死でこのクレイジーな客を取り押さえていた。

この勇敢な友人のおかけで我々は何とか席に座ることが出来た。彼がいなければ座ることは絶対に出来なかったと思う。「我々は確かにチケットを買ったのだから、座る権利があるのは当然である。」という趣旨の彼の堂々とした発言には、感銘を受けた。だが、アトレティコサポーターの激しさは止まない。周りは皆、汚い言葉でレアル・マドリッドを罵っている。ここでは絶対にレアルを応援することは出来ない。もうアトレティコの選手が倒されたりなんかすると最悪で、審判やレアル選手に激しいブーイング、声が枯れる程にでかい声を出している。サッカーには付きものの、あの「ブーッ」なるラッパみたいなやつを力いっぱい吹き鳴らす。とにかく観客の品が悪すぎる。ところで、このアトレティコのホームスタジアムは大きいのだが、サンティアゴ・ベルナベウに比べるととても庶民的で、神宮球場みたいな感じがした。金持ち階層が支持をしていたというレアル・マドリッド、一般大衆階層が支持をしていたアトレティコ・マドリッドという風に言われているが、それがよくわかる状況だった。何というか、そう、日本のテレビで頻繁に目の当たりにする、ものすごく危険なサッカースタジアム、それにまさに現実的に接触をしている感じだった。

結局前半が終了すると、レアル・マドリッドの応援席に移動することにした。が、驚いたのだが、本当に片隅ににしかレアル・マドリッドの応援席がない。同じ街なのに…。それに、レアルとアトレティコの応援席の境界線には、ずらっと警察官が並んでいた。1列ごとに警察官が立っている。最初そこを通してもらえなかったのだが、状況を伝えて通してもらうことが出来た。わずかなスペースであるにも関わらず、レアルの応援席は空席が結構あった。アトレティコファンが暴動を起こしたらこの人数の警官ではとても防ぎきれないだろうと思う。おそらくだが、レアルマドリッドのファンは100~200人くらいしかいなかったのではないだろうか。対してアトレティコのサポーターはほぼ会場全てを埋め尽くしていたので、50,000人はいたのではないかと思う。この比率なので、ブーイングが起きると、これまで聞いたことがないような大音声が響き渡る。

警察が通路に立っているのがわかるだろうか。
ここより手前がレアル・マドリッドの応援席。

あとはぜーんぶアトレティコ・マドリッドを応援する観客。

さて、試合だが、後半アトレティコは前半とはまるで違うチームかのように良い動きをし始め、34分に1点入れた。ただこの時点で3対1だったので、問題ないだろうと思っていたが、2分後の36分、またアトレティコが得点をした。これでいよいよ分からなくなってきた。この2点目が入った時は、恐ろしいくらいの地響きが起こった。スタジアム全体がアトレティコを勢いづけている。ホーム、アウェイというものの差は、これまでは理屈ではわかっていたが、この日は身を持って知った。アウェイというのは本当にやり難いんだろうと思う。その後もアトレティコの猛攻が続いた。これが本当に今期不調のチームなんだろうか?ダービーというものは、何か違う力が作用するということなのだろうか?とにかくスタジアムに来ると、目を離せる隙など全くなく、あっという間に時間が過ぎていく。こうしてレアルが攻め込まれている中、カカが交替となった。カカは退場する際、本当にちっちゃなスペースに追いやられているレアルの応援をみて、手を振った。こんな敵中の中でも、選手はきちんと自分のチームの応援席を意識しているんだなあと思うとちょっと感動した。それと同時に、こんな敵地の中でも俺達がついているぞ、という選手に対する気持ちが湧いてきた。

結局レアルがそのまま守り切り、勝利を掴んだ。試合が終わった後、レアルのサポーターは、アトレティコのファンに向かい、さらに罵声を浴びせていた。汚い言葉で罵り続けていた。善戦をした互いを称え合うということは一切ない。死体にさらに銃弾を撃ち込むようなことをしなくてもいいのに…レアルサポーターも性質が悪い。

いずれにしても、ダービーならではの殺伐とした雰囲気、そして展開のある試合内容、今回も十二分にフットボールを楽しむことが出来た。

このマッチについては、同期の日本人学生のブログでも詳細に描かれているので、是非ご覧になっていただきたい。

2009年11月6日金曜日

プレゼン週間

今週は3日連続でプレゼンをするという状況であった。

まず1日目、Venture Labのプレゼンテーション。投資家に自分達を如何に売り込むか、この訓練のため、ファンドのマネージャーである教授の前でピッチを行った。概ね良いという出来であり、特に自分の担当していたファイナンスの部分は、無駄がなく必要なものだけがきちんとプレゼンされておりパーフェクトである、という評価をもらうことが出来た。たくさんの情報を詰め込もうという姿勢が学生間に蔓延している中で、「伝えること」というプレゼン本来の趣旨を貫いてきたことがここに来て初めて評価された気がして素直に嬉しかった。

2日目、Advanced Corporate Financeの授業で、リアルオプションに関するプレゼン。関連トピックの事例を挙げる必要があった。NPV法との算定結果の違いを例示したかったのだが、具体的に数字が盛り込まれた事例というのは極めて少なく、かなり苦労した。このプレゼンは、エクソンモービルに勤務していたアメリカ人と、卒業後マッキンゼーで働くブラジル人との3人で準備し、プレゼンを行った。彼らはこうしたキラキラの社名に恥じることのないパフォーマンスを、同僚に対するフィードバック、そして仕事の効率面という点において、いかんなく発揮していた。彼らのおかげでとても快適に準備が出来たし、自信を持ってプレゼンに臨むことが出来た。ただ一つ、プレゼン修了後、何の質問もなかったことが気になる…。わからなかったのか、興味がないのか、あるいは我々のプレゼンが完璧だったのか(普通はそういうことはないよな…)

3日目。図書館で作業をしていたら、突然フィリピン人の学生がやってきた。「今忙しいか?」とその独特の喋り方で訊いてきた。新入生にIEでの生活についてプレゼンをする必要があるのだが、人手が足りないのでやってくれという。次の授業まで時間があることだし、まあいいかと引き受けてしまったのだが、プレゼンまではあと45分くらいしか残っておらず、事前にスライドを確認したのは開始20分前だった。この他に、クラスメートのポルトガル人とイタリアとアメリカの両国籍人の2名、計4名でやることになった。即興で何とかすればいいだろう、とみんな言っていたが、即興で英語でプレゼンをしたことはこれまでにない。しかし、アジア人の新入生の中には、典型的な静かな学生も多いかもしれず、彼らにまあこうやって自分は何とかみんなと一緒に助けられながらサバイブしています、というところを見せて勢いづけてあげたい、という気持ちもあったのも事実だった。だが後から、プレゼン相手はスペイン語コースのMBAであることが判明し、意気消沈してしまった…。えー、ラテン系の学生は基本みんな明るいから、敢えて自分がここで勢いづける理由があんまりないなあ…。でももう今更後には引けないなあ。そして、いざプレゼンが始まった。スライドを見た瞬間、頭が真っ白になった。えーとっ、何を言えばいいんだろう…?このMBAコースでのTIPSについて喋るんだったんだった…そして真っ白な頭の中出てきた最初の言葉は、「Enjoy!!」もうつべこべスライドに書いてあることについて喋るのは止めた!自分の伝えたいメッセージは、楽しめ!、ということなのさ!次にIE Communityについて話をした。Communityの概念図がスライドに書いてあった。「この図、なんだかMBAっぽいだろ?」あたりはシーンとしている。だめだ、笑いがないと辛い。自分にドライブをかける要素が何もない。素晴らしい仲間が君達を助けてくれるから、安心して臨んでくれ、というどこにでもあるような趣旨を伝えて次のスライドに。すると、全くみたことのないスライドが飛び出した。思わず「え?何これ?」とこぼしたところで、フィリピン人が「ごめんここは俺が喋るよ」と言って交替となった。自分のプレゼンが終わった後は、何回か口を挟んでコメントをしたりした。

いずれいきなり振られてもきちんとしたプレゼンが英語でも出来るようになりたい。最近やっと英語でプレゼンをすることにも抵抗が無くなってきたので、ほんの少しこの目標に近づけたかもしれない。

2009年10月30日金曜日

授業のスライド

ビジネススクールでは、授業でパワーポイントスライドが使用されるのが一般的だと思う。このスライドが黒板代わりであり、授業後好きなようにダウンロードが出来る。今更だが、ITの進歩によって、このあたりはとても効率的になっていると思う。

だが、結局パワーポイントは人間が作るものであり、その中身は作る人に依る、というところは変わらない。

見る人のことを考えないスライドが作られることが、なんとまあいまだに多いことか。なぜ最初に全体のマッピングに関する説明がないのだろう。どんな時にこれが使われるか、このトピックはどのトピックと同じ階層にあるものだとか、なぜそういったことに気が遣われていないのだろう。MBA学生くらいの大人になったなら、何でもかんでも要求をするな、ということでは済まされないと思う。教える側が学生に本気で分からせる気があるのなら、せめて知識やフレームワークを教える段階では、そのあたりをきちんと整理したものを用意すべきでだと思う。教える側は教えることのプロフェッショナルなのだから、学生が理解を深めるためなら、最大限の配慮をすべきである。

自分が理解していればみんなも同じやり方で理解するだろう、という考え方がどうも多いような気がする…。この部分はずっと気にしていかなければならない点だろう。

2009年10月28日水曜日

Financeの授業で思うこと

現在Advanced Corporate Financeの授業を受講しているが、授業に出ていて良いと思う点は、当たり前のことだけど、疑問点が出るとそれが共有されるということである。

Financeには様々な数式が出てくる。自分は(みんなもそうだと思うが)なぜその式になるのか、というところが気になって仕方がない。何でこの部分で「+」ではなくて「-」なのか、とか、何でこの比率を使わなければならないか、等々…。細かいのだが、このあたりの成り立ちをきちんと把握することは、数式の意味するところを理解するということなので、何のために、そしてどういった場合にこの数式が有効なのかを把握するため、そして自分のものとして身につけて、実際に使うことが出来るようになるため、大いに役立つと感じている。面倒くさいのだが、最終的に応用出来る程の力を付けたければ、この時間のかかる作業から逃げることは出来ない。

一つのことを深く考え始めると、色々な側面が見えてきて面白い。ただ、今期になって初めてそういった余裕が出てきたわけであって、第4タームまではなかなかそんな時間はなかった。きっちり復習する時間があったら、身に着けていた事はもっと多かったかなあ…あ、でも時間があったらあったでやっぱりダラダラ過ごしてしまうかもなあ…。

2009年10月27日火曜日

第5ターム始まる

これまで「何とかターム始まる」、というタイトルが幾度となくあったのだが、それもこれで最後である。最終タームが始まったのだ。第5タームの受講科目は以下。

①Advanced Corporate Finance
②International Strategy
③Swim With The Press
④Venture Lab (前タームからの続き)

コーポレートファイナンスとストラテジーという、自分としては最も興味がある2教科が依然として残っている。これまでで最も時間があるタームであることに間違いはないので、じっくり勉強できたらいいと思っている。これでケースやリーディングとももうお別れかあ…。でも読んでいないリーディングマテリアルが一杯あるなあ…。

2009年10月26日月曜日

The Economist 2009 full-time MBA ranking

The Economistによる2009年MBAランキングが発表された。
http://www.economist.com/business-education/whichmba/

IE Business Schoolは昨年の10位から16位へとランキングを下げた。ここのところものすごい勢いでランキングが上がっていたので、逆に実感が湧いていなかった。これからじっくりと順位を上げて、上位をキープし続けるような学校になればいいのではないかと思う。

そのためには、我々が頑張って結果を出していかなければ。

2009年10月25日日曜日

日本人異業種交流会

日本大使館においてマドリッド日本人会主催の異業種交流会が開かれた。マドリッドに1年以上住んでいるが、出席は今回が初めてである。

出席者は、外交官、金融業、製造業等様々な業界からの人達であった。驚いたのはこの日のゲストスピーカーである。数独(SUDOKU)の創始者の方がいらして、数独の成り立ちを話してくれた。

数独は1~9までの一ケタの数字しか使わない。Singleの数字=独身の数字。よって、数独、ということだそうである。

数独は本当に海外で大人気で、そこら中でみんな数独に打ち込んでいる姿を見かける。驚いたのだが、数独には一つ一つの数独に、一つ一つの展開があり、「むむむ、今回はそう来るかー!」といった「味」があるそうなのである。この味を出せることがこのゲストスピーカーの方の会社の強みであるらしく、実際コンピューターで数独を作る人達もいるそうでなのだが、その「味」の部分はコンピューターでも克服できないらしいのである。

ところで、自分の印象として、この創始者の方は全く欲がないように見えた。なので単刀直入に「創業してから儲けようとかそういった欲ってあんまりなかったんじゃないですか?」と訊いてみた。そしたら「全くない。若いうちは貧乏の方がいいよ。」と仰っていた。この言葉はとても印象に残った。成功者の方がこうういう発言をされると、やっぱり重みを感じる。

世間ではMBAといえば、マネーゲームみたいなイメージを持っているかもしれないが、自分の場合MBAに来てからというもの、経営を行う上での信念とか事業の社会的な意義とか、ビジネスおけるそういった視点がますます重要に思えるようになってきた。数独は、何日も費やして取り組むような難解なものにする意図は元々ないらしく、気分転換の為に、誰でも気軽に楽しめるものを作ろうとしているらしい。その言葉通り、今世界中で色んな人々が数独を楽しんでいる。

2009年10月23日金曜日

フットボール観戦

スペインに来て1年余り、ついに地元レアル・マドリッドの試合を本拠地サンティアゴ・ベルナベウで観る機会を得た。しかも欧州チャンピオンズリーグでの好カード、レアル・マドリッドvsACミランである。

マドリッドに対し否定的であり、片やでインターナショナルシティが好きな自分が応援したチームは当然…

レアル・マドリッドに決まっている!!

何だかんだでマドリッドに1年以上住んでいる身としては、レアル・マドリッドに思い入れが強いのである。レアルマドリッドとACミランの対戦の歴史上、レアルのホームであるサンティアゴ・ベルナベウでレアル・マドリッドが負けたことはなかった。なのでレアル・マドリッドの勝利を確信して止まなかった。

サンティアゴ・ベルナベウ周辺には、キックオフ2時間前だというのに多くの人でごった返していた。騎馬警官が警護のためにたくさん配列されていた。ACミランのサポーターが歌を歌っていた。しばらくすると、選手を乗せたバスがスタジアムに姿を現した。いよいよ実感が湧いていた。

周辺のバルは大いに賑わっていてみんなビールを飲んでいたので、持ち込もうとテイクアウトしたのだが、スタジアム内はアルコールは禁止らしい。まあアルコールと試合の興奮が合わさったらとんでもない騒ぎになるのは必至だから、それは仕方のないことだろう。

そしてついにスタジアムの中に入った。大学時代の卒業旅行でFCバルセロナのカンプ・ノウを見学したことがあったが、サンディアゴ・ベルナベウもとても立派なスタジアムだった。客席が巨大な壁のようになっていて、観客の声が本当に響き渡るのである。サッカーのためだけに作られた80,000人収容のスタジアム。本場のサッカーとはこういうものなんだ。それと同時に、家からわずか15分で来ることが出来るこんな素晴らしい場所に今まで来なかったことを後悔した。チケット販売当日にチケットを予約したのだが、結局値段の張る席しか予約出来なかったので、良い席に座ることとなった。想像以上に素晴らしい席だった。世界最高峰のチームの試合がこんなに近くで見られるなんて贅沢過ぎる。

試合開始前のピッチ

レアル・マドリッドの応援席

選手紹介が始まった。最初はアウェイのACミランの紹介からだった。ホナウジーニョのようなスーパースターの場合は、さすがにレアルサイドからも歓声が沸いたが、その他の選手に対しては静かめだった。一方、レアルの紹介になると、地響きのような歓声が湧き上がった。ラウールやカカの時の歓声が特に凄かった。

試合が始まると、その最中に他試合の状況が伝えられる。アトレティコ・マドリッドがチェルシーに負けていることを知ると、レアルサポーターは歓喜を上げていた。やはりマドリッドも二分されているのだということを感じた。さて、前半、ACミランのキーパーのミスのこぼれ球をラウールがゴールにねじ込みレアルが1点を先制した。得点が入ると、みんな一斉に立ち上がって大声を上げて喜んだ。自分も嫁も完全にその中に混じって、レアルの先制点を喜んだ。もう完全にレアルファン。周りにはやたとぶつぶつコメントを言っているおっさんや、シュートが外れると自分の髪をグシャーっと掴んで残念そうな顔をするおばさんがいて、みんな自分の身の上のことのようだった。つくづく地元に愛すべきサッカーチームがあることを羨ましく思った。

前半はレアルが優勢に試合を運び、レアルの勝利が予想された。やっぱりサンティアゴ・ベルナベウはレアルに追い風を吹かしていると思った。しかし後半、ACミランが盛り返してきた。後半最初の得点はミランだった。自分の周りの観客席は騒然とした。何が起こったんだ?みたいな静けさがあった。自分も起こった現実を信じられなかった。もはや完全に観客に溶け込んでいて、レアルと一蓮托生状態だった。しかもその後、もう一度ミランが得点をした。信じられないような弾丸ロングシュート。ゴールの端っこを突いた。スタジアムの一部であるACミランの応援席だけがワーッと叫んでいた。自分の周りは沈黙。何が起こったのかわからないような、信じられないゴールだった。1-2。なんとなくミランにゴール前に攻め込まれると不安な気持ちになる、そんな状態がこの試合は続いていた。もうホナウジーニョにボールが渡るとかなり不安。ホナウジーニョのプレーは面白くて好きだけど、この日ばかりは憎き敵である。もう必死でレアルの同点を願い、応援をする。そしてついにレアルは同点に追いついた!やったー!会場は一気にレアルの雰囲気になった。その後、曰く付きのゴール(?)が両チームにおいて発生したが結局ノーカウントだった。レアルの攻撃は、明らかにミランのゴールラインを割っていた。自分の席はゴールラインの真っ正面だったので、これは明らかだった。しかしこれはレアルのゴールにはならなかった。起伏のあるものすごいエキサイティングな展開がずっと続いた。この試合に来て本当に良かったと思った。両チームともに得点をしようととにかく激しく攻撃をする。日本で観るサッカーはなかなか得点が入らなくて退屈に感じることも多いのだか、欧州のトップチームのサッカーは違った。休む暇なんかない。時間があっという間に過ぎていく。だが悲しいかな、試合終盤、ミランのパトに文句なしのヘディングを決められてしまい、そのまま試合終了。レアル・マドリッドがホームで初めてACミランに敗北を喫した。悪い意味で、歴史的瞬間に遭遇してしまった。

ただいずれにしても、本場のサッカーの素晴らしさを知った。もっと早くから来れば良かったと何度も思った。近く、レアル・マドリッドとアトレティコ・マドリッドのマドリッドダービーがあるので、是非観に行きたいと思う。ああ、しかし悔しかった…。自分のことのように悔しい!

2009年10月22日木曜日

San Sebastian

ターム間の間に1週間の休みがあるので、その間San Sebastianに行った。ここはバスク地方の都市であり、高級リゾート地としても有名だそうである。スペインに来るまでは勿論その名前を知らなかったが、学生の間での評判がすこぶる良いことから、実際に行ってみた。

スペイン生活も本当にあと2カ月。ここに来て、スペインを知る動きが今更ながら加速してきた。

実際、San Sebastianはとてもきれいな街だった。フランスとの国境に極めて近いためか、建物もフランスっぽい建物が多い気がするし、パンもマドリッドより美味しい。人種的にもマドリッドとは違うようである。フランスの血が混ざっているのだろうか。スペインという国は、本当に各文化の集合体なのだということを改めて感じた。決して一つの文化が一つの国を形成しているわけではない。

この街の特筆すべきことは、海と食べ物だろう。ビーチがあり、丘の上に展望台があって、そこから街を一望することが出来る。犬が楽しそうにビーチを走り回っている。ほとんど客のいない展望台へのケーブルカーから街を眺めると、何と静かなところだろうと思った。ケーブルカーが展望台に着くと、夏にしか営業されていない小さな遊園地があった。『千と千尋の神隠し』の最初のシーンみたいだった。何故かポニーがその遊園地にいて、噴水から出ている水をガブガブ飲んでいた。飲み終わると、とことこと園を出て向こうの方に行ってしまった。彼の行動が何故か面白おかしかった。

San Sebastianのビーチ

展望台から眺めるSan Sebastian

食べ物に関しては、バスク料理である。マドリッドやバルセロナにあるタパスやピンチョスは、全てこのバスク地方から来たものだという。日本人同期におしえてもらったバルに行き、フォアグラやイベリコの角煮を食べた。これは絶品だった。スペインにここまで美味いものがあったとは…!しかも安い。一皿3ユーロ程度である。その他のバルでもピンチョスを食べたが、特に海鮮が美味しかった。中には炙りサーモンもあった。サングリアも適度の甘味があってとても美味かった。食べ物が美味しいスペイン…。ここに来て初めて知るスペイン。

絶品のフォアグラ

絶品の角煮

活気あるバルの店内

ところで、San Sebastianの海は結構波が高いためなのか、たくさんのサーファーがいた。日本ではサーフィンをする時に縄張りがあると聞いたことがあるが、ここではそんなのは一切なさそうだった。砂浜に座ってポケーっと夕暮れの海のサーフィンを見ていた。サーフィンは見ていて何故か飽きなかった。

夕陽と波

今更始まったスペイン探検が加速していく。

2009年10月21日水曜日

告知協力

■「QSワールドMBAツアー」開催概要 (http://www.topmba.com/

内容:世界各地から47校のトップビジネススクールが出展するMBAフェア

日時:115日(木)18時~21時

場所:シェラトン都ホテル(東京都港区)

参加費:当日500円(事前登録は無料)

登録はこちらからhttp://www.topmba.com/


■「QSトップMBAコネクトイベント」開催概要(http://www.connect.topmba.com/

内容:世界各地の11校のトップビジネススクールの採用担当者と11での直接面談

日時:114日(水)

場所:ヒルトン東京(東京都新宿区)

参加:本イベントは招待制となっておりますので、必ず事前にご登録ください。

登録はこちらからhttp://www.connect.topmba.com/

QSトップMBAコネクトイベント」の場合、採用担当者の方との11の直接面談が可能であるため、IE Business Schoolに高い関心がある方にとっては、自分をアピールできる絶好の機会ではないかと思われます。

2009年10月19日月曜日

第4ターム終了

忙しい第4タームがやっと終わった。本当にグループワークが多く、コアタームを凌ぐ分量だった。大部分がファイナンス関係だったのだが、エレクティブということでより実践的になっており、計算だけすればいいわけではなく、考えなければならない箇所が多いので時間がかかる。

特にAlternative Investmentの授業では、トピックを選択するのが他チームより遅く、最終的に排出権市場についてリサーチをすることとなったものの、Alternative Investmentとしての情報量が他に比べて少ないため、かなりの時間を要した。ところで、このプロジェクトでは、最終的に学校の講堂でプレゼンをするという珍しい機会を持つこととなった。プレゼンは準備が大変であるが、いざ終わってみると爽快な気持ちになるのでとても良い。本当はテストよりも、こうしたプレゼン等のコミュニケーションで、しかも英語できちんとパフォーマンスを残すことが出来る方が、ビジネス上効果的だろう。

で、テストであるが、Financial Reportingのテストは、まるでダメ。日常的にも他科目に時間を使っていたためほとんど勉強しておらず、テスト前もAlternative Investmentのレポートとプレゼン準備で時間を使えず、散々な結果になってしまった。最初は財務分析ということで、自分に精通している分野だと思っていた。しかし蓋を開けてみると、年金会計とかヘッジ会計とか、普段触れることのない箇所での財務諸表の理解の仕方が授業の主たる内容となっていったので、どんどんきつくなっていった。勿論知っておくべきことということは十分認識しているのだが…。

と、アップアップで終わった第4ターム。1週間の休みの後、いよいよ最後のタームである、第5タームが始まる。MBAもいよいよ終盤に来た。

2009年10月9日金曜日

ディナー続き

今週はやることが多い一方で、ディナーに二日連続で行った。

最初は韓国料理屋。ここは韓国人学生が薦める、マドリッドでもかなりおいしい部類に入る店である。この日は韓国人学生の他にも何人かの交換留学生がやってきて、結構な人数になった。食事中、サムスン専務(常務?)兼サムスンスペイン社長がその部下を引き連れてその店にやってきた。このことからもこの店が如何に本場の味を出しているかがわかる。そこにいた2名の韓国人学生は、元々サムスングループに勤めていたこともあって、かなり緊張していたようだった。韓国人学生が上司の前で深々と頭を下げるのを、他の文化の学生達はとても興味深そうに眺めていた。サムスンの王国ぶりを垣間見た。だが、食事が終りかけていた時、我々韓国人以外の学生もサムスンの偉大さを身をもって知ることになるのである。なんと、この社長さん、帰り際に我々(15名くらい)の食事代を全てごちそうしてくれたのである!我々がその後、「サムスン!」の掛け声とともに焼酎で乾杯したことは言うまでもない。誰かが、「次はLGがごちそうしてくれるかな」と言っていた。

次の日は、イタリア料理屋。Business Valuation in Practiceで一緒であったグループでディナーをすることになったのである。チームにイタリア人の女性がいて、彼女がマドリッドのイタリアンレストランに連れて行ってくれた。その他に、タイ人、ドイツ人、インド人、アゼルバイジャン人の学生が参加した。途中、ドイツ人の学生が、彼女に電話をすると言って、席を立った。そこでイタリア人の学生に、イタリアでの彼氏彼女の事情を訊いてみた。基本的に金曜日の夜は、友達と過ごし、土曜日に彼氏や彼女と過ごすのがイタリア風らしい。また、彼氏、彼女は相手の実家に平気で遊びに行き、泊まることも日常茶飯事だそうである。イタリアのリベラルな現状を教えてもらえたことは、とても新鮮だった。

こっちの生活はバルでの立ち飲みばっかりだから、みんなすぐにふらふらとあっちへ行ったりこっちへ行ったりするので、じっくり話すのが難しい。やっぱり、きちんと座って食事をすると、じっくり会話が出来ていいな、と今更ながら改めて認識した。

2009年10月6日火曜日

怒り

今日はたくさんの怒りが自分を覆った一日だった。

まず朝、家賃を引き出そうと銀行へ向かった。スペインでは安全上の問題のため、ATMで引き出せる金額に制限がある。なので銀行の窓口に行かなければならない。これまでは、窓口の人がいつも同じ人だったため、円滑に事は運んだのだが、今日行ってみたら、若い女性が担当をしていた。自分の前には一人おじさんが並んでいた。彼を一人さばくのに10分かかった。途中何度か鍵のかかったドアを開けて中に入り、そして再びカウンターに戻ってくるという動作を二回も繰り返した。一回では済まないのである。挙句の果てに、その小切手か何かを持っていたおじさんは、お金を受け取ることが出来なかったようである。10分かけてこの始末。ここまではいい、もうこんなことは慣れている。自分の番が来ると、お金を引き出したい、と伝えたが、お金を出してくれるわけではなく、カードの引き出し限度額を上げてくれた。これはよい、次からカウンターに並ぶ必要がなくなるし、嫁でも金を引き出すことが出来る。が、実際にその後ATMに行くと、1000€しか引き出すことが出来ない。おかしい、今手続きをしたばかりなのに。さっきの窓口の若い女性のところに行くと、違う人を指差し、あっちの人間に訊いてくれ、とジェスチャーしていた。その指示通り、別の人間のところに行くと、今度は席に座らされた。1800€を引き出したい、と伝えたつもりだったが、何を考えたのか、その行員は先ほど引き上げた上限額2000€を1800€に引き下げる手続きを取った。イラっとした。俺は金を引き出したいんだ。すると行員はATMの方を指差した。ハァ…。ついて来い、といってその行員をATMのところまで連れてきた。相変わらず限度は1000€だった。どう対処したらいいか、その行員に尋ねた。「まず1000€引き出せ」言われるがままに1000€引き出した。「次に800€を引き出せ」ふんふん、なるほど…えっ?ボタンを押していくと、800€を引き出すことが出来た。おいおい、一体何のための1000€の引き出し限度額なのだろうか?これじゃあ泥棒が何回でも引き出し出来てしまうではないか、何のためのセキュリティなんだ?たかだかお金を引き出すためだけに、40分かかった。イカれたスペインのオペレーションだとしても、あまりにも長すぎる。おかげで今日初めて開講した授業に遅刻をした。

不快なことはそれだけに治まらなかった。昨日日曜に日本人同期と共に作成したAlternative Investmentのプロジェクトの提案書、カナダ人のチームメートがネイティブチェックを含めたファイナルドラフトを作成する予定になっていた。が、締め切り1時間前になっても、以前彼から何の連絡もない。状況を訊いてみると、今我々からの提案書を見た、と言っている。謝るのならまだいいが、他のプロジェクトがあったとか、図書館が閉まっていてインターネットがつながらなかったとか、言い訳をしている。いい大人が、そんな子供じみた言い訳をするとはどういうことなんだろうか。おかげで締め切りまでの1時間、大急ぎで日本人同期と共に作業にかかった。この作業は間に合った。

が、驚愕の事実が発覚した。この急いで作成した提案書は無に帰することになったのである。教授から驚くべき言葉が発せられた。「あなたたちの選んだテーマは、既に他のチームが選んでいるから、テーマを変えなさい。」耳を疑った。昨日日曜日、この教授に対し、このテーマで問題ないか、ということを確認し、問題ない旨、きちんとメールをもらっていた。しかしこの教授、私のミステイクだ、と言っておきながら、一方でぶつぶつ言い訳をしている。ブラックベリーを見てみると、驚いたことに授業開始6分前に、その教授からテーマを変える必要があると送られてきている。おまけに一切の謝罪なし。普通、他のチームのテーマと照らし合わせていれば、こんなバカなミスは絶対に起きないはずである。やつは、自分の極めて乏しい記憶力を便りに、無責任な行動をとっていたのだ。自分の発言で、学生が多くの時間を割くことになるとも知らずに。今思い返せば、この教授は本来は学生が選んでいいはずのトピックを、恣意的に誘導しようとしたり、情報を得ることが極めて難しいようなトピックを何も考えずに勧めて来たりと、何か不安定な印象を与える人だった。

IEの教授の質は総じて決して良いとは言えないが、教え方がダメダメなのはもう我慢しようと心に決めていた。決してそれを受け入れたわけではないが、我慢をしようとしていた。中にはいい教授もいたし、そういう人もいればそうでない人もいるだろう、と心に言い聞かせていた。こんなことで怒るのも損した気分がするし。が、今回の教授に至っては、何かを教えるという行為以前の問題で、大人の振る舞いという社会的、そして人間的な側面において、非常に残念なものをみた。

2009年10月5日月曜日

Business Valuation in Practice

この授業、全12回が先日終了した。課題がきつく、誰もがこの授業のことを最も重荷に感じていたと思う。やっと終わってかなりほっとしている。

授業は、スプレッドシートを用いて企業価値を算出するだけでなく、定性的なリスクについて論じ、これを価格にどのように反映させるか、というような現実的な側面についても議論するものである。毎回提出しなければならないレポートも、数字の面よりもどっちかというと現実問題をどう対処するか、という点での説得力を評価しているようである。最後の個人レポートでも、実際のリサーチ会社のレポートに評価を下すものだったが、教授は、数字面を細かくとやかくいうつもりはない、大局的に、賛成か、反対か、を論じなさい、ということを連呼していた。

このようにとても実践的なものなので、有意義な授業なのであるが、教授のスパングリッシュがたまらないし、止まらない。Betaを「べーテ」ともろにスペイン語読みで発音するため、一瞬何についてしゃべっているのかわからなくなる。昔、IEのFinance DepartmentのDirectorだったらしいが、IEもより国際化の道を進む中、これはさすがに厳しいだろう。実務経験も15年以上あるし、ファイナンスの知識も相当豊富であろうことは感じさせるのだが、アウトプットがとにかく下手くそなのである。

重い授業が終わったが、まだ重いのが残っている…。社費派遣の自分はまだいいが、就職活動を始めた学生達はさらに苦しそうである。

2009年10月2日金曜日

本領発揮スペイン

スペインが久々に本領発揮してくれた。水が止まった。

朝、誰もが通勤や通学で忙しい中、水が出ない。汚い話になるが、自分は朝一発目のトイレを済ませた後、タンクにあった水で流すことは出来たものの、その後一切水を使えなかった。丁度今日は授業でプレゼンがある日で、流れ次第では自分もプレゼンをする可能性があったのだが、よりによってそんな日にこんなことが起きるなんて。

ちなみに、天災は一切起こっていない。至って平常な環境下、人々の生命線である水が止まってしまうなんてあり得ない。がそれと同時に、ここはスペインであることを思い出した。後で学校に行ってみると、近くに住んでいる友人の建物でも水が止まったらしい。結構な広域で水が止まったようである。

スペインはれっきとした先進国である。インターネットの遅さ、飲食店やスーパーでのサービスの劣悪さは、今更何ら特段の感情を抱かなくなっていたのだが(要は慣れた)、水が止まったことに対しては久々に怒りが湧いてきた。

2009年9月30日水曜日

Venture Labの定例ミーティング

Venture Labは一生懸命やるチームと、そうでもないチームの2パターンあるらしいのだが、自分のチームは幸か不幸か、前者である。かなりきっちりとスケジュールを決め、タスクを割り振り、毎回毎回進捗状況をきちんと報告するなど、大分生産的な展開となっている。

だが、今日はグループメートのスイス人が珍しく取り乱し気味で、イラついていた。普段の彼はとても温厚で、成績も優秀である。彼はゲイである。美しい顔をしているのにもったいないなあと、嫁が言っていた。今度彼の彼氏がIE Business Schoolに入学をしたらしい。カップル揃ってIEの学生である。就職活動等でイライラが募っているのだと思う。最近は「メタボ」「ちょいデブ」と日本語で書かれたジャージを何故か着ている。

もう一人のフランス人は最も仲の良い友達である。彼はルノーで働いていた。ルノーと日産が提携していることから、彼は日本に1年間住んでいた事がある。日本人でもこんな人いないだろう、というくらいきっちり屋さんである。大学時代には飛び級をするほど優秀であり、且つ理系なのでファイナンスや定量分析が圧倒的に強い。定量分析の授業では、唯一人クラス全員の前で、誰も理解出来ない解法で問題を解いていた。その一方で気を配ることを出来る人間で、第一タームで言葉がわからず苦労していた自分を気遣ってくれた。彼は今エネルギー会社でインターンをしていて、その合間を縫って、Venture-Lab、通常のクラス、そして子供のお守をしているので、大変忙しい。また大変な愛妻家であるので、「今夜は僕の妻の誕生日なので彼女との時間を楽しみたいからミーティングには行けないよ」という顔が赤くなってしまうようなメールを平気で送ってくる。

とまあ、各クラスでトップクラスの成績を修めている二人と、ボトムに近い自分にて構成されているこのチーム。最終提出期限まで2カ月を切った。

2009年9月28日月曜日

Leedsからの友人が来た

週末、Leeds大学の友達がマドリッドにやって来た。自分の直接の友達である彼女と、彼女の同じビジネススクールの同級生2人、彼女の台湾人の友達2人、合計5名で旅行をしているとのことで、彼らみんなと夕食を共にした。丁度学校のクラスメートの韓国人も、IEに交換留学生として来ている韓国人学生をマドリッドの夜に連れていくということで、合流することになった。これに日本人の同期と、タイから来ている交換留学生、合わせて11人での食事となった。

Leedsのみんなはその後どうなったか、等など話は尽きることがなかった。が、彼らは韓国人の経営するホステルに泊まっているということで、門限が12時となっていた。マドリッドの金曜の夜12時というのは、日本でいえばサラリーマンがなんとか7時頃仕事を切り上げてこれから合コン会場に向かおうか、というくらいの時間である。色々連れて行こうと思っていたのだが…。が、門限を過ぎるとシャワーも浴びることが出来ないということなので、仕方なく彼らはホステルに帰って行った。

その後、同期の日本人とタイ人の交換留学生と共に、マドリッドの夜をふらついた。マドリッドの夜風は、昔を偲ばせる風だね、なんてちょっと詩的なことを言いながら、バルを飲み歩いた。

2009年9月23日水曜日

遅刻

今日はFinancial Reporting and Analysis の授業で、年金会計について自分のチームがプレゼンを行う日だったのだが、自分はあろうことか遅刻してしまった…。このプレゼンは、初めて日本人の同期と一緒に作業をしたものであり、我々が担当したパートについては、かなりスムーズに事が運んだのだった。チーム全体が、プレゼンをやりたくないムードの中、その同期は進んでプレゼンを引き受けてくれたにも関わらず、自分は遅刻をしてしまい、到着したのは彼の担当箇所のプレゼンが終了した後だった…。

携帯の時計が4分間遅れていたのだが…それ以前に、10分くらい前にきちんと来ているべきであったと猛省している。life-iedemadrさん、本当にごめんなさい…。

2009年9月21日月曜日

友人のバースデーパーティー

わずか2日前というショートノーティスで、ブラジル人の友達から誕生日パーティーの案内が来た。彼とはその奥さんも交えて結構仲良くなっているので、日曜日の夜とはいえ、行かないわけにはいかなかった。

マドリッドのショッピングセンターにある飲み屋だったのだが、体全体をもたれさせることのできるソファーがあり、快適な場所だった。立ちっぱなしのスタイルより、やはり座って飲んで話す方が自分には相当快適である。

アメリカ、イギリス、イタリア、フランス、ブラジル、スペイン、(すげーサッカー強そう!)そして日本…考えてみると、これだけ国籍がバラバラのの人が一つのテーブルを囲んで過ごすことを最近は当たり前のように感じるけど(今回はかなり綺麗に割れたが)、こんなことは自分の人生には決してなかったことなのだ。もし自分が彼らと同レベルで英語が出来るようになれば、こうして、より多くの人達と話をし、多くの人達を知ることが出来るのだ…今更ながら、語学をきちんと勉強することは、自分をより大きく成長させ、自分の可能性を大きく広げることなのだ、ということを再認識した。その中でも、特に英語はやはりその可能性を最も大きく飛躍させてくれると思う。日本ではもはや英語なんて当たり前、とか、日常会話程度は出来るようにならないと、なんて言われているけど、酒の入った時の日常会話は確実に学校にいる時の会話より難しい。学校にいるときはビジネストピックなので、よっぽど想像がつくのである。

さて、このブラジル人の友人は、今日もみんなの前で、奥さん(これが相当綺麗!)とブチュブチュしていた。今でも尚、自分は目をそらそうとしてしまうのだが、やはり文化の違いだろうか。

マドリッドの夜は更けていく。もう長袖のシャツでも寒いくらいになってきた。

2009年9月20日日曜日

青春の歌

金曜日の夜、交換留学にアメリカから来ているタイ人にマドリッドの夜を堪能させてあげようとしていたのだが、彼から電話があり疲れたのでまたにしよう、という連絡があった。

音楽でも聴いてゆっくりするか、と思いYoutubeで懐かしい曲を検索した。小学生くらいの時からつい数年前までの曲を順番に聴いてみることにした。自分は、例えば高校時代に「俺は洋楽しか聴かねえからよォ」みたいなことを言うタイプの人間ではなかった。圧倒的なミーハー心で、ジャパニーズポップを聴いていたので、この夜聴いたのも往年のジャパニーズポップ。

Every Little thingの大ヒット曲である「Time goes by」を聴いてみた。泣きそうなくらいいい歌だった。中山美穂and WANDSの「世界中の誰よりきっと」を聴いてみた。カウントダウンTVのTOP3位に入るような曲は、やはりこうではなくてはならぬ、と瞳を閉じて唸ってしまった。中島美嘉の「雪の華」。スペインと特にかけ離れたこの歌は、部屋を真っ暗にして聴くといいと思う。

ジャパニーズポップのいい所を再認識した、留学というものから完全に遮断された夜だった。

2009年9月19日土曜日

大分寒くなったマドリッド

9月も中旬であるが、マドリッドはもうかなり寒くなっている。ついこの間まで温度計は午前中でも30℃以上を示していたが、今では17℃くらいまで下がっている。

去年ここに来た時は、明らかにこの時期でも暑かった。家の契約をしたのが2008年10月1日だったが、この日はとても暑かったのを覚えている。会社の現地法人の人がこの時契約に立ち会ってくれたのだが、「今年は異常な気候だ」と言っていたことが印象的だった。

今のこの気候が、本来のマドリッドの気候ということなのだろう。相変わらず空は青い。が、丁度3か月後にこのコースは終わってしまうため、もうあの灼熱の太陽を感じることもないのである。

2009年9月18日金曜日

The Wall Street Journal One-Year MBA Programs

で、IE Business Schoolが世界1位にランクインしたようである。

http://campus.ie.edu/webapps/portal/frameset.jsp

Accelerated Programのランキングなので、アメリカでメインである2年制のプログラムはランキング対象外。

最近、1年制のMBAプログラムが人気のようである。が、もちろん長所短所があるので、出願者はそこを入念に調べて欲しいと思う。また、ランキングはあくまで学校選びの一つの基準に過ぎない、ということは本当のことなので、これも決して忘れないで欲しいと思う。

2009年9月16日水曜日

伝えるのが難しい

相変わらず、英語で言いたいことを短時間で伝えるのは難しい。

Financial Reportの授業では、発言をしている途中で、教授に「なるほどお前の言っていることはこういうことだな」と勝手に解釈され、それをそのまま学生に説明されてしまった。どうやら自分が違法なことを言っていると解釈されたらしく、他の学生が、それは不可能なことだ、とコメントしていた。もちろん、自分はそんなことは言っていない。まがいなりにも与信管理をしていて粉飾決算書と格闘していた自分が、違法な財務諸表を良しとするような発言を言うと解釈されるとは…。自分が言いたかったことは、ステークホルダーによって、財務諸表における注目点が違うわけだから、全く同じデータを使いながらも、適宜財務諸表の中で強調すべき箇所を変えることは可能なのではないか、ということだった。銀行の視点であれば、金が返ってくるかどうかが一番大切なわけであるし、一般株主からしてみたら、配当原資がどれくらいあるかが大事なのだ、ということである。

Valuationの授業でもそうである。なかなか話をじっくりきいてくれないインド人学生がグループにいるのだが、彼にわかってもらうことも大変な努力がいる。この間は、Working Capitalの増減について、そして昨日は融資に対する判断基準についてだった。融資額と、融資先のFCFから導き出されるNPVを比較しても、融資者にとっての融資基準とはなりえないはずだ。融資の対価は、金利である。

こんな調子で第4タームが過ぎている。

2009年9月11日金曜日

Merger & Acquisition

M&Aの授業で、ゲストスピーカーが来た。この授業の教授が弁護士でM&Aの実務を行っている関係からかどうか知らないが、そのつながりで投資銀行の人達を招き、投資銀行の役割についてプレゼンをしてくれた。彼らはマドリッドのJP Morganで働いている人達だった。とてもはきはきと、しかも抜け目のない感じで話をしていた。やはりスペイン人でも、アメリカ発の投資銀行で働いている人は、とてもきびきびしていた。

内容としては、投資銀行のM&A業務の内容、プロセス、バリュエーションの方法等だった。バリュエーションの方法は、MBAで習うDCF法等の基本的な方法も使用するが、どうやらそれ以外の方法も使用して、多角的にアプローチをするようである。

ところで、プレゼンテーターは二人いたのだが、一人はもう片方がプレゼンをしている間、始終ブラックベリーをいじっていた。自分もブラックベリーを使用しているが、学生の内の今は使用するのはいいが、実際に仕事が始まったら、本当に使いたくないなあ、とつくづく思った。ちなみに、彼らの帰宅時間は毎日12時過ぎ頃だという。こっちの人には驚かれるかもしれないが、日本人にとっては特に驚くような時間ではないと思う。ただ、日本の場合、長く居ることがさも勲章であるかのように勘違いしている人がまだたくさんいるので、密度には大きな違いがあるのかもしれない。

2009年9月10日木曜日

欲張りすぎ?

この第4ターム、どうやら自分だけハリキリ過ぎてしまったようである。1か月半しかないこのタームに、Venture Labを含めて6つの科目を入れたことを皆に言うと、みんな笑って「おいもっとリラックスしろよ」と笑われるのが常なのだ。もうコースもあと3カ月で終わりなので、みんな、「後はリラックスして楽しもうやー」という雰囲気なのかもしれない。

そもそもコアの時と違って、学校であまり他の学生を見かけないし、グループミーティングルームの確保も至って容易である。

あー…やっぱり眠い。クーラーがガンガンにかかっている図書館で眠りについてしまう。でも寒い…。大学受験中を思い出す。

2009年9月9日水曜日

グループワーク隆盛

第4タームということで、もうエレクティブ期間でこのコースも残り少ないことから、なんとなくカリキュラムも楽になってくるんではないかと勝手に思っていたのだが、甘かった。

現在、同時に5つのグループが存在している。Valuation in Practice、Alternative Investment、Financial Report and Analysis、Mergers and Acquisision、Venture Lab、つまり受講している科目ごとに別々のグループが存在しているということになる。Venture Labは大きなプロジェクトなので、時間をかけなければならないし、その他の科目も初めてチームを組む人が多いので、勝手がわからない。

まったく…最後まで決して楽をさせてくれないようである。ただグループワークで何かを担当すると、グループ単位で成績が付されるので、他のメンバーに対する責任感が湧き、真剣に課題に取り組むことになるので、得るものも大きいのだが。コアの時は、担当分担によっては、グループワークといえども何も関わらない科目もあったので、最近の方が学習環境には良いのかもしれない。…というかそれがここでの本業なのだが。

おかげで家に帰ってくると、もう眠くてたまらない。

2009年9月8日火曜日

第4ターム始まる

夏休みも終わり、いよいよ第4タームが始まった。このターム以降、エレクティブとなるが、自分はファイナンスにフォーカスすることにした。第4タームでの受講科目は以下。

Business Valuation in Practice
Merger & Acquitisions
Financial Reporting & Analysis: An International Approach
Alternative Investment
Organization Design
Venture Lab (第5タームと続きもの)

①Business Valuation in Practice

これは文字通り、Valuationの実践をする授業。計算式から導き出された理論値と、企業が置かれた環境に基づいたリスク等の定性面の両方を考慮しながら、企業価値を求める。

②Merger & Acquitisions

IE Law Schoolの授業を選択科目としてMBAの学生も受講出来る。M&Aとは何ぞや?から始まる。直近のM&Aの事例に基づいて、クラスの中で議論をし、M&Aの狙いや、そこに潜むリスク等を検証する。

③Financial Reporting & Analysis: An International Approach

まだ1回しか受講していないので、詳細はよくわからないが、財務分析を体系的に学習する授業だと思う。

④Alternative Investment

株と債券以外の、いわゆるAlternativeと言われる投資手法について学ぶ。プライベートエクイティ、ヘッジファンド、不動産、商品・先物等。今日第1回目の授業を受けたが、この手の職業経験者がかなりいたようであり、素人が食らいついていくにはかなりの努力を要するかもしれない。

Organization Designは、10月に入ってから、9日連続で行われるらしい。こういう日程、ほんと止めてほしいよなー…。Venture Labは既に夏休み前からチーム編成、そして基本アイデアを提出済みである。これから綿密なプラン作成をしていかなければならないが、その他の授業のグループワークが思ったより多く、十分な時間が取れるかどうか心配である。

2009年9月7日月曜日

夏休み旅行 ~アメリカ合衆国 ニューヨーク③ 最終日、そして帰国~

アメリカ滞在最終日は、夕方の飛行機でJFK空港からジュネーブに向かうことになっていた。特にどこに行くという目的ももはやなかったので、朝食と取ろうとうろうろホテルを出て歩いていた。すると美味しそうに屋台のご飯を食べている人達がいた。その匂いにあっという間に吸い込まれてしまった。カレーの様でカレーでないライスだったが、これも美味しい!NYはレストランも美味しいが、こうした屋台の飯も実は美味しいことを知った。

屋台メシ!

色々な種類の屋台がある

その後、未だ日本に進出をしていないAbecrombie & Fitchの本店に行くことにした。が、長蛇の列が出来ている。ここまで人気があるとは知らなかった。ボストンに行った時にここで何枚か服を買っておいたので、さすがに並んでまで入る気力はなかった。

「アバクロ」は大盛況である

NY最後の食事は結局、安い中華料理屋で済ますことになった。味は際だっていないけど、値段が安く、ボリューム満点だったので良しとしよう。

これでNYは終わりである。相変わらず暑苦しい地下鉄に乗って、JFK空港まで移動した。次いつ来ることになるかわからないが、刺激的でとても楽しい街なので、是非また行きたいと思う。

NYからはジュネーブへ6時間くらいかけて飛んだ。ロンドン行きのフライトまで時間があったので、街の中心まで足を運んでみた。相変わらず綺麗な街だった。NY程の刺激はないが、静かで空気がとても済んでいた。眼を閉じると眠ってしまいそうな気候であった。

ロンドンシティ空港に着くと、マドリッド行きの飛行機の出発までは2時間30分くらいしかないことに気づいた。マドリッド行きの飛行機はスタンステッド空港から出るので、トランジットに時間がかかる。シティ空港からスタンステッド空港までは直通バスがないのである。電車の乗り換えに戸惑い、いよいよ飛行機を逃すか!?というぎりぎりのところまで来たが、Stansted Expressというやたらと途中駅を飛ばす電車に乗ることが出来たので、何とか間に合った。

例によって、最後は大嫌いなRyanairだが、あまりに眠くてずっと寝ていた。そして飛行機は、ついにマドリッドに帰ってきた。蒸し暑い、そして何もないマドリッドに。

この夏休みの旅行には本当に満足した。ずっと行きたかった場所に行けたし、美味い物も食べることが出来た。アメリカとヨーロッパの違いも感じることが出来た。この二つは全然違う。既に痛感していることだが、同じヨーロッパの中でも国々はまるで違う。これからは「欧米」という括りで何かを表現することは止めようと思う。括れないからだ。ヨーロッパ、という括りも本当は出来ないことだと思う。

世界は本当に、多様である。一つの価値観で括るなんて出来るわけがない、そんなに単純ではないのである、ということを、この年になって初めて身をもって実感する今日この頃である。

夏休み旅行 ~アメリカ合衆国 ボストン~

翌日はSOHOを回った。日曜日でも関係なく、活況を呈している。ブロードウェイをちょっと外れると、個性的な店も数多く軒を連ねていた。ファッションにあまり詳しくはないが、やっぱりヨーロッパの方がオシャレかなあ…まあ個人の感じ方次第だと思う。この日の夜はベトナム料理屋に行った。Saigon Grillというところである。ここもIEの同期がおしえてくれたレストランで、安めなのにとてもおいしかった。店内は大盛況であった。

さて、翌日はまたもチャイナタウンからバスを使いボストンへ。この日に使ったバス会社はかなり伝統があるようで、ワシントンDCに行ったときに使った会社よりいい感じであった。トイレは相変わらず汚かったが。それでも最終的に、予定通りの4時間でボストンに到着した。

ボストンで宿泊したホテルは、ハーバード大学に近かったので、最初にハーバード大学の一部を見学した。ホテルからチャールズ河を渡る前に、ハーバードビジネススクールがあった。圧倒的に綺麗な建物だった。なるほど、世界中のアプリカントを魅了するだけのことはある。日本にいた時に想像していた、海外の大学像というものとぴったり一致した。世界一を標榜する組織は、中身だけでなく、外見も最高のものでなくてはならない、という考えがあるのかもしれない。昨今の金融危機でビジネススクールに対し、いろんな批判が出ている。勉強はどんな施設でも出来る、という声ももちろんあると思う。が、やるからには、中身も、施設も、徹底的に最高のものを用意する、という姿勢はすごいと思う。それが出来るだけの寄付があるということなんだろうけれど、それを惜しみなく学生のために使用する、というのは当たり前のことである。だが、その他のハーバード大学の建物は普通だったようである。ハーバードビジネススクールだけが、際だってすごい施設を持っているということなのだろう。

チャールズ河を渡り、ハーバードスクエアからボストン中心地まで地下鉄で移動した。NYの地下鉄よりはるかに綺麗だし、明るい感じがする。整然としたところだなあ、と思った。街の中心に着くと、本屋の中にあるカフェに入った。チャイティーを飲んでいると、階下に大学特集コーナーのような一角があった。そういえば、ウォールストリート周辺の本屋でもそうであったのだが、アメリカでは大学紹介や大学ランキングの本がやたらと売っていることに気付いた。日本でもこうした本は売ってはいるが、店頭にどかーんと置いてあるだろうか?考えてみれば、NYでもボストンでも電車の車両に大学の広告がやたらと多かった。しかも特にMBA等のビジネス系学位について。NYでは「こんな時代だからこそ、一つの学位があなたの未来を大きく変えます」みたいなキャッチフレーズがあった。日本ではまず変わらないだろうが、こっちではそれほど大きく変わるのだろうか?見る者を焦らす効果があるのかもしれない。「えー?俺もやらないと置いていかれるー!!」という焦燥感を与えるための。

夜は、ショッピングモールにあるレストランに適当に入った。ボストンといえば、クラムチャウダーと海鮮だろう!というステレオタイプに乗っかり、クラムチャウダー、牡蠣、そしてロブスターを注文した。これは美味い!適当に入ったレストランだったが、とても美味しい。食べ物美味しいじゃん、アメリカ!スペインの不味い料理のせいで味覚が狂い、相対的に美味しい、ということではなく、純粋に美味しいと感じた。

美味いロブスター

翌日は、ホテルから荷物をそのまま持って、昨日通り過ぎただけだったハーバードスクエアに来た。ハーバードヤードに行くと、多くの観光客でごった返していた。これほど多くの観光客が訪れる大学は世界広しと言えどもないのではないだろうか。小さな子供を連れた家族も結構いて、「お前も将来ここに来るんだぞ」といった話をしているんだろう。ハーバードスクエア自体にもレストラン等の色々な店があって、いい雰囲気を醸し出していた。昼食をとり(今回はそこまで美味しくなかった…)、地下鉄に乗ってバスターミナルへ戻った。

ハーバードヤード

バスは今回も予定通り4時間で、NYに戻ってきた。マンハッタン島に入る直前、夕焼けの中に自由の女神が少しだけ見えた。夕食はホテルに置いてあったザガットサーベイを参考にした。NYの韓国料理屋の中で、最も味の点数が高いレストラン、HanGawi(http://www.hangawirestaurant.com/)に行った。ヘルシーなことを売りにしているらしく、ユッケジャンを注文したが、肉が一切入っていないのが残念だったが、味はとても美味しかった。

夕焼けのウォール街

明日はいよいよNY最後の日である。さすがにこの大都市滞在にも少し疲れてきた。

2009年9月6日日曜日

夏休み旅行 ~アメリカ合衆国 ワシントンDC~

次の朝、ワシントンDCに向かうため、チャイナタウンに向かった。ここ、チャイナタウンからは、近郊都市への格安バスが走っている。ワシントンDCへは、一人往復で35ドルという安さである。

バスには中国系の客が多い。バスはところどころイスのスプリングが壊れていたり、ゴミが転がっていたり、トイレが落書きだらけでしかも水が流れなかったりと、どこか別の国に来たかのような錯覚に陥るくらいであったが、安いのだから仕方がない。

サブウェイのサンドイッチをかじりながら、外の景色を眺めていた。ところどころで途中の街の風景が見える。フィラデルフィアやボルチモアといった大都市も見ることが出来た。これらの都市には遠くからでもわかるくらいの大きなビルが必ずある。アメリカという国は大きいんだな、ということを感じた。一方で、ハイウェイの周辺に建っている家々は、かなり古かったり、暗い雰囲気を醸し出していたりと、富と貧困が同時に存在していることも目の当たりにすることとなった。

やがて5時間くらいバスに乗って、ワシントンDCに着いた。ワシントンDCは首都でありながら、行政地区をすこし離れると治安がよくない、ということを聞いていたが、バスから眺める景色からなんとなくそれは伺えた。首都はその国の顔と言えるであろうが、世界で最も強大な権力を持つこの国の首都が、こんな隙をみせているなんて。

ワシントンDCは13年前に一度来たことがある。高校の修学旅行の時。あれが初めての海外旅行だった。随分昔のことなので、ほとんど記憶になく、今回こうしてやってきても、「ああここね、あったあった、覚えているよ!」というような感覚はまるでない。その意味では、来たことのない街に来たような気分だった。

ワシントンDCでは、オバマ大統領がまるでアイドル扱いだった。等身大のオバマ大統領ボードが店の前に置いてあったり、オバマ大統領グッズがたくさん売っている。実際、ワシントンDCの人種構成は、アフリカ系アメリカ人が最も多く、50%を超えているらしいので、こうした人口構成がよりオバマ人気に拍車をかけているのかもしれない。

アイドル大統領

さて、最初に行ったのは、恥ずかしいくらいベタにホワイトハウスである。修学旅行に行った時は中を見学出来たのだが、今は警備が厳重で、日本大使館を通じて予約をしないと中に入れないらしい。今だったら昔とは違った観点でみることが出来たろうから、少し残念だった。既に夕方だったので、行政区をうろうろすることにした。サブウェイのサンドイッチ以来何も食べていなかったのだが、夕飯時も近いということで、空腹を埋めるため、Ben&Jerryでアイスクリームを食べることにした。Ben&JerryはOld post office pavilionの中にあった。このため、再び手荷物検査を受けることに。Ben & Jerryを食べるのも楽ではない。中にあったBen & Jerryは、人類を内部から破壊する、もう一つの兵器の販売場所であった。結構おいしいけど。

もう一つの兵器(極小)

その後、色んな彫刻のある公園で、夕方のジャズフェスティバルがやっていたので、そこに行ってみた。みんな噴水を囲んで座り、ジャズの生演奏を聴きながら、サングリアやビールを飲んでゆっくり時を過ごしていた。西日が異常に暑かったことと、サングリアが全く甘くなかったのが残念だったが、まあいい時間だったと思う。

連邦議会にかかる虹

翌日は午後3時のバスでNYに戻ることになっていた。なので、行く場所をスミソニアン博物館に絞った。ここも高校時代に来たことがあるのだが、全く記憶にない。輝かしい(?)歴史を持つ宇宙開発や軍隊に関わる物品が展示されていた。核兵器についても説明があった。"Ultimate Weapon"と書いてある。よく見ると、ロッキード・マーティンやボーイングといった兵器製造会社の名前があるのだが、これらの企業がスポンサーになっているのかもしれない。軍産複合体を思い出した。一方、プラネタリウムを利用したブラックホールの秘密についてのアトラクション等々、興味深いものもあった。「何だよー、プラネタリウムかよー」と最初はがっかりしていたのだが、この点はさすがアメリカという感じで、素晴らしい映像技術でもって、楽しませてくれた。

チャイナタウンで、安いがあんまり美味しくない昼食をとった後、NY行きのバスに乗り込んだ。意外にもバスが埋め尽くされる程の乗客がいたが、乗客のほとんどはアフリカ系アメリカ人だった。発車ぎりぎりに行った我々は、地獄のトイレのすぐ近くに座る羽目になった。おまけにこのトイレ、ドアが閉まらない。バスが曲がる度に、ギーと音を立て、ドアが開き、中の落書きと便器が見える。ものすごいストレスである。最終的にコインを使って外側から鍵をかけるという荒業でこれを乗り切ったのだが、乗客がトイレを使用する度に、自分がコインでトイレを開けてあげなくてはならない。トイレの門番状態になってしまった。

バスは途中、フィラデルフィアに立ち寄った。ただでさえ治安の悪さで有名なこの都市であるが、丁度黒くどんよりとした雲が街を覆っていて、さながら暗黒都市のように見えた。やがてものすごい雨が降り出した。しかしチャイナバスの運転手は極力スピードを出して運転をするので、相当怖かった。

5時間バスに乗り、NYに着いた。NYで夕食を取れる時間は実はあまりないので、この日も学校の友達のおススメのレストランに行った。Smith & Wollenskyというステーキハウス(http://www.smithandwollenskysteakhouses.com/index.htm)。中に入ってから気付いたのだが、みんな襟付きの服を着ている…。「え?こんなところなの?あのやろー…こんなところ紹介しやがって…」友達は、NYで弁護士をやっていたから、たくさん金を持っているのだろう。でも我々は違う…スペインでは毎日の食費を二人で5ユーロ程度に抑えて生きているのだ…。結局Tシャツに短パンのまま、それでも荷物をクロークに預けてしまって引き返しづらい。「ええい、昨晩は嫁と大喧嘩をして、夕飯を何も食べていないので、これで相殺だ!」と言い聞かせ、意を決し、ここで食事をすることにした。まあ…味はそこそこかな…そこまで強いインパクトはなかったかな…サイズ以外は…。

肉!!

2009年9月4日金曜日

夏休み旅行 ~アメリカ合衆国 ニューヨーク② 有名スポット巡り~

学校も第四タームが始まってしまったので、ブログ更新頻度が再び落ちてしまったが、なんとか踏みとどまりたい。

ニューヨーク2日目は、マンハッタン島を観光するという、至って普通の過ごし方。それでも朝から自然と体が「起きなければ」という信号を発したのか、すんなりと起きることが出来た。

まずはタイムズスクエアを見なければならない。テレビで何回もみたあの場所に行かなくては、NYに来たなんて言えないじゃないか!とミーハー心丸出しであった。その途中で、朝飯を食べる必要があることから、カフェに入った。カフェといっても、スペインにあるような、ちんたら食べ物やコーヒーを出すようなところではなく、日本的なシステマティックに機能したカフェである。ここでフードを調理している人達は皆、ラテンアメリカ系の人達だったのだが、驚くほどに手際がいい!オペレーションが圧倒的に早いし、同時に複数の作業をこなしている…!「…やればできるんじゃん…」こういう心持ちを抑えることが出来なかった…。スペインでのラテンアメリカ系の人達の仕事の遅さは、もはや伝説の域であることは今さら言うまでもないのだが、ここNYでは違った。そこにはきっと、彼らをそこまで駆り立てるあまりに厳しい環境があるからなのだろう。使えなければ即座にクビ、この速さでオペレーションを回さなければ黒字が出ない…等など事情があるのだと思う。さて、味の方だが、美味しい。ハムソーセージベーグルを食べたのだが、これは納得。消費者の厳しい眼がいつも光るこの街では当然のことなんだと思う。

手際のいいカフェに積まれたパン

朝食を済ませ、いよいよタイムズスクエアへ。おお、TOSHIBAとPanasonicのモニターが一番いいところを占めている!良くテレビに出てくるNASDAQの青い看板がある。そして、ライオンキングがある!同じような光々とした看板は東京に腐るほどあるのだが、ここではちょっとした感動をもってこうした看板をみることが出来た。ピカピカだ…資本主義だ…富める自由だ…

みんなの目に留まる場所

ギラギラのタイムズスクエアを後にして、打って変わって国連本部に向かった。この時はタクシーを使った。珍しく愛想のいいおじさんだった。おじさんはNYのことを色々と話してくれた。NYのタクシー運転手はインド人、パキスタン人やアフリカ系の人が多い。このおじさんはどうやらインド人らしい。やがておじさんと宗教の話題になった。我々は、日本人は無宗教の人もいるんだよ、という話をした。そしたらおじさんは言った。「宗教がないなんて、さみしくないかい?」心の残った言葉だった。そうした感情は、今まで抱いたことのないものだったからだ。外国人にとって宗教はとても大事であることを再認識した。

そうこうしている内に、国連本部に到着した。有名な、先の方が結ばれている拳銃のオブジェがあった。荷物検査を通過して、中に入ると、原爆についての展示コーナーがあった。凄惨な写真がたくさん展示してある。韓国出身の事務総長潘基文の肖像画も展示してある。(潘基文はその後のツアーでも頻出した。)しばらく並んでチケット買い、やがて国連ツアーが始まった。ツアーコンダクターの職員は最初に、「国連の本部はここアメリカにあるけど、国連ではどの国でも平等だ」的なことを言っていたと思う(あまり聞けなかったので自信がない)。確かにそういう断りがないと、さもアメリカがあの原爆の展示を自主的に行っているように来訪者に思われてしまうかもしれないもんな、と思った。実際に爆弾を落っことしたアメリカ人は、今でも戦争早期解決のための正しい行いだったと言っている、というのをテレビで見たことがある。ここだけはしっかり前置きを頼むよ、と職員は言われているのかもしれない。でもいきなりツアーの初めの段階で、特定の国家の名前が常任理事国となっていることが説明された。世界第2位と第3位の経済大国の名前がそこにはない。65年前に戦争で負けてしまったからだろうか。いずれにしても、なぜアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国が常任理事国なのか、ということについての説明は一切なかった。

正面からみると立派なのだが、

実はかなり薄っぺらい

国連を出た後は、コロンビア大学の見学に行った。アメリカの大学というものをみたことがなかったし、何より持ち前のミーハー心が、この知の結集地の見学を駆り立ててならなかったのだ。地下鉄のマップを見て、適当に大学に近そうなところで降りると、そこはハーレム地区であり、ミッドタウンとはガラッと雰囲気が違った。昼間で晴れていたからよかったものの、暗くなってから歩いたら結構怖いかもしれないな、と思った。しばらく歩いていくと、コロンビア大学のキャンパスに着いた。ものすごく綺麗なキャンパスだった。マンハッタン島のような小さい島に、堂々としたキャンパスがそびえ立っていた。こんな素敵なキャンパスで学び、しかもNYの刺激に触れながら暮らすなんて、コロンビア大学の学生は、様々なアドバンテージを享受できるのだろうな、と思った。

コロンビア大学

国連本部、そしてコロンビア大学見学を済ませた時点で、相当腹が減っていた。昼飯は、みんなが口をそろえて行くべきだと勧めてくれたハンバーガー屋に行った。Shake Shack(http://www.shakeshacknyc.com/)である。Madison Square Parkには噂通りの列が。腹が減っていたが、ここまで来たのだから並ばなくては!実はこの時、注文に手違いがあって、一つハンバーガーが入っていなかったのだが、店員は臨機応変に対応してくれた。名店は客を逃がさないか…。さて、味の方は…肉汁がジュワー…おいしいなあ…ああ、本当においしいなあ…(この文章を書きながら、よだれが出てきた。)。

空腹には本当にこたえる行列

いただきます

昼飯を済ませた時には、既に夕方になっていた。だがどうしても見逃せない場所がある。マンハッタン島の南端、Wall Streetである。タクシーに幾度となく乗車拒否されたため、この時は地下鉄を使った。Wall Streetは世界一有名な金融街ということで、想像以上に観光客でごった返していた。思ったより、すごい!という感じの場所ではなかった。ニューヨーク証券取引所があった。アメリカ合衆国の国旗が掲げられている。そしてそこの前では、超有名大学のビジネススクールの学生たちがスーツをびしっと決めて中に入るのを待っているようであった。証券取引所の見学であろうか?…こんな小さな場所で行われる、何ら実態あるものを産まない人間達の営みが、遠い世界の向こうでパン1個を争うような状況を生み出しているなんて、一体どういうことなんだろう?一体世の中はどうなっているんだろう?あの証券取引所の前にいるビジネススクールの学生達は、何を考え、今あそこにいるのだろう?こんな仕組みを変えなければと考えているのか、はたまたこの小さな島で同じをことを繰り返したいのか…?ふと第3者的な立ち位置に立ってこうした疑問が湧いてきた。でもすぐにもう一人の自分が自分に言った。「お前だって同じビジネススクールの学生だろう?」

世界で一番有名な通りなのではなかろうか

うろうろしていると、偶然グラウンド・ゼロに来た。こんなところに飛行機が2機も突っ込んできたのか…。このマンハッタン島で最も高かったビルに飛行機は直撃。傷ついたこの街は、さらに大きなビルをこの地に建てるという。この傷跡を傷跡のまま残しておくこともこの街は許してくれないのか…あるいは、より大きなものを建てることで、アメリカは負けない、ということを示したいのか…。

グラウンド・ゼロ

かなり色々と考えさせられた1日だった。

2009年8月31日月曜日

夏休み旅行 ~アメリカ合衆国 ニューヨーク① 到着~

昨晩暗闇に包まれていたCanning Townは朝になって陽が昇ると、全く違う表情を見せていた。こちらの国々は、日中と夜で本当に雰囲気ががらっと変わってしまう。Canning Town駅からLondon City Airportまでの電車には、ビジネスマン旅行客がたくさんいた。さすがビジネスマンのために作られた空港である。実際、出国手続きを済ませた後の空港の中は、インターネットがフリーで使用でき、他の空港に比べて若干高級感があった。

これからロンドン→ジュネーブ→ニューヨークと飛行機に乗るわけだが、今回はSwiss International。この留学生活で最も贅沢な航空会社ということでとても楽しみだった。Swiss InternationalはどうやらAirBusが主たる機体のようであり、またエコノミークラスであっても、ジャンボの場合、一列に席が2、4、2の計8席しかない。このため、横幅に大分余裕があるので大分快適なのである。

ジュネーブでのトランジットの時間はわずか30分程度。大急ぎで乗り換え、飛行機はついにジュネーブを発った。この飛行機を降りたら、次はニューヨークなのだ。ニューヨークなんて日本人にはあまり珍しくないだろうし、結構な数の人間が既に行っていると思う。しかし我々が大いに期待し、ウキウキ気分だった。いくつか理由がある。まず、美味いものを多種、食べられることである。出発前にIEの友達にニューヨークのおいしいレストランについてたくさんの情報をもらった。マドリッドは食べ物が、これでもか、というくらいまずいので、美味しいものに飢えていたのである。ノルウェーのご飯もおいしかったのだが、滞在期間が短いため、わずかしか堪能出来なかった。もう一つの理由として、圧倒的な大都会での刺激である。東京で過ごしてきた自分にとって、欧州の都市はロンドン以外は正直退屈である。のんびり暮らすのもいいが、それだけではやはり辛い。さらにもう一つの理由として、世界中に金融危機を引き起こした本拠地をみたい、という好奇心が挙げられる。

8時間くらい飛んで、飛行機はジョン・F・ケネディ空港に到着した。空港を降りると、本当に様々な人種でごった返していた。この段階で欧州にはない危うい感じとドキドキ感が入り混じった気持ちに包まれた。空港からマンハッタン島には、Air Train JFKと地下鉄を利用することにした。このAir Train JFKは新しいのか綺麗な乗り物であった。遠くの方にうっすらとマンハッタン島の高層ビル群が見える。まるで蜃気楼のようだ。最終的に地下鉄のA lineに乗り換えるため、Howard Beach駅で降りた。何となく暗い雰囲気の駅だった。しばらくすると、噂のニューヨーク地下鉄がやってきた。予想していたより落書きが少ない。乗車客は皆黒人だった。この列車は急行だったので、途中いくつかの駅を通過していったが、それらのプラットホームをみると、圧倒的な汚さで、とても女性一人では立っていられないような雰囲気のものがたくさんあった。やがて地下鉄はマンハッタン島に入り、乗客が増えてきた。我々は34th Street駅で降りた。外に出ると、ニューヨークの街並みが。首が痛くなるほどに高いビルが面白いくらいに並んでいる。空がものすごく狭い。そして暑い。臭気。人、人、人。想像する西洋国とはまるで違う。アジアの大都市のようである。アジア好きの嫁も大喜びだった。

Howard Beach駅

初めてみるエンパイアステートビル

ミッドタウンにあるホテルまでは歩いて行った。ホテルはKorean Streetより一つ下の通りにあった。狭く、暗いホテル。欧州で宿泊してきたゲストハウスとはまるで違う。これもまたニューヨークの現実なんだろう。

この日の夕食は、IEの友達におしえてもらった寿司屋。「Sushi of Gari」というところである(http://www.sushiofgari.com/)。驚愕のうまさだった…間違いなくこんなうまい寿司は東京を発って以来食べていない…いや、東京でも食べたことがあるだろうか。創作寿司なので、純粋な江戸前寿司屋とは違うのだが、文句なしの味である。店員はみんな日本人であったと思う。金を持っていそうな日本人が結構来店していた。確かに、値段はバカ高い…ここまで高いとは知らずに入ってしまったが、後に引けなかった…それに絶対にうまい寿司を食うんだ!とヤケになっていたこともあった。ちなみに二人で20,000円以上…イギリスでは何回か夕食を食べなかったりと、節約しておいたので、まあよしとしよう…。

うますぎる寿司

相当の好印象のニューヨーク1日目がこうして終わった。

夏休み旅行 ~グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国 ヨーク、バース、ブリストル~

湖水地方を夜9時に出発し、ヨークに向かった。電車はランカスター、マンチェスターを経由、そして懐かしのリーズにも停車した。これにはちょっと興奮した。夜中で真っ暗だったので、リーズの様子は全くわからなかったのだが、駅舎をみることはできた。昨年もこの駅からヨークに行ったことを思い出す。まさかその1年後に再びヨークに向かうことになるとは思わなかった。

夜中の1時20分頃ヨークに到着。見覚えのある駅である。そしてゲストハウスへ。ここのゲストハウスは気の利いたところで、翌日はきっちりとした朝ごはんが出た。おかげでとても気持ちよく出発することが出来た。駅に荷物を預けて街中を回る。昨年来たのでもう回り切ってしまったと思っていたのだが、意外に奥が深い街だった。イギリスでは珍しく気持ちの悪い晴天であり、それがヨークの街並みを余計に素敵に映し出していた。相変わらずヨークの寺院は大きく、荘厳であった。

ヨークの街並み

今回も一つの街にゆっくりできる旅ではなく、ヨーク滞在はほんの16時間程度。夕方の電車で今度はバースへ向かった。到着した日はもう夜遅く、その日の宿泊場所へ直行。この日の宿泊先はそう、ユースホステル。この年齢でまだユースホステルか…さすがにこれには大分気持ちが沈んだ。宿泊客は学生みたいなのが多い。ここに楽しみは何もないと、即就寝。

翌日はバースとブリストルの両方を観て回ることになっていた。1日に2都市。両都市は電車で15分くらいの近いところにある故に可能な業である。バースは街自体が世界遺産になっており、大変美しい街並みである。イギリスを鉄道で旅をしていると、何故か建物やその屋根まで暗い色をしていて、どんよりさを助長していたのだが、バースは違う雰囲気を出していた。なんだかフランスみたいだった気がする。次はブリストル。長い坂道に商店が連なっているところがあって、ここはなかなかいい雰囲気を出している。そこでたまたま入ったカフェがおいしいハンバーガーを出してくれたところであり、ますます好印象をもった。ところで、気のせいかもしれないが、ブリストルの人の英語は比較的聞き取りやすかった気がする。


バースの街並み

電撃的に、そして極めて表面的に街を周遊し、またもや夕方の電車で、今度はロンドンに戻った。この日は「Holiday Inn Express」というまあ誰でも知っている安いホテルが宿泊先であった。ところがこのホテルが、Google Mapの示すところに存在しない。Google Mapが示すところは真っ暗なところで、ちょっと奥はかなりやばい雰囲気が漂っている。このホテルがある場所は、Canning Townという駅で、London City Airportに行く際に通過する駅なのであるが、後から調べてみるとこの地域は貧困度合と犯罪率が相当高いらしい。確かに極めて迫力のある場所であった。

Canning Townのちょっと向こうでは、Citiなどの高層ビルが闇夜の中でたくさんの光を照らしていた。どうしようもない現実がそこにあるのだと知った。

2009年8月29日土曜日

夏休み旅行 ~グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国 湖水地方~

翌日の早朝、ユーストン駅から湖水地方の玄関口であるウィンダミアに向かった。ユーストン駅からはVirgin社のVirgin Trainに乗った。綺麗な車両だった。以前キングスクロス駅からリーズに向かった時に使った車両とは違うような…。確かあの時はNational Expressだった。綺麗だからずっとVirgin Trainだったらいいなあと思った。しかし後から気付いたのだがイギリスの鉄道は、様々な鉄道会社が同じ線路と同じプラットホームを使っているようだ。よって、路線によっては全然違う鉄道会社を使うことになる。この後二度とVirgin Trainを使うことはなかった…。

電車はウィンダミアに到着した。さ…寒い。8月ド真ん中だが、もうイギリスは寒いのだ。アイスランドも寒かったけど、イギリスも寒い。さて、ウィンダミアは小店が可愛く並んだ小さな街(村?)だった。お土産屋やカフェが並んでいる。観光客がたくさんいる。すぐに繁華街を一周してしまったので、ウィンダミアからちょっと南下したところにあるボウネスまで徒歩で歩いた。この街から街までの間は、リーズの市街地から学校のフラットまでのバス通りを彷彿とさせるものであり、懐かしい思いに浸ることが出来た。

ボウネスは、ウィンダミアよりも活況を呈していた。湖に面していて、観光用ボートが並んでおり、より多くの観光客で賑わっていた。何だか河口湖か山中湖みたいだった。人慣れした白鳥が、餌を求めて観光客に近づき、観光客は面白がってどんどん餌をあげていた。ここにはピーターラビット博物館がある。大部分の客は日本人のようであり、ご丁寧に日本語ツアーまで用意してあった。中は、かなり充実していて、ディズニーのアトラクションのようである。


余裕で人に近づく白鳥

ボウネスの街並み

次の日、夜9時にヨーク行きの電車に乗ることになっていたので、丸一日湖水地方で過ごすことが出来ることになっていた。とはいっても全く何の予定も立てていなかったので、近隣のケズィック、ケンダルを巡ることにした。ケズィックは…特に何もなかった…街の中心をふらふらした後、マクドナルドに行った。特に変わり映えのないマクドナルドだった。ただ小さな街ではあるが、マクドナルドとか一通りの店が揃っているのはさすがイギリスだと思った。

ケンダルは人口も数万人規模ということで、結構大きな街だった。マクドナルドは当然あるが、その他にもパターゴルフがあったり、無数のアウトドア用品のアウトレットショップがあったり…うむむ、街の規模を表現するのが難しい…。

ケンダルの湖

湖水地方に来る前は、大アイスランドのような大自然をイメージしていた。湖水地方は確かに自然満載なのだが、よりコンパクトにまとまった自然、という感じである。自然と街がちょうどよく調和している感じ。湖はボートやヨットを楽しむ、といった金持ち道楽的な要素を満たすための存在であるようだ。やっぱり、富士五湖のようなイメージだった。

夏休み旅行 ~グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国 ロンドン~

スイス、ノルウェー、そして大アイスランドから帰国し、1週間ほどマドリッドで過ごしたが、再び旅行に出かけた。今度は、グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国とアメリカ合衆国である。

どうでもいいが、グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国という長い名前がどうしてイギリスという4文字になったのかわからない。

マドリッドからロンドンへはお決まりのRyanairを利用した。easyJet同様、大嫌いな航空会社だが、安いので仕方なく使用している。今回到着したのはロンドンスタンステッド空港。ロンドンから大分離れたところにあり、もはや所在地はロンドンではない。宿泊地は今回もゲストハウスである。ここに荷物を置いた後、会社のロンドン店に1年ぶりの挨拶に行った。

会社に着くと、一気に留学気分が吹っ飛び、会社員時代を思い出した(一応今も会社員だけど)。自分の顔が、全く違う表情になったのがよくわかる。ロンドン店の店長としばしの会話。会話の内容は当然忘れかけていた学校の勉強の内容や、仕事の内容となるため、ゆるゆるだった脳みそをフル回転させる必要があった。ところで、海外店のオフィスは本当に広々としていて羨ましい。大きなスペースに大きな机。より権限の強い東京本社がまるで収容所のように感じられた。

その後、東京で隣の部に所属していた先輩と現地社員の方と一緒に日本食レストランに行った。店員がすべて日本人で、本格的な日本食が出てきた。何より驚いたのは店員がきちんとお辞儀をしている!マドリッドに暮らしていて、日本食レストランとは何かをすっかり忘れていた事に気がついた。マドリッドにも日本人レストランがあるが、そのほとんどは中国人が経営しているし、日本人がやっているレストランの場合も、長く競争から離れているためなのか、ひどいクオリティの料理を出す挙句、態度も横柄で極めて不快な思いをしたことがあった。

その後、ロンドンに留学をしている大学時代の後輩と久々に再会、ロンドンを案内してもらった。ロンドンのおいしいケーキ屋、そして韓国料理屋に連れて行ってもらったり、ロンドンのショッピングストリートを案内してもらった。この韓国料理屋もとてもうまかった。彼女はロンドンをとことん楽しんでいるようだったが、自分もやはりロンドンは楽しい街だなあ、とつくづく思った。この留学に来て以降、様々な都市をみてきたが、やはりロンドンは食、芸術、娯楽、ビジネス、何から何まで揃っている大都市なのだということを痛感した。都市にはそれぞれ特徴的な性質があるので、勿論優劣はつけられないのだが、純ドメスティックであり、ずっと東京に住んでいた自分(埼玉と千葉だけど)としては、ロンドンのような大都市が慣れ親しんだ環境なのだと思った。


ゲイショーらしき場所

ロンドン滞在はたったの一日で、次の日は湖水地方に向かう。

2009年8月14日金曜日

夏休み旅行 ~アイスランド~

アイスランドについては一回で、長めに書くことにする。

アイスランドという国は、名前を聞いたことがあったが、それが果たしてどんな国なのか、南極大陸みたいなところなんではないのか、等などかなり間違った想像をしていた。(これは恥ずべきことである…)ところが、昨年のサブプライムローンに端を発した金融危機で、アイスランドが破綻をしかけているということを知り、初めて、きちんと経済活動がなされている国なんだ、ということを知った。欧州は遠いのである。(言い訳)

実際に行ってみて、驚いたことがたくさんあった。まず到着したケフラビーク空港だが、ここはとても立派な空港である。数々の免税店、食事処があり、思ったより多くの人々で賑わっている。後から知ったのだが、ここは北米と欧州の中間地点ということで、重要なハブとして使用されているらしい。

ケフラビーク空港

ケフラビーク空港から首都レイキャビークまではバスで40~50分程度かかる。人口32万人の国の首都なので、ラオスの首都であるビエンチャンくらいのところを想像していたのだが、全く違った。結構な高さのオフィスビルやマンションがある。ケンタッキーが何故か多く、マクドナルドもきちんとある。コンビニやSubwayが一緒になった綺麗なガソリンスタンドやショッピングモールもある。世界4大会計事務所の一つであるKPMGが事務所を構えているのも発見、海外からの投資もかなりあるとは聞いていたが、それは事実なのだ、ということを感じた。

アイスランドは思ったより寒くなかった。首都レイキャビークは北緯64度。調べてみたら、メキシコ湾暖流のおかげで同じ緯度の場所と比べても比較的暖かい場所らしい。長袖は必要であることに変わりはないが、時折半袖で過ごすこともできるくらいである。

アイスランドで特筆すべきは、エネルギー政策であろう。2050年までにエネルギー独立国となることを目指しているだけあって、長期的な視野に立ち、今から様々な取り組みが行われている。既に、石油といった枯渇性エネルギーの輸入は若干あるものの、大部分のエネルギーを再生可能エネルギーでまかなっている。例えば家庭用の電力では地熱発電が大きな役割を果たしている。火山島であるアイスランドの地形を活かしているわけである。また、水素燃料ステーションも一部のガソリンスタンドに設置されている。さらに興味深いのは、アイスランドにはSustainabilityに特化したプロフェッショナルスクールがあることである。国立アイスランド大学とレイキャビーク大学の両校の協力で設立されたReykjavic Energy Graduate School of Sustainable Systemsはその一例である。どこの国もそうだが、特にアイスランドの様な小国にとっては、外交上エネルギー供給問題をカードにされてはたまらないわけである。この国はその問題をこうした国全体を挙げた取り組みで克服しようとしている。国の規模を考えればそのまま日本が真似をすることは難しいかもしれないが、そこには何かしらのヒントがあるのではないかと感じる。

地熱発電所

ここまでアイスランドについていくらか書いてきたが、ここに来た目的はその大自然を満喫することである。スイス、ノルウェーと既に自然を満喫してきたのだが、このアイスランドには何か違ったものがあるのではないか、という期待を抱いてやってきたのだ。

初日、南アイスランドの代表的自然スポットであるゴールデンサークルツアーに参加。最初はグトルフォスの滝。アイスランドにはいくつか滝があるし、フロム鉄道でも観たのだが、今回のものが一番迫力のある滝であった。近くによるとものすごい水しぶきでカメラがびしょびしょになってしまう。その次は、間欠泉。ストロックール間欠泉。5分から10分くらいの間隔で、熱湯が地面から噴き出すのである。観光客は「おお、そろそろ噴き出すぞ」とざわめき、いざ熱湯が噴射されると「おおー!」と歓声をあげる。みんな一回では飽き足らず、同じ場所に立ち、何回も熱湯が噴き出す瞬間を見たがっていた。最後は、シングヴェトリル国立公園。ここは世界遺産に指定されており、北アメリカ大陸プレートとユーラシア大陸プレート間の割れ目が見える。それを聞いた時、何だかすごいところに来てしまったなあ、と深く感じ入った。さらにここは、世界最古の議会があった場所とも言われていて、人間の歴史にとっても重要な場所らしい。

グトルフォスの滝

ストロックール間欠泉

シングヴェトリル国立公園

二日目は、アイスランド第二の都市、アークレイリに向かった。ここでは最初にゴーザフォスの滝を観た。また滝。でもこれもまたすごい迫力。こっちは滝がいちいちすごい。だがその後のプセウドクレーターというところが見どころであろう。いくつものクレーターが集中している場所である。クレーターをみていると、何だがもうそこは地球ではないような気分になってきた。その後に行ったミーヴァートン湖湖畔。ここはいつナメック星人が出てくるかわからないような雰囲気である。向こうの方からフリーザがやってこないか心配になるくらいだ。その後はグリョウタギャウという洞窟温泉。地球の割れ目のそこから温泉が湧いている、何やら神秘的な光景であった。長い1日の最後は、ナウマファットル。茶色いはげ山のふもとですさまじい勢いで蒸気が噴き出している。硫黄のにおいがかなりきつい場所である。噴き出している蒸気の中に入りたい衝動を抑えきれずに、入って行ったら、他の外国人観光客にシラけた眼で見られてしまった…。ところで、この二日目は面白いことが起こった。帰りのバスの休憩所で、イスラエル人の女性とたまたま席が一緒になった。彼女はイスラエル、そして自分の家族の話をし、自分の娘は今軍隊で兵役中であるとのことだった。イスラエルは女性にも兵役の義務がある。彼女はイスラエルでの緊張した日々を克明に語った。すると、バスで一緒だった別の観光客が話に割って入ってきた。政治に関心があるらしい。彼らはセルビア人とオランダ人だった。さらにイスラエル人女性の友達のアイスランド人も入ってきた。これに日本人の我々を加えて、あっという間に国際政治問題ディスカッションが始まってしまった。日本の政治についてもかなり知識が薄い自分なので、欧州や中東の政治問題はよくわからない…恥ずかしいことだが…。でも逆に彼らもアジア情勢にそれほど詳しいようではないので、そこで議論に入ることが出来たのだが…。たとえ詳細でなくとも、基本的な世界政治情勢は勉強しておかなくては…ということを改めて痛感させられた。というのも、MBAコースにに在籍していて、たとえ専門性はあるにせよビジネス以外のこと、例えば政治などにもきちんとアンテナを張っていなければならないと思い知っていたのだ…。いずれにしても夏休みでボケボケになっていた自分には大変良い刺激になった。


アイスランド第二の都市 アークレイリ

ゴーザフォスの滝

クレーター。べジータのポッドが着地した跡のようである。

ミーヴァートン湖湖畔
むこうからでっけえ気がやってくっぞ!!

洞窟温泉

今度は妖怪道中記

三日目を一番楽しみにしていた。そう、念願のスノーモービルに初挑戦!こんな真夏であるが、さすがにアイスランドの山の上には1年中雪がある。700年前の氷が依然として残っているような場所なのである。山の急斜面を走るみたこともない乗り物にのり、スノーモービルのある場所へ。幸か不幸かものすごい吹雪の日で、かなり迫力のある展開になっていた。ツアー客全員が、宇宙服のような出で立ちをしている。いざ出発、というところで、原付に慣れていた自分は、直前にアクセルの方法を教えてもらったにも関わらず、ハンドルを何度もひねってしまうという始末であり、インストラクターは少し呆れていたようだ。ところで、スノーモービルというものは、思ったように動くものだと思っていたのだが、それは大きな間違いであった。スロープに足を取られるのは勿論のこと、激しい横風のためにすぐにバランスが崩れてしまう。なので体全体を使って体重移動をしなければならない、かなりしんどい乗り物であった。吹雪というかヒョウが降っていて、これが顔面をマシンガンみたいに打つので痛くてしょうがないし、眼をあけることもできない。しかし悪天候のせいでほとんど前が見えないので、前を進むスノーモービルのバックライトを見失ってはなるまいと、スピードを緩めるわけにもいかない。色んな事を同時に考え、いろんな動作を同時にしなければならない。しばらくすると、前の方でスノーモービルがひっくり返っている。誰かが横転したんだろう。無理もない、おそらく日本だったらこの天候だったら間違いなくツアーは中止だろう。しかしここでは実行するのである。ひっくり返ったツアー客の体制が整うまで、全てのツアー客は隊列を成して吹雪の中泊まっていた。すると嫁が吹雪の向こうに何かを見つけた。「…あれ狼じゃない?」え!?確かに何か動物のような黒い影がこちらを伺っている…かなりの数のようだが…バスから眺める穏やかな牛や、羊、ヤギとはどうみても違うようだ…。キツネだと信じたかった。が、オオカミは賢いので、様子を伺うというではないか…。ちょっと、早く進んでくれませんか、インストラクターさん…?緊迫した状態はしばらく続いたが、なんとか黒い影がこちらに近づいてくる前にツアー隊は出発することが出来た。守られていない環境でのツアーということで、かなりエキサイティングだったが、予想をはるかに上回る素晴らしい経験だった。


はるか山奥の雪原に向かう

悪天候の中きっちりと並べられたスノーモービル

急がねば置いていかれてしまう

四日目、この日の午前中はホエールウォッチングに行った。チケットカウンターで酔い止めをもらい、船に乗り込む。船が港を出るとすぐに、パフィンという鳥が集まっている小島に着いた。このパフィンはアイスランドの名物的な鳥であり、たれ目のちょっと変わった顔をしており、くちばしにも特徴がある。クジラはどうせ見られないだろうと諦めていたので、パフィンに集中してみていた。そのうち、船はクジラの出現しそうな場所に海上停泊した。クジラを発見すると、アナウンスされる。「12時の方向を見てください」「1時と2時の間で約60メートル先です!」わかるかと!!どうやって海上で60メートルを見極めるのかと!ただでさえクジラは海とほとんど同じ色をしている上に、波があるので極めて分かりにくいのだ。どうやらアナウンスによると、クジラは何度か海上に姿を現したらしい。アナウンスの度に、他の客みんなが息をのんで海上を凝視する。船上は沈黙に包まれる…そして…ついに見えた!背びれだけ、確かにクジラが見えた!多分5回くらいクジラをみることが出来たと思う。全て背びれだけだけど…。それでも初めから期待していなかったので、とても満足できた。

パフィン(注:自分で撮影したものではありません)

アイスランド最後の目的地は、ブルーラグーンという温水プールみたいな露天風呂である。多くの環境客が、ここで旅の疲れを癒し、そのまま空港に向かい帰路に発つ。我々は一旦レイキャビークに戻ることになっていたのだが。この時は雨が降っていて、外はとにかく寒かった。だから、温泉にはいってゆっくり体を温めたい…つ…冷たい!場所によっては、かなりぬるくて、外の寒さを防ぎきれない!おまけに何故か地面がぬるぬるしていた気持ちが悪い…。このぬるぬるは何なのか、怖くて手にとってみることは出来なかった。ここでは、真っ白な泥が置いてあって、これを体に塗ると保湿成分やら何やらで大変体に良いらしく、みんなこぞって体に塗っていた。乾くとパックみたいになるので、おばけみたいなおばちゃんが結構いた。西洋人にとってはこうした風呂は珍しいかもしれないが、日本人にとっては日本の温泉の方がいいと思う。ああ、日本の温泉でじっくり温まりたい。

こうして、アイスランドでの全日程を終了した。とても満足しており、自分の中でアイスランドは大のお気に入りになった。その偉大さ故、今ではアイスランド、そして首都レイキャビークのことを「大アイスランド」「大レイキャビーク」と呼んでいる。

大レイキャビークの歩道

翌日、大レイキャビークを後にし、トランジットのためロンドンへ。時間があったので5時間くらいロンドンをふらふらした後、マドリッドに戻った。マドリッドは暑い…そして…人々が明るい…太陽がある!